おじさんはショートボブを知らない[2]

[10]ねこだまし
第1回

[10]ねこだまし

おじボブ
2017/08/25公開
 世の中、顔をひとつしか持っていないやつはなかなかいない。
 いや、獣面と人面って話じゃなくてな?
 あそこのパン屋の元店長は愛妻家で有名だったが、影では妻の行動を事細かく監視していた。
 気に入らない行動があれば、服から出ない場所をさんざん殴った。
 鼻のいいやつらは、気づいてたとも。
 でも、誰も奥さんを助けなかった。
 人妻に手を出したなら、自分もただじゃあすまない。
 とくに、あんなにでっけぇ熊の旦那の妻ならね。
 だから俺は奥さんの話をこっそり聞いて、嫁入り道具だった高価なペンダントと引き換えに毒を渡した。
 まぁ詳細は割愛するが、それで晴れて元奥さんは自由の身。
 結局、自分を助けるのは自分って話だ。
 それからはすごかったよ。
 彼女は生活のために、あっちこちの男の気を引いた。
 男連中だって、旦那がいなくなれば喜んで彼女に入れあげたね。
 金で、物で、態度で彼女に尽くしまくった。
 悲惨なのはそこのひとり娘だ。
 母親が節操なしなもんだから、節操なしな男もたくさん集まった。
 娘は母親と同じように美しく、さらには若かった。
 男達が花の盛りの娘をどんな目で見たかなんて、だいたい想像がつくだろう?
 死んだ熊旦那は、どんな思いだったろうね?
 でもまぁ、死んでるからな。
 何もできなかったけど。
 何が言いたいかって?
 まぁそんなことは、どうでもいいじゃないか。
 猫獣人に、結論なんか求めちゃいけないねぇ。
 しいて言えば、理不尽な行ないにも理由があるってわけさ。
 だからどうだって話でもないけどな。


◇ ◇ ◇


 ヲセにとってつらすぎる夜が過ぎ、早朝。
 今日は、街を出る日だ。
 ふたりで荷物をまとめ、準備を始める。
 武器に、食べ物に、薬。
 昨日ヲセが買った、トーノにはよくわからない石達。
 荷物の少ないヲセに、そもそも荷物のないトーノだ。
 時間はあまりかからない。
「あれ?」
「どうした」
 部屋の片づけをしていたトーノが、声を上げる。
 反応したヲセが、風呂場の方向を見た。
 その先で、トーノが困ったように首をかしげている。
「私の服がない……」
 脱衣所に置きっぱなしだったはずの、服がなくなっている。
 大事なものかと聞かれれば、そうでもない。
 汚れてもいいような、どうでもいい安物たちだ。
 でも、それだけが自分に故郷があった唯一の証拠である。
 ヲセが、トーノの背後に寄って現場の匂いを嗅いだ。
 花のような甘い香りが、鼻腔いっぱいに広がった。
 頭の中で、昨夜の異常事態が生々しくよみがえる。
「……」
「ヲセ?」
「……ちょっとここから離れてろ」
 素直に退がるトーノを横目で確認しながら、ふんと鼻を鳴らして息を出す。
 これで、嗅覚はリセットされた。
 ふたたび、慎重に匂いを嗅ぎ分ける。
 あたりまえだが、トーノの匂いがいちばん強い。
 自分の匂いはあまり感じないし、今回は関係ないので勘定に入れない。
 甘い匂いをできるだけ意識の外に追い出して、さらに探る。
 ほんのかすかに、猫獣人の匂いがした。
 狼獣人でなければ、気づけなかっただろう。
 トーノがひとりで街をうろついたときに会ったのと、同じ男のようだ。
 たしか、その猫に顔を見られたと言っていた。
「すぐここを出るぞ」
 自然と、眉間にしわが寄る。
 宿の人間を買収したか、扉を鍵なしで開けられるのか。
 どちらにせよ、ろくなやつではない。
 トーノの服を盗んでいったのも、嫌な感じだ。
 子どもの正体に気づいたか、少なくとも疑問は持ったのだろう。
 その服を持って何をするつもりかはわからないが、嫌な予感がする。
 剣呑な表情のヲセを見て、トーノも不穏な空気を悟る。
 会話もないまま手早く荷物をまとめ、ふたりはそそくさと宿をあとにした。


