M女さんはS先生がお好き

M女さんはS先生がお好き
第1回

M女さんはS先生がお好き

2017/12/28公開
 腕時計の秒針を見つめ、深呼吸をひとつ。心臓が飛び出してしまいそうな緊張の中で息を飲む。

(あと5秒で約束の4時……。3、2、1……時間だ!)

 きょろきょろと周囲を見回し、息を吐く。どうやらまだ来ないらしい。

(講義の準備とかで忙しいのかな。でもきっとすぐ来るよね)

 スマートフォンを開き、昨夜送られてきた返信を眺めて頬を緩ませる。何度見ても、夢じゃない。

『明日、16時に第三校舎の入り口に来てほしい。話をしよう。 東雲(しののめ)』

 文面にはたしかにそう書いてある。期待はしていたが、まさかこんなに早く返信をもらえるとは思っていなかった。

「さすが伊織(いおり)先生、やさしいなあ……。もう、本当好きっ!」

 小声でそうささやいて、にやけ顔でスマートフォンを抱きしめる。昨日勇気を出して彼にメールを送って、本当によかった。
 日本語言語学の准教授である伊織の私的なメールアドレスは知らないから、学内で設定されているメールアドレス宛に連絡をした。内容は、初めて見たときから先生のことを好きになったということ、一度ふたりきりで話をしたいということ。そして自身の名前や学年、連絡先のメールアドレス。学内のアドレスは学生からの質問やレポート提出に使用されるメールアドレスだから、確認はもう少し遅くなるかと思っていたが、返信は数時間後に送られてきた。それが、いまスマートフォンの画面にある文面だ。

「返信くれたってことは、期待しちゃってもいいのかな? もしかして、じつは先生も私のことを好きだったとか……ひゃーっ!」

 もう今日はここでの講義はないのか、人気のない夕方の校舎前で両頬を手で挟み込み身をよじらせる女子学生。誰かに見られようものならあきらかに挙動不審ではあったが、すっかり自身の世界に入り込んでしまっている状態ではそんなことはまるで気にならなかった。

「どうしよう、先生に告白されちゃったら。それどころか抱きしめられたり、キ、キスとかされちゃったら……っ! え、結婚はさすがに早いよね? せめて大学を卒業するまでは待ってもらって……先生、共働きと専業主婦だったらどっちのほうがいいんだろ。家は白い壁のかわいいおうちとかがいいけど、先生の好みも聞いてみないとなあ。あとあと、結婚式はドレスも着物もどっちも着てみたいなあ。伊織先生ならタキシードも袴もどっちも似合いそう。それで子どもは先生似の女の子と私似の男の子で、老後はたくさんの孫に囲まれて幸せに暮らすの……あ、幸せすぎて涙が……」

 さまざまな光景がまるで本当に体験したかのようなリアリティで目の前に浮かんで、その幸福感にうっとりとしてしまう。だから、背後から名前を呼ばれてもすぐには反応することができなかった。

「――……さん。井上、美緒(みお)さん」

「ふぇ。あ、は、はいっ!」

 一気に我に返り、美緒は腕時計に視線を落とす。この先およそ60年ほど先の人生まで妄想したわりには、先ほどから10秒ほどしか経っていない。急いで指先で前髪を整え、深呼吸をする。そして満面の笑顔を浮かべて、やってきた約束の相手を振り返った――のだが。

「伊織先せ……、……あれ?」

 そこにいたのは、思い描いていた相手ではなかった。がっしりとした長身に、意志の強い黒色の鋭い眼差し。それと同じ色のまっすぐな髪。来るはずの伊織とはまるで違う人だ。

(えっと、この人ってたしか日本語学の先生の……名前なんだっけ?)

 事態がつかめない美緒に対して、相手も何やらいぶかしげだ。もしかしたら、こんなところにひとりで立っていたから、ヘンに思われたのかもしれない。

[桜庭えみり 作品一覧]
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年下わんこのしつけ方 甘くキケンな独占欲

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著  者
桜庭えみり
イラスト
不破希海
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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