時の魔女と少年王[1]

願いを聞いてくれるか?
第1回

願いを聞いてくれるか?

時の魔女と少年王
2017/07/28公開
 波打つ黒髪が初夏の風に気持ちよくなびいていた。
 黒いマントに黒いブーツ。
 大きなアーモンド型の黒い瞳、肉厚な唇はリンゴのように紅く官能を押し詰めた笑みを浮かべ、女は跳ね橋が降りるのを待つ。
「あれが、時の魔女……」 
 待ちに待った訪問者に、城の男たちはざわめいていた。
 魔女というからには、老婆のような姿を想像していたのだろう。眼下の跳ね橋を渡る彼女は若く魅力的で、なびくマントの下からちらりとのぞく白い太ももは、男たちの淫らな妄想をあおった。
 あからさまな欲望の視線を浴びた魔女は気分を害したように眉をひそめ、うっとうしい、そう言わんばかりの蔑みの一瞥を送る。けれど、男たちは冷めるどころか、その視線に被虐の悦びを焚きつけられて、頬をだらしなく緩ませた。
 ——男とはつくづくまぬけな生き物だわ、と魔女はあきれ、ため息をついた。



「ツェツィーリア殿、陛下はこちらでお待ちです」
 城の中に通されると、白髪の老紳士が両開きの荘厳な扉を示す。
 見るからに重々しい謁見の間の扉には、一面に細かく見事な模様が彫り込まれ、中にいる人物の位の高さをうかがわせた。
 魔女、ツェツィーリアの背筋は自然と伸びる。
 両脇に控えていた騎士により、ゆっくりと扉は開かれ、徐々に明るくなっていく視界に、彼女は黒い瞳を細めた。
 神話の神々を模した彫刻のような柱が等間隔にならび、ドーム状に婉曲した天井には天使と星々が描かれている。豪奢だが、その場は静かで厳かな雰囲気に包まれていた。
 ツェツィーリアは、高鳴る胸を悟られないように、余裕さえ感じさせる優雅な微笑みを貼りつけ、玉座まで一直線に敷かれた臙脂色の絨毯に、足を踏み出した。
 視線はまっすぐと。
 月の光をまとったような銀髪の、美しい少年王に注いだまま。
「おお! よく来てくれました、時の魔女ツェツィーリアよ」  
 玉座の傍らに立ち、淡い金色の髪を品よく編み上げた壮年の女性が両手を広げ、ツェツィーリアを歓迎する。
 濃紺のドレスは襟元までぴったりと閉じ、首元をレースで飾っている。スカート部分はよけいなボリュームを出さず、つまさきまでを慎ましく隠していた。くすみひとつない肌にサファイアのような瞳がよく映え、微笑んだときにできる目尻のしわさえも優しげだ。
 彼女の透明感のある美しさに、ツェツィーリアは心の中でそっと賛美のため息をつく。若さと色気のみを武器にしている自分にはとうてい敵わない大人の魅力に、素直に感嘆した。
 ツェツィーリアはひざをつき、両手を胸にあて首を垂れる。この国の目上の者に対する礼である。
「お初にお目にかかります、ディートハルト陛下、エルフリーデ皇太后陛下」
「ああ、よいのです。顔をあげてください。そのような挨拶は必要ありません。そなたに頼みごとをするのは我らなのですから」
 皇太后が悲しみをたたえた瞳で少年王の肩にか細い手を乗せると、彼はその手をそっと握る。
 母を労わる少年王は、やわらかな月の光のような銀の髪に、つややかな白い肌、瞳は珍しい菫色をしていた。美しい容貌ではあったが、凛とした強い光を宿した瞳は、彼の利発な性格と高貴な魂を物語っていて、少女のようなやわらかさはない。
 ツェツィーリアは心の中で、二度目のため息をついた。
「願いを聞いてくれるか? ツェツィーリアよ」
 耳当たりのいい凛とした声。
 その声で自分の名を呼ばれるのは、とても気持ちがいい。
 ツェツィーリアはゆっくりと立ち上がり、微笑んだ。
「わたくしに、できることであれば喜んで。どうぞ、お話をお聞かせくださいませ」
 皇太后エルフリーデは一歩前に歩み出る。
「感謝します。そなたは異国の魔女ゆえ、このような小国については知らぬと思いますが、この子、ディートハルト陛下は昨年、父王が他界し、ベアグルント王として即位しました」 
