今度こそ逃がさない!

今度こそ逃がさない! 最後の誘惑
第1回

今度こそ逃がさない! 最後の誘惑

2017/06/30公開

[1]前門の虎、後門の狼

「とにかく、座れよ。心華(このは)」
 検察官副検事、多岐川丹愁(にちか)の穏やかでやさしげな声がピリピリしている部屋の空気を少しだけ緩和させた。話しかけられている本人はさっきから苛立たし気な空気をまといながらせまい部屋の中を右に左にと歩き回っている。
「立ってるほうが落ち着くのよ、検事殿」
 心華は顎とツンと上げ、きゅっと唇を結び、一度だけ立ち止まり丹愁を見据えて嫌味っぽく言い放つ。外資系高級ホテルのセレブばかりのパーティ会場のケータリングをまかされていた心華の会社の車がつい30分ほど前に火炎ビンを投げ込まれ炎上した。
 ゲストの安全を確保し、警察が来た段階で心華はホテルの会議室に隔離されたというわけだ。こんな緊迫した緊急事態にも心華は落ち着き払っているように見える。175センチの女性では高すぎる身長にフォーマルな黒のパンツスーツ姿。漆黒のショートヘアがはっきりした顔立ちによく似合っている。マニッシュで洗練されている容姿は化粧をしていなければ美男子モデルと間違われることも珍しくない。
 幼少のころから武道を習っていたため、骨格がしっかりした体格で肩にも厚みがある。手足が長いため骨太な感じがしない。ピンと伸びた背筋は強靭な精神力がにじみ出ているようにも見えるだろう。
「丹愁の言うとおりだ。おとなしく座ってくれないか。まずは、事情を聞かせてもらおう」
 まさに警察官の威圧感を持って警視庁管理官の多岐川寸弦(すんげん)が心華を尋問しようとしている。
「あーもう、兄さんたちがわざわざ来ることないのに! 火炎ビンを投げ込まれたのはゲストの誰かに対してのいやがらせかもしれないし、そのほうがよほどつじつまが合うわよ。だって各国のセレブが集まってたんだから。脅すための嫌がらせなら、投げ込む車はどれでもよかったってこともあるじゃない。いつもいつもほんっとおおげさ」
 思いついた文句を並べ上げ、不服な表情を崩さず、どさりと椅子に腰かけた。
 多岐川家は曽祖父の代から警察官僚という警官エリート一族だ。心華は警視総監の父を筆頭に、三人の兄たちに溺愛されて育った。長兄一斗(かずと)は陸上自衛隊特殊作戦群から、フランス外人部隊を経て警備会社を経営している、次兄寸弦は警視庁管理官、三兄丹愁は検察官副検事。この三人が集まれば遊園地だろうが、たとえ幼稚園であったとしても、事件現場のような恐ろしい空気に変わる。しかし心華は慣れきっていて、ちょっとやそっとじゃ兄たちのおおげさなリアクション攻撃には負けない。過保護な兄の干渉に心華の忍耐が限界に達するのは珍しくないことだった。
「今日のパーティの招待客リストは見せてもらった。僕が気になるのは心華のことだけだ。最近不審に感じるようなできごとはなかったか?」
 丹愁が穏やかな声でなだめすかすようにして問いかけてくる。歳が近いこともあって何かとかまってくる丹愁に、いつものように打ち明け話でもするような気分で軽く話しだしてしまう寸前で心華はすっと視線を宙に向け、考えるふりをした。
 じつは先週の日曜日、駅の階段で誰かに背中を押され危うく転倒するところだった。終電間際、普段ならタクシーを使うのだが、この日は流しのタクシーさえ拾うことが難しく、地下鉄で帰ることにした。その階段を下り始めたとき、思いきり背中を押されたのだ。とっさに手すりをつかんだが、あまりに強く押されたので体が反転し、数段すべり落ちた。瞬時に階段の入口付近を見たが、もう誰もいなかった。
 たしかに背中を強く押された。確実に階段から突き落とそうとしたことに間違いはない。そして今回は会社の車に火炎ビンが投げ込まれた。セレブが集まる一大イベントの今日の日を狙ったのかもしれない。たいしたことではないと見過ごすことはできないことくらい心華にもわかっていた。狙いは心華なのか会社への嫌がらせなのか……。不安がよぎるが、兄たちによけいな心配をさせて、自分の首を絞めたくはなかったから、そのことは黙っておくことにした。
「とくに思い浮かばないわ。いつもと変わらない日常、誰かに脅されているわけでもなく、経営も順調を通り越して絶好調」
 わざと明るくそう言いきってみせる。
 少々わざとらしいかと不安になったのは、長兄、一斗がさっきからひと言も話さず心華を観察しているからだ。
 これはやばいかもしれないと少々肝が冷える思いだ。兄たちは職業柄特別な洞察力があり、嘘をつくことは不可能と言える。心華のこのリアクションにも三人ともが信憑性なしと判断したに違いない。
 妹が危険だとおおげさに父にだけは告げられたくはなかった。それこそ実家に連れ戻され軟禁されてしまうかもしれない。冗談じゃない。違った意味で背筋が寒くなった。32歳の独身、ケータリング会社経営者である多岐川心華はこの業界で一目置かれている。ケータリングコンシェルジュKONOHAは1年先まで予約でいっぱいになるほど成功していた。立派に独り立ちして頑張っているというのに心華はいまだ厳格な父から逃げまくっているのだった。娘を溺愛する父の口ぐせは「孫の顔が早く見たい」で、自分が見初めた警察関係者と愛娘の結婚をいまだ諦めてはいない。
