おじさんはショートボブを知らない[1]

下顎よ無事でいてくれ
第1回

下顎よ無事でいてくれ

おじボブ
2017/08/25公開
「おじさん、これは食べられる?」
「……とめはしないが、ものすごく苦酸っぱいぞ」
 トーノが赤い粒々とした実を、両手いっぱいに持ってこちらを見る。
 ホギの実は、小さな子どもが潰して染料にするものだ。
 実自体は艶々と美しいが、味はとんでもない。
 好奇心で生き生きと輝いていた目が、身も蓋もない返答にがっかりだと言いたげにくもった。
「おまえが取れるような低い場所に、うまい実があるわけないだろ。そういうのは、まっさきに野生動物にやられている」
 あきれて理屈を教えれば、きめ細かい肌質のつるりとした頬をふくらませ拗ねる。
 そんなそぶりを人前で見せれば、庇護欲と下心でいっぱいになったやつらに山ほど甘い菓子でももらえるだろうが、あいにくここは深い森の中。
 そばにいるのは、愛玩用の小僧のあつかいなぞさっぱりわからん己だけだ。
 肌のどこにも傷のない、ほどよく栄養の行き届いた身体。
 黒い短髪は艶やかで、丹念に手入れされてきたことを物語っている。
 無視して歩を進めると、背後から「あっほんとだまずい!! 苦さのあとに酸っぱさがくる!! えっ、すごい新しいまずさ!!」と喚く声が聞こえてくる。
 まずいと言ったのに、なぜ食べたんだあいつは。
 振り返って確認すると、口をへの字に曲げて難しい顔をしたトーノがいた。
 そんな不細工な表情をしても、この子どもは美しい。
 ホギの実の果汁によって染められた紅い唇が人を惑わすようになまめかしく光る。
 眉間に寄ったしわも、不機嫌そうに細まった目も、子どもの見目を引き立たせていた。
 さらに、絶え間なく辺りを飛び回る蝶が、トーノがいる空間を飾る。
 うっすらと光る蒼い蝶達に囲まれたトーノは、まるで一幅の絵画のように見えた。
 本人が、馬鹿な理由で顔をしかめていることを除けば。
 極めつけは、子どもから立ち昇る甘い香りだ。
 集中して嗅げば、くらくらと脳髄を酔わせる。
 趣味人に言わせれば花のような、と形容しただろうがあいにくと男はそんなものとは縁がなかった。
 だから、男の中では
 難儀なことだ、と内心でひとりごちる。
 その手の趣味のやつに見つかれば、この美しい子どもはあっという間に、かどわかされるだろう。
 中身はただの子どもである。
 いや、少々頭が足りなくはあるが、ともかく普通の範囲内だ。
 これを神殿に売り渡せば、向こう十年は働かずに暮らせる。
 その金を元手に、商売を始めたっていい。
 どんなに腕がよくても、冒険者稼業は終生できるものじゃない。
 そろそろ腰を落ち着けて生活することに、男はぼんやりと憧れを持ち始めていた。
 当面の金が入れば、まず女を買いたい。
 戦場暮らしが長いこの男が、女のやわらかさを得ようと思えば、買うことしか思いつけない。
 恋愛など、したこともなければあるとも信じていないから。
 ただ、ときどきどうしても堪えきれない寂寥感が男を襲った。
 そんなとき、商売女と睦み合えば少しはマシになると知ったのは、十代のころだったろうか。
 体を動かして欲を吐き出せば、少なくともぐっすりと眠れる。
 男には、それで充分だった。
「うぇえー……まだ口の中がまずいぃー……」
 子どもの不満声は、まだ続く。
 不可思議な衣服の袖で、口元をごしごしと拭いている。
 やわな肌だ、あまりこすると赤くなる。もしかしたら、傷もつくかもしれない。
 かまうのも面倒だが、値段が下がるのは見過ごせない。
 頭の中で、女を思い描く。
 やわらかで、温かい肌。金さえ与えているあいだは、忠実な癒やし手。
 これが終わったら、女を抱こう。