 ツェツィーリアは商売でこのベアグルントに来たことはあるものの、国王や有力者、政治情勢など、そういった情報には興味がなく、このふたりの名も二日前に知ったばかりだ。彼女が知っているのは、 この国は国土はせまいが、土壌と気候に恵まれ、穀物や果物の輸出で潤っていること。そしてこれは実感からだが、他国との交通の重要な地点にあるため、外国人も多く活気のある国だということ。
「国政については干渉しないのが魔女の掟ゆえ、無知をお許しくださいませ」
 そして、蛇足ながらも補足する。
「異国というより、魔女は国を持たないのですわ。どの国にも属さず、魔女は、魔女の掟のみに属しておりますので」
 エルフリーデはわかったようなわからないような、という心許ない様子でツェツィーリアを見る。
「魔女に願いごとをするのは初めてなものですから、どこから説明していいのやら……」
「あなたさまの願いをお聞かせくださいませ。それで充分でございます」
「そうですか……」
 エルフリーデは少しためらったあと、口を開く。
「——悪しき魔女の呪いを、解いていただきたいのです」
「呪い、でごいますか」
 エルフリーデは少年王に視線を落とした。
「この子が生まれた年のことです……。お披露目の晩餐会の最中、黒い煙のようなものが城に入り込んできて、わたくしたちの前に現れました」
「黒い煙」
「ええ。あのようなことができるのは魔女に違いありません。しばらく宙を漂っていたその煙はやがて女の形となったのです」
「たしかに力の強い魔女は、本体から精神のみを飛ばし、操ることができると聞きますが……」
 言葉にするのもつらそうに、エルフリーデはうつむく。
「その黒い魔女は、赤ん坊のディートハルトを指差して、こう言い放ちました——この子はけして大人になることはないだろう。なぜなら、次のイェルクスの星祭りを境に、この子の時は止まるのだから。永遠に……と」
「イェルクスの星祭り、ですか」
 イェルクスの星祭りとは、十数年に一度、夜空の星々が地上に降り注ぐ日のことだ。
 迷信の類ではなく、実際に夜空を見上げれば星々が幾筋も光の線を引きながら流れ落ちるのを見ることができる。人間にとっては一度に多くの流星を見られることは特別なことらしく、“神の祝福の日”として祝われる日だった。
 人間よりもはるかに長く生きているツェツィーリアにとっては、とくに珍しくもない。
 毎回、天文学者たちが次のイェルクスの年や日を計算しているというのだから、人間たちは存外ひまなのだと彼女は思った。
 そして、今日が奇しくもそのイェルクスの星祭りの日だということを思い出す。
 城に来る道すがらに見た街にはいたるところに華やかな飾りつけがされ、大人たちはあわただしく、子どもたちは妙に浮き足立っていた。
(ということは、まあ。今日がその約束の日なのね。少年王の時が止まるという、呪いの日……なんてめぐり合わせかしら) 
 民は、この哀れな少年王の運命など知らず、今日も平和だと疑いもせず、祭りを楽しむのだろう。
 エルフリーデの澄んだ青い瞳から、真珠のような涙がはらはらとこぼれ落ちた。
「何も、何も、魔女の恨みを買うような、心当たりはないのです」
「母上」  
「すみません。あのときのことを思い出すと、いまだに口惜しくて、腹立たしくて、悲しくて、涙が出てしまうのです。我が子を守れなかったわたくしのふがいなさに」
 少年王ディートハルトは母の言葉をさえぎるように強く言う。
「母上は悪くありません。悪いのは、呪いをかけた黒い魔女ただひとり。どうかご自分を責めないでください。母上にこれ以上ないほど愛されて育った私は、幸せです」
「あぁ、ディートハルト……」
 ツェツィーリアは、固く手を取り合う親子を、黙って見つめる。
(掟破りの魔女の仕業か)

