恋愛選手権、棄権します!

恋愛選手権、棄権します! S系男子はカワイイ獲物を逃がさない
第1回

恋愛選手権、棄権します! S系男子はカワイイ獲物を逃がさない

2016/05/27公開
 早朝の匂いは好きだ。
 どんな時間帯でも東京は人が多いけれど、それでも朝5時台の街は比較的空いているし、5月の緑はまぶしいほどに綺麗だ。
 ミッドタウンを背に公園を通りすぎ、角をいくつか曲がるとわたしの働いているカフェ 『ブラッシュ・ノアゼット』がある。駅は六本木が近いが、住所は赤坂だ。
 地名は派手だけれど、周囲は閑静な住宅街だ。古いマンションの1階にあり、2年ほど前に開店した新しい店なのだが、周囲になじむ落ち着いた外観や内装はもう10年もここにあるような雰囲気を醸し出している。エントランス側ではなく脇道に接しているので、あまり目立たないが知る人ぞ知る店だ。近所に住む常連さんが多い。
 わたしは半年ほど前からここでアルバイトをしており、最近になって朝の開店準備をまかされるようになった。
 店の鍵を開けると、ドアや窓を開け放ちまずは深呼吸する。
 エントランスに置かれたオールドローズのコンテナに水をあげるのが最初の仕事だ。店名の由来はこのバラの名前だ。
 オールドローズは本来一季咲きで春しか咲かないが、このバラは秋まで少しずつ返り咲きをする。いまが旬で、透きとおるようなピンク色の花には見る者の心を癒してくれる不思議な力があると思う。

(いい天気。今日もがんばろう)

 カフェは清潔がいちばん。夜の閉店時に掃除はしてあるのだが、朝も床のモップがけ、窓ガラス拭き、テーブル拭きを行ない、そのほかにも細かい場所や照明器具の汚れやほこりも慎重に取り除く。オーナーの晴美さんに、
 『悠里ちゃんが来てくれるようになってから、店内の清潔さが増したわ』
と言われるくらい、わたしは掃除が好きだ。洗剤などは最小限に、毎日こまめに、きっちりと拭き掃除をする。晴美さんもかなりのきれい好きだから、その晴美さんにそんなふうに言ってもらえたことはとてもうれしかった。
 見た目も頭脳も十人並み、地味で平凡な25歳であるわたしだけど、まじめなことには自信がある。手を抜くのは好きじゃない。
 晴美さんはこんなわたしのことを認めてくれているので、このカフェでのバイトはやりがいがあってとても気に入っている。
 でも、気に入りすぎて、肝心の再就職のことをついおざなりにしてしまっているのだが……。
 8ヵ月前に、IT大手の会社を辞めた。
 理由は、元カレの失敗をかぶり、会社にいにくくなったからだ。辞めることまではしなくてよかったはずだけれど、続ける根性がわたしにはなかった。
 元カレは社内ではエリート格の先輩で、入社してすぐに告白され付き合い始めた。
 ちょっとしたイケメンで、自信満々で押しが強くて、強引なところも彼なら魅力的だった。ひとりっ子で頼りないところがあるわたしは、たちまち夢中になってしまった。
 いま思えば浅はかだったと思う。自分に都合のいい場面でしか、やさしさを発揮しない人だったのに。
 わたしは彼の失敗を肩代わりした。出世に響くからと。で、それがすんだら、あっさり捨てられた。耐えればよかったのかもしれない。でも耐えられなかった。
 辞めてすぐのころは、再就職に対してまだそれなりにやる気があった。学生時代の就活のように、自分でもがんばればなんとかなるのだと信じていた。そんな考えはあっという間にしぼんだ。彼とのことで自己評価が低くなってしまったことも、もしかしたら原因のひとつかもしれない。
 自分に何ができるのか、わからなくなってしまった。いくら考えても答えは出ず、わたしはひとり落ち込んでいた。
 そんなときに見つけたのがいまのカフェだった。住んでいるのは代々木八幡の狭いワンルームなのだけれど、美術館にでもいこうと六本木まで来て、ついでにふらふらしていたら目に入ったのだ。
 11月だったけれど、コンテナに植えられたオールドローズのつるがエントランスの上部にさりげなくはられ、まだいくらか青々とした姿を見せていた。シーズン中はさぞかし美しいだろうと思いながら、まるで引き込まれるかのように店に入ってしまったのを覚えている。中は、ふたりがけのテーブルがよっつに四人がけのテーブルがひとつ、カウンター席が6つほどで、木材のナチュラルな内装が気持ちを落ち着かせてくれる空間になっていた。
 そして、晴美さんの出してくれたコーヒーとケーキに、なぜか心底ホッとして……。
 たまたまその日店内に出ていた店員募集のチラシを見て、応募してしまった。
 それから半年。わたしはすっかり『人生中断中』のぬるま湯に浸かりきっている、というわけなのだった。

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恋愛選手権、棄権します!

恋愛選手権、棄権します!S系男子はカワイイ獲物を逃がさない

著  者
乃村寧音
イラスト
中田恵
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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