恋愛選手権、棄権します!

地味で平凡な25歳。ただいま人生中断中。
第2回

地味で平凡な25歳。ただいま人生中断中。

2016/05/30公開
 ゴールデン・ウィークが過ぎた、最初の水曜日。喧騒のあとの不思議な静けさが、街周辺を覆っているような気がする。

 開店は8時だ。出勤の遅いサラリーマンや、自由業の人たちが朝ごはんを食べにくる。メニューはサンドイッチやホットドッグ、サラダで、晴美さんが作ったレシピで提供する。おいしくヘルシーなメニューで、ランチ用にテイクアウトしていく人も多い。

 10時過ぎには晴美さんがやってきた。日中はアルバイトの大学生やフリーターが日替わりで入るので、人手が足りなくなるということはない。

 9時半ころ一瞬店が静かになった。ティータイム前のエアポケットのような時間らしく、ときどきこんな日がある。
 片づけやランチの下準備などをしていると、扉が開いた。

「おはようございます」

「あ、おはようございます。いらっしゃいませ」

 下村眞人が入ってきて、目の前のカウンターに座った。
 適度に痩せていて骨っぽく、それでいて肩はしっかりしている。バランスの取れた体躯で、動きがどこか優雅だ。顔立ちはすっきりと整っていて、派手ではないけれど普通の最上級、という感じ。ひとことで言えばカッコよかった。

(神出鬼没だなあ)

 カフェの常連さんは、来る時間帯が決まっている人が多い。午前の人、午後の人、夜の人。でも眞人はいつ来るかあまり決まっていなかった。
 夜にふらりと来ることもあるし、ランチに来ることもある。午前に来ることもたまにある。

「んー、何にしようかな……」

「朝ごはんですか?」

「うん。バジルチキンのフォカッチャサンドイッチと、デカマグでコーヒーください」

 うちの店では、コーヒーを普通のカップと、大きなマグカップ2種類から選べるようにしていて、眞人はいつも大きいほうで頼んでくる。
 フレーバーがあるのは苦手みたいでシンプルなブレンド、アメリカンほど薄くなくていいけれど、濃すぎないほうが好みみたいだ。
 サンドイッチとコーヒーを目の前に置くと、眞人はおいしそうに食べ始めた。

「昨夜から何も食べてなくってさ」

「え、そうなんですか。サラダもつけますか?」

「いまはいいや。そうそう。これ、持ってきたよ」

 眞人が映画のDVDをひょいと渡してくれた。

「あ。ありがとうございます!」

「微妙に眠くなる感じのいい映画だよ」

「えー、そんな感想なんですか?」

 思わず笑ってしまった。
 眞人も笑う。その笑顔を見ていたら、胸の奥がトクンと鳴った。

(うれしいな。わたしとした話、覚えていてくれたんだ)

 先日眞人が来たとき、好きな音楽の話になった。たぶん知らないだろうなと思いつつ、北欧のジャズが気に入っていると話したら、偶然同じジャズトリオを眞人も好きとわかって、その際にヨーロッパの映画でその音楽が使われていると教えてくれたのだった。

「それ、あげるよ」

「いいんですか?」

「うん。映画を見に行く暇とかぜんぜんないからさ、家で見ればいいと思ってついDVD買っちゃうんだけど、そういうのがたまり放題なんだ。むしろ、もらって」

「それじゃあ、遠慮なく。ありがとうございます」

 眞人はコーヒーを飲み干すと、席を立った。店内には誰もいない。思わず、普段は絶対に言わない本音が出てしまった。

「もう帰っちゃうんですか?」

 眞人は一瞬わたしの目を覗き込むと言った。

「うん。今日は休みのはずだったんだけど、午後から急に仕事になっちゃったんだ。準備もあるから帰らないと。本当はここでのんびりしたかったけどね」

 眞人は軽く手を上げ、出ていってしまった。

(そんな忙しい中、朝食のついでとはいえ忘れずにDVDを持ってきてくれたんだな……)

 申し訳なく思いながらわたしは眞人を見送った。
 午後になって、

「あ、きょうアンダーソンが来たの?」

 置いてあったDVDを見て晴美さんが言った。

「あ、はい。え、アンダーソン?」

「だって下村でしょ。大村はダイソン、若村はジャクソン、下村はアンダーソンに決まってるじゃない」

「それ、どこで決まってたんですか?」

「わたしが卒業した都立高校よ」

 晴美さんは年齢不詳の、明るい女性オーナーだ。たぶん35歳は過ぎていると思うけれど、若く見える。お店を始める前には何をしていたのか、わたしは知らない。
 眞人はわたしがこの店に来る前からの常連のようだ。晴美さんとも仲がいい。ただ晴美さんいわく、わたしがきてから来ることが増えたそうだ。