 頭上の木々を見上げると、ラダの実がある。
 高い場所についたその実は、獣に襲われることを免れたらしい。
 腰に差した剣を、片手で抜いて軽く振る。
 ラダの実は枝と実の境目で綺麗に切れて、かまえていたもう片方の手に吸い込まれるように乗った。
 剣をしまい、実を子どもに与える。
「こっちを食え」
「わ、なにこれブドウみたい! ありがとおじさん!!」
 疑いもせずに、ラダの実を受け取ってひと粒むしる子ども。
 出会って数時間の相手を、よくもそんなに信用できるものだ。
 子どもの行動の端々から、育ちどころか世界が違うのを感じる。
 自分を害す者の存在など、はなから頭にないのだろう。
 片手で房を持った状態ではうまく皮を剥けなかったらしく、歯を皮に立てて噛むように剥いている。
 汁は垂れてるし、手はベタベタだ。
 こんなへたくそにラダを食べるやつを、男は初めて見た。
 おまけにそちらに集中してか、ただでさえ遅かった歩調がますます遅くなっている。
 まったく、信じがたい遅さだ。
 このままでいけば、森を抜けるまでに日が暮れるどころではない。
 日が落ちて、また上がってくるまでこのまま森の中だ。
 正直、そこまで時間をかける義理はない。
 かたわらを歩く子どもは、必死で実をかじっている。
 警戒心のかけらもないその姿に、ため息が漏れそうになった。
 これが終われば、女を買う。
 残りの報酬の使い道は、あとで考えればいい。
 そのためならば、多少邪魔くさいこともしかたがない。
 子どもの襟首をつかんでひょいと持ち上げ、剣を使わないほうの腕で持つ。
 いままでいったいどんな暮らしをしてきたのか、筋肉もない貧弱な身体は軽い。
 街を歩く父親のような姿に少々情けなさを感じるが、このままちんたらいくよりはマシだろうと、自分をなだめた。
 子どもが歩かずとも、蝶達はついてくる。
 おびただしい量の燐光する蝶は幻想的だが、先頭が傭兵に抱えられた子どもではいささかありがたみに欠ける、とは男の意見だ。
 残念ながら、ずば抜けた美貌を持つ子どもにかかれば、それもひとつの宗教画のような光景になってしまったが。
 事実、信心深い者であれば蝶を随行させる黒髪黒目の子どもを見て、目を潤ませてひざまずいただろう。
「おぉー、高いね、おじさん」
「静かにしていろ」
 片手に抱いた生き物の、軽さと温かさに居心地が悪い。
 これだけ近ければ、意識せずとも胸元から甘い匂いが漂ってくるのだ。
 不幸なことに、男は狼の獣人だった。 
 その鋭敏な嗅覚が、子どもの匂いをどうしてもとらえる。
「おじさん、あーん」
 子どもが、無邪気にラダの実をひと粒差し出した。
 口元に寄せられた実から、ほどよく熟れた甘い匂いがする。
 いつのまにやり方を覚えたのか、片手で皮を剥けるようになったらしい。
「俺はいらん」
 ほっそりとした指が、簡単に食らいつけそうな距離にある。
 寄せてこられた手から顔をそらして、すげなく断った。
「ヲセ」
 名を呼ばれて、頭の上に生えた三角の耳がぴくりと反応する。
 それに合わせて胸元を見ると、こちらをじっと見据える黒い瞳。
 その中には錆色の、ありふれた狼獣人が閉じ込められていた。
「あーん」
 小さな指が、果実をヲセの唇に寄せる。
 しぶしぶ口を開けると、甘い味が口内に広がった。
 果実の味だけでなく、それと一緒に入ってきた子どもの味だ。
 甘いという形容が正しいのか、本当のところはヲセにもわからない。
 芳しく、瑞々しく、清廉な、花のような香り。
 まるい爪に、荒れのないやわな指がヲセの味覚を惑わせる。
 妙に、下腹がずくりと疼くような、そんな味だった。
 これが終わったら、女を買おう。
 ヲセは本日何度目かの決意を固めて、子どもの指を口から離した。


