蜜愛契約

蜜愛契約 ファインダー越しに濡れる彼女
第1回

蜜愛契約 ファインダー越しに濡れる彼女

2015/05/29公開
◇◇◇

 「どうして、隠し立てするの! アンタもあの人とグルなわけ?」
 「いえ、そういうことではなく、個人情報保護の……」
 「だから妻だ、と。何度言ったらわかるのよっ!」

 碓井智花《うすいともか》の言葉をさえぎる怒声が受話器から飛び出し、早朝の静かなオフィスに響いた。
 「ですから、お客様のプライバシーに関わる情報は、たとえご家族であっても開示できない規則になっているのです」
 ガチャン! 突然会話が途切れた。悔しまぎれのような破壊音で。智花は受話器を机に放り出し、ため息をついた。
 これも仕事とはいえ、他人の浮気の尻ぬぐいはうんざりだった。
 「すみません。電話、代わってもらって」
 後輩の幾島綾《いくしまあや》が申し訳なさそうにオフィスチェアを近づけてきた。巻き髪とネイルにうつつを抜かしていることの多い彼女が、珍しく殊勝な態度だ。
 通話中ずっと耳をふさいでいたことは、許してあげてもいいだろう。
 「上の者を出しなさいよ! って騒がれちゃね。あんなに人の話を聞かないオバハンも珍しいわ」
 「ですよねぇ。そんなんだから、浮気されるのよ」
 さっきまでのおとなしさとはうって変わって、棘のある口ぶり。綾の本領発揮といったところだろうか。
 「他人事だからって、えらく、過激な発言ね」
 「そんなこと言いますけど、先輩だってあんなヒステリーが奥さんだったら嫌でしょう?」
 正直と言えば正直だが、智花には綾ほどの度胸はない。返答に詰まって、つい話題を変えた。
 「えぇと、さっきの人の旦那って、VIP待遇だったっけ?」
 「ええ。3ヵ月に一度は海外へ行ってるんじゃないですか? 私、何度かご案内しましたよ」
 「そうなんだ。どんな感じの人?」
 「やり手社長ですね、ひとことで言えば。年のわりには若く見えるし、けっこうイケメンですよ」
 格好よくって、お金持ち。そりゃあ愛人のひとりやふたりいてもおかしくない。そんな智花の想像を見透かすように綾が言った。
 「毎回違う美女を取っかえ引っかえ、そりゃあ奥さんにも少しは同情しますけどね。何不自由なく暮らせるならいいじゃないですか」
 現実的すぎる綾の言葉を、以前の智花ならたしなめもしただろう。しかし、いま智花が置かれている状況を考えれば、綾に賛同せざるをえなかった。
 「っと、無駄話してる場合じゃありませんね。カウンター上がってきます」
 考え込む智花には気づかず、綾がそそくさと立ち上がる。智花はハッとして、彼女を笑顔で見送った。
 「行って、らっしゃい」 


 ここは空港──。
 旅行者にとって最後の砦は、労働者には決して優しくない。朝は早く、夜は遅く、そして決まった休日もない。
 智花はそんな場所で、かれこれ8年も働いている。
 短大を卒業してすぐだから、智花ももう28。カウンターで搭乗案内をしたり、チケットの受け渡しをしたり、メイン業務はそう難しいものではないが、不規則な労働時間のせいでたいていすぐに辞めてしまう。
 一般的な会社に比べて、労働者に女性が多いことも原因だろう。結婚しても続けられるような仕事ではないからだ。
 女性ばかりの職場特有の揉めごともあり、表面化せぬまま当事者が退職するということもある。
 結局、2年もすれば社員のほとんどの顔ぶれが変わり、勤続5年の綾でさえ古参の部類だ。それでも営業が続けられるのは、補充がいくらでもいるからだった。
 いまも昔も旅行業界への就職希望者は多く、募集をかければけっこうな数の人間が集まる。
 採用のためなら肉体関係も辞さない、という志望者までいる有様。現実を知らず、見せかけの華やかさにみんな目を奪われているのだ。
 実際に花形と言われるこの業界も昨今は隙間風が吹いている。数年前に比べれば、客足は格段に落ちたし、発着便もずいぶんと減った。
 採用も絞られているから、志望者も必死なのかもしれない。
 現場は常に人手不足だというのに不思議なものだ。人数ギリギリのシフトと相次ぐ退職者。ひとりでも病欠をしたら、たちまち立ちゆかなくなる。
 今日だって本来休日である智花が、急に休んだ同僚の代わりに会社に来ている始末だ。
 ふぁあぁぁ。事務所の机に頬杖をつきながら、智花は思わずあくびを噛み殺した。
 今日は早番なので15時すぎに仕事が終わるが、出勤は早朝の6時。慣れはしたものの、年々これがつらくなっている。16時頃に帰宅しても、何もできずにそのままソファで寝てしまうことも多い。
 受け入れたくはないが、もう若くはないということだろう。本音を言えば、結婚して仕事を辞めたかった。母親になった友だちも何人かいて、正直焦りもある。
 ――でも、新とは結婚できない。
 学生時代から付き合っている篠辺新《しのべあらた》が、智花の部屋に転がり込んできたのは、いまから1年ほど前のことだ。
 飲料メーカーの営業職を辞め、次の仕事が見つかるまで住まわせてくれと言ってきた。
 少しのあいだならと了承したが、新は仕事もせず出ていく気配もない。ヒモ同然の状態で、家賃どころか食費さえろくに払ってくれない。
 どうして、こうなっちゃったんだろう。

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蜜愛契約

蜜愛契約ファインダー越しに濡れる彼女

著  者
イラスト
柾木見月
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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