 街を足早に抜けようとするヲセの、広い背中を追いかける。
 足の長いヲセの早歩きについていこうと自然、小走りだ。
 靴のサイズが合っていないものだから、ときどき転びそうになる。
 くそう、まあいいかで流していたブカブカのブーツが、ここで問題になるとは。
 この町の獣人は大柄な人が多いらしくて、そんな人達で構成された人ごみを抜けるのは少々苦労する。
 ヲセの赤錆色の尻尾だけを視界に入れ、必死で追いすがった。
 ピンと立った耳には、心なしか緊張感が漂っている。
 フサフサの尻尾の毛も逆立ち気味だ。
 利き手は歩く揺れに合わせずに、腰のあたりで浮いたままとまっている。
 想像だけど、いつでも剣を抜けるようにしているのかもしれない。
 そんなヲセに、昨日みたいに手をつないでよと要求するのはためらわれた。
 必死で追いかけていたけど、石畳に足が引っかかってつまづいた。
 あっ、と思ったときにはもう遅い。
 慌てて視線を地面じゃなくて前に向けると、そこにはもう錆色の尻尾は見えなくなっていた。
「ど、どうしよう……」
 ひとまず、急いで立ち上がって歩を進める。
 早く追いつかなくちゃ。
 先ほどよりも密度の上がった群衆の中を、一生懸命進もうとするが、うまくできない。
 そうか、さっきまではヲセが人波の盾になってくれていたから、あの程度ですんだのか。
 ええと、迷子になったらどうするんだっけ。
 動かずに、一緒にいた人を待つのが鉄則だったような気がする。
 道の端に寄ってひと息つく。
 これでまずは人ごみに流されて、さらなる迷子になることは避けられた。
 さて、ここからどうしようか。
 このあいだは蝶が宿まで案内してくれたけど、いまはぴくりとも動く気配がない。
 胸元で、ただのブローチみたいに静止している。
 こうなると、お手上げだ。
 できることもないのでぼーっとして待っていると、いきなり背後から腕を引っぱられた。
 そのまま、薄暗い路地裏に引き込まれる。
 視界の端に、ふさふさの毛に覆われた手。
「やあ、チビさん」
 薄暗い路地裏で、猫の口が三日月のように笑みを作った。
 目の前に二日ぶりに見る、ふっさふさの猫面。
 あいかわらず存在のうさんくささに関わらず、見た目は超かわいい。
 フサフサの尻尾が、男の背後で上下に揺れている。
「ヨイト」
「あぁ、覚えていてくれたのかいチビさん」
 にんまり、そんな感じの笑顔で猫が笑う。
「飴、渡せなかったからな。こっちにおいで、ちゃぁんと置いてあるんだ」
 さすがに、そんなお誘いに乗るほどバカじゃない。
 それはヨイトも承知のようで、腕をつかむ手はいっこうにゆるむ気配がない。
 五指についた肉球のプニプニ感は、布越しに味わうにはもったいないほどだが、事態はけっこうまずそうだ。
「ヨイト、私ね、今日はちょっと急いでいるから」
「ほぉう?」
 にやにや笑う猫の顔。
 頭は完全に獣のものだというのに、ヨイトはとても人間的な笑顔を浮かべていた。
 人間的な、欲望と嘲りの混じった表情を。
 私を逃す気はいっさいないのだろう。
 気づかれたのだろうか? 私が『人間』だということに。
 それとも、私の顔がかわいすぎるから、なんとしてでもさらってしまいたいんだろうか?
 どちらにせよ、困る。
 つかまれた腕を取り戻そうと、自分の側に引いてもびくともしない。
 私のささいな抵抗など織り込みずみなのか、ヨイトは笑顔のままこちらを見ている。
 くそう、かわいいなヒマラヤン顔。
 だが、愛くるしい猫の目は、油断なくこちらを観察している。
 平和ボケした思考と、最近目覚め始めた危機感が混ざり合う。
 このままでは、きっとよくないことが起こる。
 どうしたものか。
 うかつに刺激して、この奇妙な均衡を崩すのもためらわれる。
 現状、身体的にはいっさい勝ち目はないのだから。
 大声を出す? ダメだ、人混みにはきっと届かない。
 ヲセの救出を待っても、ここを見つけてくれるかどうか。