 『人間に悪意を持って魔法で干渉してはならない』

 ツェツィーリアは、魔女の掟の一項目を思い出す。
 掟は、魔女の人間世界への干渉をさまざま項目で言葉を変え、禁じていた。それを破れば、その罪に応じた罰が下るはずだ。
 罰がどういったかたちで下るのかはわからなかったが、自らを犠牲にしてまで呪いをかけるなんて、正気の沙汰ではない。ツェツィーリアはそう思った。
 やがて顔を上げた皇太后は、ツェツィーリアに強い瞳を向けた。 
「ツェツィーリア。わたくしは国を挙げてこの呪いを解く方法を探しに探し、ようやくそなたのことを知ったのです。時の魔女。時間を操ることのできる、特別な魔女のことを」
「それでわたくしに手紙を」
「ええ。そなたこそが、この呪いを解放できる魔女だからです。時の魔女ツェツィーリア、どうか、ディートハルト陛下にかけられた忌まわしき呪いを解いてください」

◇ ◇ ◇


 時はさかのぼって、二日前。
 人間にはその入り口すら見つけることもできず地図に載ることもない、ブラウグルトの森——魔女の住む森は、同じ世界に存在しながらも、人間の治める地からもっとも離れたところにある。
 夜の静寂を縫って、一羽のフクロウが森の奥の小さな小屋の窓に降り立った。
「ツェツィーリア」
 フクロウは小さな声でささやいた。
 返事はない。
「ツェツィーリア!」
 それでも返事がないので、フクロウは首を伸ばし、部屋の様子をのぞき見る。
 部屋の中央のハンモックからだらりと落ちた、しなやかな脚を見て、フクロウはいら立ちの声を上げた。
 ——どうしてこの女はこうもだらしがないのだ。
「いい加減起きな! 時の魔女ツェツィーリア!!」
 長い脚がビクッと驚いたように跳ね、そのままドスンと大きな音を立てて、本体が床に落ちた。
「あーあ……。見ちゃいらんないね」 
「あいたたたた」 
 したたかに打った尻をさすりながら、声の主は恨みがましい目でフクロウをにらみつける。
「もっと静かに起こせないのかしら? アベール!」
「こんな時間まで寝ているあんたが悪い! もう夜の12時だぞ。寝坊もいいところだ」
「あーお説教はけっこうよ。使い魔のあんたに合わせる気はないわ。寝たきゃ寝るわよ。昨日だって、仕事で」 
「仕事って? 人間に売りつけるための、いかがわしいモノづくりだろ? 魔女のくせにそんなことで日銭を稼ぐなんて、情けないよ」
「ちゃんと魔法を込めて作るのよ? 大人気なんだから、魔女ツェツィーリアの、恋のおまじないグッズ」
「……あんたが偉大なる時の魔女の血筋なのは認めるけど、時間魔法以外の魔力はたいしたことないからね」
 ぴくっ、とツェツィーリアの頬がひきつった。
「悪かったわね、たいしたことなくて」
 彼女は起き上がり、ゆったりしたネグリジェを脱ぎながら、ため息をつく。
「偉大な時の魔女って言うけど……時間魔法は禁忌扱いで、むやみに使うことさえできないじゃない」
「魔女の掟があるからね」
 基本的に魔女は群れず、国も作らない個人主義の種族だが、いつから存在しているかもわからない、この古のルールブックによって、全体の秩序が保たれているのだ。
 掟にはこうある。