 連れ戻されるわけにはいかなかった。
「不審な動きがいままでなかったとしてもだ。今後もないとはかぎらない。何かあってからでは遅いんだ。警視総監からも心華を連れて帰ってくるように言われている」
 寸弦の言葉に心華はめまいを覚えた。怒りがふつふつとわいてきて思わず立ち上がる。
「絶対いや。実家に帰るなんてありえない。お父さんにそう言っといてちょうだい。拉致して連れて帰ってもすぐに逃げ出してやるから! ってね」
 強気の姿勢を崩さず寸弦とにらみ合った。
「まぁそんな興奮するな、心華。ほかに手はある」
 そう言ったのは長兄、一斗だった。やっとしゃべった。しかも心華の味方をしてくれそうだ。いちばん敬愛している一斗は心華が困ったときはいつも味方になってくれた。一斗自身も父の望む警官ではなく自衛隊に進み、父と真っ向から対立する強い精神の持ち主だった。
 期待を込めて一斗を凝視する。一斗は心配するなとなだめるようににやりと笑った。いやこれはなだめるのではなく、含み笑いにも取れる。どっちつかずの兄のほほえみにぞっとするが、次の言葉を辛抱強く待った。
「まさか、護衛でもつける気か?」
 寸弦の言葉に心華は棒立ちしたまま固唾を飲む。
「ああ、心華にうちのボディガードをつける。部屋にも仕掛けをするから自分の家から会社に出勤してもいい。だが、外に出るときはかならずボディガードがつく。まぁ引っついて回るわけではないから安心しろ」
 妥協案としては上出来だと心華は思った。なんとしても実家に連れ戻されたくない心華にとっては選択の余地はなかった。
「わかったわ。一斗兄さんの言うとおりにする。気のすむまであたしのまわりを見張ればいいわよ」
「まぁ一斗兄さんところにまかせておけば問題はないんじゃない。心華だって仕事を休業するわけにはいかないだろうし。護衛が必要になるのはたしかなわけだしね」
 丹愁が一斗側についたことで流れが一気に変わった。渋面の寸弦がため息をつく。
「そのとおりだな。俺から警視総監には伝えておこう」
 寸弦も同意したことでやっと心華は心底安堵できた。
「そうと決まったら、いまから担当者に来てもらう」
 一斗がスマホを取り出した。
 兄たちの表情を盗み見る。それぞれこの事件に思うところがあるのか、考え込んでいる様子だ。物腰が穏やかで、やさしい雰囲気の丹愁でさえ腕を組み唇を引き結んでいた。兄たちの中ではいちばん紳士的な雰囲気の丹愁がまさか検事だとは誰も思わないだろう。栗色に近い明るめの髪はゆるいくせ毛で軽くウェーブのある髪を自然に流している。目尻が下がったやさし気な双眸に鷲鼻、少し厚めの唇。うっすらピンクがかった白い肌。いいところのお坊ちゃん風ではあるが、裁判のときは恐ろしいほど攻撃的になるという。心華はそんな丹愁を見たことがないので、にわかには信じられないのだが。
 寸弦は漆黒の髪のオールバックがトレードマークで奥二重の鋭い双眸はひとをひるませるには充分だった。まっすぐで高めの鼻梁、少し薄めの唇。インテリな雰囲気の中に人を従わせる強烈な威圧感があった。それもそのはず180センチの長身のうえがっちりとした体躯なのだ。その寸弦も腕を組み渋面で考えごとをしている。
 一斗はいまだにミリタリーカットの短髪だ。いわゆる耳から下を刈り上げ、上部は少しだけ長めになっている昔の軍人スタイルの髪型だ。それがまたよく似合うほど男らしい顔つきで、力強い顎、浅黒い肌、くっきりとした二重の双眸は目尻がつり上がっているが歳相応のしわが増えたことでそれほど怖い感じがしない。178センチ、筋骨隆々の体躯。鍛え上げられていることは一目瞭然だ。
 心華が一斗を見ていると、電話を切り顔を上げ視線を合わせてきた。
「いますぐ来れるそうだ」
「それはよかった」
 心華が返事をする前に寸弦が割り込んでそう言った。
「寸弦兄さん、お願いだからあまりお父さんを心配させるようなこと言わないでね。あたしは怪我もないし会社の車が被害に遭っただけで、あたしが狙われたわけじゃないんだから。あまり警視総監を刺激しないで」
 父親のことを警視総監と呼ぶのは寸弦と丹愁だ。それをふざけてまねただけなのだが、警察機関とはまったく関係のないところにいる心華は普段は肩書きで呼んだりしない。同じ理由で一斗も父を肩書きでは呼ばない。
「ああ、そうだな」
 寸弦がそう言ったと同時にドアがノックされた。
 一斗がドアの前まで行き、開ける。ノックした相手を確かめると、大きくドアを開けた。
「失礼します」
 その声がダイレクトに心華の耳に届いた。背筋に甘い戦慄が走り、喉がカラカラになる。ドアのほうに背を向けたまま心華は硬直していた。
 まさか、そんな、まさか──。

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今度こそ逃がさない!

今度こそ逃がさない!最後の誘惑

著  者
泉怜奈
イラスト
ルシヴィオ
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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