 状況は、非常に不利だ。
「おいちゃんな、ちょっと確かめたいことがあるんだよ」
「何」
「チビさん、いったいなんの種族だい?」
 ぎくり、と身体が強ばる。
 反射的に距離をとろうとするが、ふさふさとしたファンシーな手はそれを許さない。
 私の必死の抵抗を、猫がおもしろそうに眺めている。
 もし、猫が人間と同じくらいの大きさなら、どんな屈強な人間でも敵わない。
 そんな記事を、インターネットで読んだ覚えがある。
 無視していた不安感が、背筋を這い上り始めた。
 声が、体が震えそうだ。
「はなして」
「おぉ、冷たいねぇ」
 藤色の目が酷薄に光る。
 私をつかんでいるのと反対側の手が、フードに向かって近づいてきた。
 自分が『人間』だと知られると、よくないことが起きる。
 そうヲセが言っていたことを思い出して、近づく手を自分の片手で払いのけた。
「……チビさん?」
 顔は笑っている。
 でも、ヨイトの毛がぶわぶわと逆立ち始めた。
 藤色の目が、爛々と光っている。
 苛立っているようだ。
 どうしよう、痛い目に遭わされるかもしれない。
 それでも、ヨイトに従うのが賢い行動だとはどうしても思えない。
 進退極まった路地裏に、少し低めの美しい声が響いた。
「あらぁ、ヨイトじゃない。何しているの?」
「……客引きはどうした、イーラ」
 ヨイトが、不機嫌な顔で返事をする。
 私の背後から聞こえた声の主を確認しようと、振り返った。
「あ……」
 綺麗な茶髪に、三角の耳。
 細いしましま尻尾が、首をかしげる彼女と一緒にくにゃりとくねった。
「んん~? 狼の旦那の子じゃないの」
「昨日の、お姉さん」
 ナイスバディを惜しげもなくさらす彼女は、間違いなく一昨日ヲセの相手をしたというお姉さんだ。
 今日もむせ返るような色香を放っている。
 そうか、彼女はイーラなんて名前だったのか。
 緑の眼がヨイトを見て、ヨイトがつかんでいる私を見た。
 もともとヨイトのことが好きでないのか、彼を見る目はどことなく酷薄だ。
「性懲りもなく人さらいやってるわけ?」
「関係ねぇだろ」
「まぁないっちゃないんだけど」
 ここで見捨てられたら、詰む。
 でも、彼女が私を助ける理由なんてない。
 打開策も思いつかず、困りはてた顔でお姉さんのことを見つめた。
「イーラさん、助けてください」
 万感の思いを込めてお姉さんの名前を呼ぶと、縞々の尻尾がうねる。
「ん~……そうねぇ。狼の旦那にはけっこう色つけてもらっちゃったから、特別よ?」
 お姉さんが、一歩私達に近づいた。
 彼女の瞳孔がまるくなって、毛が逆立つ。
 三角の耳はぐっとうしろに引きしぼられ、尻尾がイライラと左右に振れる。
 よく見ると身体の横に下げられていた手指の先から、尖った爪が出ていた。
 私でもわかる。威嚇の動作だ。
 それだけで、ヨイトの手がぱっと離れた。
「わかった、わかった。おいちゃんが悪かったよ。じゃぁな!!」
 すばやく身をひるがえし、路地裏の向こうへ走っていく。
 暗がりに、ふさふさの尻尾が消えていった。
 不恰好な退却だったのに、足音がしないのは猫だからだろうか。
 逃げ足の早さに、ちょっとびっくりする。
 状況判断すばやすぎないか。
 あれか、お姉さんとヨイトなら、あきらかにお姉さんのほうが強いんだろうか。
「お姉さん、ありがとうございます」
 晴れて解放されたので、お姉さんの方向にぺこりとお辞儀した。
 お姉さんが偶然通りがからなかったら、どうなっていたことか。
 ヲセほどの待遇が望めないことは、間違いない。
「不思議ねぇ。さっきまで助けるつもりなんか毛ほどもなかったんだけど」
「え」
「ま、いいじゃない。おチビちゃんは迷子?」
 さらっととんでもないことを聞いた気がする。
 いや、結果的に助けてもらったからいいじゃないか。
 そういうことにしとこう。
 九死に一生を得たっぽいことを深く考えると、どきどきするし。
「はい、ヲセさんとはぐれちゃって」