「まったく、あいつ、きっと悠里ちゃんが目当てね。わたしだけのときは、近所に住んでいるわりにはたまにしか来なかったのに」

 本当にそうなのかはわからないけれど、眞人はやさしいし話も合うし、お店ではなんとなく仲よくしている。もちろん個人的な付き合いは、いっさいないけれど。

(だって、そんなことしてる場合じゃないもの)

 去年ひどい目にあったばかりだ。男はこりごりという気分もあるし、人生中断中で先行きもままならないのに、そんな余裕はない。
 ないはずなのだけれど……。
 自分の中に、どこか意識している感じがある。

(だって……。なんか、趣味も合うし、カッコいいし)

 このあいだも本を借りたばかりだ。それも、あげると言われてしまったので家にあるけれど。海外の小説で悲しいけど温かみのある内容で、とてもすてきだった。

(ああいう言い方してたけど、きっといい映画なんだろうな)

 わたしはDVDをバッグにしまいながら思った。
 帰りがけ、最近入ってきたフリーターの圭介に、

「悠里さん、今度メシでも行きましょうよ」

 と、あいさつ代わりのお誘いを受けたけれど、

「また今度ねー」

 あっさり受け流した。

(こういう誘いは、あっという間に断れちゃうのになあ)

 自分でも笑ってしまう。そんなことをしている場合じゃないとかわざわざ考えてしまうのは、たぶんわたしが眞人のことを意識しているからだ。

(わたしのこと、どう思っているんだろう……)

 『ブラッシュ・ノアゼット』を出ると、わたしは駅に向かって歩き出した。

 代々木八幡駅で降りると、まっすぐ自宅へ帰った。学生時代から住んでいる部屋で、かなり古いせいか相場よりは家賃が安い。就職したとき、調子に乗って引っ越さないで正解だった。この部屋だからなんとかいま、暮らせていると思う。

 ワンルームだから狭いけど、しかたない。キッチンもコンロがひとつしかないので、ゆで野菜をまとめて作ったり、カレーやシチューは多めに作って冷凍しそのつど解凍して食べるなど、工夫している。煮物も作り置きできるので好きだ。

 それらも切れてしまうと、いよいよ食べるものがなくなってしまうのだが、食費しか削れるところがないため、どうしてもケチケチしてしまう。
 何しろぜいたくはいっさい、できないので。

(この先、どうしよう。とりあえず、貯金はなるべく崩さないようにしなきゃ)

 お腹は空いている。今夜はパスタをゆで、ペペロンチーノを作った。

(これだと、材料が少なくてすむものね)

 食べ終わると少し落ち着いて、その場に寝転んだ。

(それにしても、眞人ってどんな人なんだろう)

 きっと晴美さんは知っているのだけど、尋ねたことはない。

(たしか28歳って言ってたな。でも、知ってることなんて、よく考えたらそれくらい)

 いつも、カジュアルな服装。ビンテージ・ジーンズが好きだ、と言っていた気がするが、上に着ているシャツやジャケットはきれいめな雰囲気のものが多く、古着好きという感じはさほどしない。店に来る時間もまちまちだ。ということは、

(自由業かなぁ?)

 なんとなくそう思う。
 でも、その種類が想像つかない。
 映画好きだし、本もたくさん読んでる。でも、作家という気はしない。そういうタイプじゃない気がする。デザイナーとか、絵画系かと思ったけれど、どうやらそうでもないみたいだ。
 きついところがなくて、おだやかでやさしい。イケメンだけど、見た目で目立つという感じはそれほどなく、周囲の雰囲気に自然になじむタイプだ。どこかギラギラした感じで押しが強かった前の彼とは違う。

(だから、好きな感じがするのかな……)

 淡い片思い。『人生中断中』のわたしにはきっと、それくらいがちょうどいい。
 歯磨きをしてベッドに潜り込むと、朝が早かったせいかすぐに眠気に襲われた。

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恋愛選手権、棄権します!

恋愛選手権、棄権します!S系男子はカワイイ獲物を逃がさない

著  者
乃村寧音
イラスト
中田恵
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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