和服貴公子の手ほどき

和服貴公子の手ほどき あなたの筆に乱されて
第1回

和服貴公子の手ほどき あなたの筆に乱されて

2015/05/29公開
◇◇◇

 広告代理店に勤めている水川さくら《みずかわさくら》は、手がけていた仕事がひと段落し、いつもより早めに仕事をあがり、仕事を終えた充足感に浸りながら街をゆっくりと歩いていた。
 横断歩道の真正面にあるファッションビルの看板広告が変わっていることに気づき、視線をあげた。
 そこには美術展などの看板広告がよくかかっており、さくらは信号待ちのあいだ、それを眺めて時間をつぶす。いつもなら広告の内容をチェックして把握するとすぐに興味をなくすのに、さくらはしばらくそこから動けなかった。
 『 命 』
 看板の中央にある毛筆で書かれた繊細で美しく、躍動感がある文字はまるで命が吹きこまれているかのように感じられ、一瞬で惹きつけられる。
 どれくらいそうしていただろうか。
 『書道家 天野紫雲《あまのしうん》作品展』
 ようやくその看板が書道展の案内であり、今日が初日であることに気づく。作品展はここからそんなに遠くない展示スペースだ。
 そこは徒歩でも行ける距離だったが、さくらは自分でもよくわからない感情に衝き動かされ、すぐにタクシーに乗車した。
 ゆっくり歩いていく気持ちになんてなれない。一刻も早く天野紫雲の書いた作品に触れたい。
 (どうしちゃったんだろう……私)
 タクシーに乗ってひと息ついたところで、どうしてこんな衝動にかられるのか不思議になる。
 なぜ、こんなにも天野紫雲の文字に惹かれてしまうのか。
 小学生の頃に書道教室へ通っていたさくらは、パソコンよりも手書きの文字のほうがいまでも好きだ。できるかぎり、季節の挨拶なども手書きのはがきで送るようにしている。
 手書きといっても筆よりボールペンを使うことが多く、最近のさくらには書道はあまり縁のないものになっていた。
 心の中で自分の衝動に戸惑いながらも、いまにも溢れ出しそうな思いで胸が高ぶっていた。


 会場に到着して受付をすませると、少しだけ気持ちが落ち着き、あたりを見渡す。
 スタンド花が飾られているロビーにまで人が溢れ、展示会場で書を鑑賞している人たちは華やかな装いをしている。
 (あ、もしかしてオープニングパーティ?)
 初日にオープニングパーティはつきものだ。いまのさくらは仕事帰りの堅めのスーツ姿。場違いというほどではないが、周囲の人たちのような華やかさには欠けている。
 書の個展だからだろうか、和服の女性も多い。そのため、スーツ姿の自分はよけいに浮いているように思えた。
 衝き動かされるまま仕事帰りに会場に足を運んだことを後悔し、日をあらためようと考える。
 「書道の個展は初めてですか?」
  会場から踵を返そうとしたところで、背後から男性の声がかかった。
 さくらは思わずピクリと背筋を伸ばす。会場に入ったとたんに出ていこうとするなんて、感じ悪く見えるに違いない。
 聞こえなかったフリをすることもできないので、おもいきって振り返る。と、そこには着物を着た美しい男性が立っていた。
 紺地の上品な光沢を放つ紋お召しの着物に、明るめな同系色の羽織を着こなす彼は30代半ばくらいの年齢だろうか? 
 見あげるほど背が高く、すらっとした彼によく似合っていた。
 何よりも凜とした佇まいは、年齢よりも老成した落ち着きを感じさせる。
 (すごく綺麗な人──)
 さくらは男性がまとう雰囲気にため息をつき、心の中で月並みの感想をつぶやいた。

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和服貴公子の手ほどき

和服貴公子の手ほどきあなたの筆に乱されて

著  者
黒羽緋翠
イラスト
イナリユウコ
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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