「あらぁ、じゃあお姉さんとこで働く?」
「それはちょっと」
 ちょっとまだ自分の進路を決めるには早いというか、行くところはもう決まっているというか。
「そーお? じゃあここで待とうか」
 さして残念でもなさそうに、お姉さんが壁に背中を預けて座り込んだ。
 本気で誘っていたわけじゃなかったのか、それともさっぱりした気性なのか。
 どちらかというと、後者な気はする。
「お忙しいんじゃないですか?」
「私がいなくなったらまた来るよ、あの獣頭」
 それは困る。
 無言でお姉さんの横に座った。
 お姉さんは私にあまり興味がないのか、静かに自分の爪を眺めている。
 それとなく見ると、つやつやとした爪の表面に、蒼い蝶が描かれているのが目に入った。
 この世界の人たちは、ファッションの中に蝶を取り入れるのが好きらしい。
 自分の胸元の蝶も、だからこそただのブローチに見えるのだろう。
 ……沈黙が、気まずい。
「あの……」
「何?」
 何か、何かしゃべらなければ。
 ヲセが見つけてくれるまで、どのくらいかかるか見当もつかない。
 しかし共通の話題なんか、ヲセぐらいしかない。
 初対面の相手と、数日しか一緒にいないおっさんについて語り合うのか。
 できればもう少し、心安らぐ会話をしたいけれど、ほかに何も思いつかない。
 いいやもう、この際ヲセの話でこの 場をしのごう。
 今後のためにも、ヲセについては知って損することなんてないし。
「お姉さんは、ヲセとどんなことしたんですか?」
「え? 知りたいの?」
 意外そうにこっちを見るお姉さんに、うなずいて返す。
 そう、地味に気になってはいたのだ。
 こんな綺麗なお姉さんと、いったいヲセはどんなことをしたのか。
 そして、今後ヲセは私と一緒にいるあいだ、何を我慢することになるのか。
「おチビちゃんお上品な顔しているから、そんなことに興味ないかと思った」
「ヲセのことなら、なんでも知りたいんです」
 これからもしばらく、ヲセの庇護がないとやっていけそうにないので。
 キリリと顔を引き締めて答えると、お姉さんの若草色の目が、途端にキラキラ輝き出した。
「え、おチビちゃんそれって、狼の旦那のこと……!」
「はい! 私のこと好きになってほしくて!!」
 あわよくば、今後よりいっそう強固に保護されたくて!
 まぁあ! と高めの声がお姉さんより上がる。
 お姉さんが思っている事態よりやや殺伐としているが、まぁいいいだろう。
 罪のない嘘っていうか、すれちがいってやつだ。
 突然降って降ってわいた恋バナに、お姉さんのテンションが上がる。
 わかる、わかるよお姉さん。
 他人の恋バナほどおもしろいものはないよね。
 若草色の目が好奇心をたたえて、三角の耳がぴんと立たせている。
「だからお姉さんの大人のテクニックを、ぜひ教えてもらえたらって……!」
「いいわよ! まず何が知りたい? ていうかどこまでいってるのいま!!」
 食い気味の返答が、彼女の気分を語っている。
 これは、思ったより盛り上がりそうだ。
「昨日はひたすら手で触りました!」
 こう、手で握って、こう!
「思ってたより進んでるのね!? じゃあ、まずは――」
 話し込むこと数十分、ヲセが迎えに来てくれるまで私達はずっと『狼獣人の男をどうやって体から堕とすか』談義に花を咲かせたのだった。

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おじさんはショートボブを知らない[2]

おじさんはショートボブを知らない[2]異世界ケモミミ奇譚 もふもふの神になったらしいが欲情されてる

著  者
鳥下ビニール
イラスト
国原
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
648 円(税抜)
シリーズ
おじボブ
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