 『時間魔法は正式な依頼なく使ってはならない』

「じゃあこの魔法、生活にどう生かしたらいいのよ? その日その日を食いつなぐためにせいいっぱいだってのに!」 
 彼女が住むのは、赤いとんがり屋根が目印の石造りの小さな家。家の前には小さな川があり、玄関からつながる石橋が架けられている。かろうじて手入れはされていたが、とにかく古く、地震でもきたら耐えられる保証はない。
 部屋は、アトリエと、バスルーム、そしてキッチン兼リビング兼寝室しかない。優雅とはとてもいえない生活だ。
「伝承し続けていくだけの使えない魔法なんて、ガラクタ同然だと思わない? 微力でも、恋に効くすてきなグッズ作りのほうがずっとお金になるのが現状よ」
「あんたはちっともわかっちゃいないよ。その魔法が存在してるってことが重要なんだ。たとえ使う機会がなくともね」 
 アベールは常日頃から、ツェツィーリアに言いたいことがたくさんあった。一見愛らしいフクロウに見えても、この使い魔は彼女よりもずっと年上なのだ。
「だいたい、あんたは時の魔女としての誇りも自覚も足りなすぎるんだ。使い魔の俺としちゃもっと粛々と……」
 言いかけてぴたりと止まる。
「……そうだ、すっかり用件を忘れちまってたじゃないか」
 長い説教を聞かずにすんだ、と、ほっとするツェツィーリアに、アベールはもふりと羽を広げ手紙を渡す。ツェツィーリアは豪快にネグリジェを床に放ると、全裸のまま、封を切った。
「やった! ひさびさの依頼ね! よくアベールまで届いたわね。あら、あらあら、ベアグルントの皇太后さまからですって! 高報酬かしら?」
「なんて書いてあるんだい?」
 人間から魔女に依頼をするためには、複雑な儀式と手順が必要だった。
 一通の手紙を送るのに十日の時間を要し、その期間は、食事内容や、行動すべてに細かい掟がある。沐浴の時間、呪文の回数、ひとつでも順番を間違えれば手紙は届かない。
 そしてもうひとつ重要なのが、願いの強さだ。
 強ければいいというわけではない。
 己の欲のための願いではなく、純粋で清らかな、つまり愛に満ちた祈りのみが、魔女へと届けられるのだった。そのような人間の純粋な願いに限り、魔女は報酬をもらって人間の手助けをする。
 というのが、魔女の掟にある手順だ。
 もし私利私欲のための依頼を手当たりしだいに引き受けていたら、世界はあっという間に傾いてしまうだろう。
 魔女の掟は、世界のバランスを保つために存在しているのである。
 ツェツィーリアは手紙を読み終えると、鼻歌を歌いながら、衣装ダンスの引き出しを開けた。
 歩くたびに存在を主張する、形のいい乳房には無粋な下着などつけない。奇跡のようにくびれたウエストにはガーターベルト、むっちりとした太ももで黒の薄いストッキングを留める。
 そして、形のいいまるいヒップには黒いTバックをキュッと食い込ませて、鏡に向かう。
「ふふっ」
 全身鏡に写る自分を眺め、ツェツィーリアは妖艶に微笑んでみせる。自分で見てもエロティックな容姿に、満足そうに瞳を細めた。
 時の魔女、ツェツィーリアは今年185歳。
 人間とは違う時間の中で生きている魔女は、寿命が長く、成長が遅い。魔女としてはまだまだ若い彼女は、人間の年齢にすれば成人前の、18、9歳というところだ。
 若い魔女にありがちな、高慢と自己愛の性質を強く持つツェツィーリアには、もうひとつ、やっかいな性質があった。
「少年王……しょ、う、ね、ん……」
 ツェツィーリアは鏡を見ながら、不敵な笑みを浮かべる。
 お気に入りの服は、胸が大きく開き、スリットが太ももまで入った黒のレザードレス。背中部分を紐で締め上げるタイプで、尾てい骨付近までがあらわになっている。
 それに黒のブーツと黒いマントを合わせ、差し色に紫の髪飾りをつけると、よそゆき魔女コーデのできあがりだ。とんがり帽子はいまどき野暮ったい、というのはツェツィーリアの持論である。
「くわしくは書いてないけど、少年王のために力を貸してほしいのですって。どんな方かしら? 儚げな美少年? それとも若くして権力に溺れてしまった高慢ちきな美少年? それとも世直しに若い魂を燃やす熱血美少年かしら?」
「美少年以外の選択肢はないのかよ?」
「でなければ即、帰る」
「やれやれ……頼むからちゃんと仕事はしてくれよ」
「……わかっているわよ。生活のためだもの。それに皇太后さまは時の魔女をお探しだったそうよ。ということは、わたしの時の魔法がようやく役に立つときが来たってわけね」
 鏡の前でくるりとターンすると、アベールに向かってウィンクする。
「アベール! そういうことで、じゃ、いまからちょっとベアグルントまで行ってくるわね」
「いまから!? 下調べもなしかよ」
 アベールは金色の瞳を不安でくもらせた。
「それより、くれぐれも少年に悪さなんてするんじゃないよ」
 いまにもスキップしかねない、浮かれたツェツィーリアの耳にはその声は届かず、アベールは大きなため息をついた。

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時の魔女と少年王[1]

時の魔女と少年王[1]

著  者
奥村マヨ
イラスト
純友良幸
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
92 円(税抜)
シリーズ
時の魔女と少年王
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