◇ ◇ ◇

 赤毛に濃い茶色の混ざった錆柄の髪、頭部にそそり立つ三角のお耳。
 ちなみに、これを触ろうとすると怒られる。
 抱き歩かれているときについ手を伸ばしたら、もう片方の手でゲンコツをくらった。
 ちょっとくらいいいじゃない!
 見ようによってはかわいらしいそのパーツにも関わらず、おじさんの顔はたいへんしぶい。
 浅黒い肌に凛々しい眉毛、眉間のシワ。
 険しい表情に、金の瞳。
 口元は基本的に引き結ばれていて、全体的に気難しそうだ。
 顎にはちょっとだけ無精ひげが生えていて、そこがまた男くさくていい。
 なんだそのギャップ。
 ふわふわのかわいさと、ムキムキの格好よさのハーモニー。
 おまけに強い。
 どのくらい強いかというと、私が突然この森に現れてものの数分で馬鹿でかいイノシシみたいな生き物に襲われた瞬間、どこからともなく現れてばっさりとイノシシを切り捨てちゃうくらい強い。
 墓参りの途中で現れた蝶をなんの気なしに追いかけた結果、気づいたときにはさっぱり心当たりのない森を歩いていたときにはどうしようかと思った。
 この歳で迷子かと慌てて辺りを見渡せば、なぜか大量の蝶々が私のあとを追うようにはばたいていて、恐慌状態になって、走り回って、疲れて、しゃがみ込んだ直後の話である。
 携帯も財布もいつのまにか落としたらしく、無事だったのはソーダ味の飴玉ひとつだ。
 これで、どう森を切り抜けろというのか。
 途方に暮れて立っていても、ただ時間が過ぎるばかり。
 背後から聞こえた荒い鼻息に振り返れば、あきらかに興奮した様子の大きなイノシシがいた。
 身の丈ほどの大イノシシが前足で数度地面をかき、突進しようとかまえている。
 こげ茶の目がギラギラと光って、視線に射竦められた私は動けなくなった。
 イノシシの片耳についているエメラルドグリーンの小さな石が木漏れ日を受けて、きらりと光るのが妙に目についたりして――。
 周囲の蝶々が、慌てたようにはばたく。
 その一拍後、草むらに隠れていたらしいおじさんが飛び出してきて、イノシシの腹の辺りをざっくりと突き刺した。
 そう事態を理解したのは、イノシシが血を噴き出して倒れたあとのことだったけど。
 ともかくお礼を言おうと声をかけて、困った。
 言葉が通じないのだ。
 おじさんの言葉は聞いたこともない響きで、私の言葉もおじさんにとってはきっとそうだった。
 困ったことになったと思ったのは、お互いさまのようで。
 ただでさえ厳しい顔のおじさんの、眉間のシワが深くなる。
 見つめ合うこと、しばし。
 がしがし頭をかいてから私に手を差し出したおじさんを見て、迷わず手を取れば金色の目が驚きにまるくなった。
 妙にかわいらしいその表情に、状況を忘れて笑顔になる。それとは対照的にしぶい顔になるおじさん。
 えっ、そんなに笑顔不細工でしたでしょうか。
 個人的には、けっこうイケてるほうだと思っていましたが。
 大きくて硬い手で、しゃがみ込んでいた私を引っぱって立たせてから、ついてこいと身振りで要求される。
 今後どうしていいのかもさっぱりわからない私は素直についていくことにして歩き出す。
 聞きたいことは、山ほどあった。
 いま思うと落ち着いていたように見えて、混乱の極みだったのだろう。
 なにせ、言葉の通じないおじさんに話しかけ続けたんだから。
「おじさん、助けてくださってありがとうございます」
「でもどうして、私はこんなところにいるのでしょうか」
「私がいたところはお母さんの墓で、今日は墓を掃除しようとしてたんですけど」
「それにおじさんはどうして剣を持っていて、どうして頭にそんな耳がついているんですか? 趣味?」
「その大きなマントは、どこに売ってたんですか? もしかして、手作り?」
「そのふさふさの尻尾のアクセサリーも。流行っているんですか?」
 絶え間なく質問を浴びせ続けていると、心底面倒そうな顔で、腰に下げていた袋から干し肉をひとかけら与えられた。
 言葉が通じなくても、これはすごくわかる。
 これでも噛んで、黙っていろというところだろう。
 子どもあつかいをされている気もするが、おじさんのそういう雑なところに、むしろきゅんきゅんくる。
 遠野明日香、二十歳。
 子どもあつかいされる機会は、なかなか貴重だ。
 できれば引き続き、子どもあつかいで甘やかしてほしい。
 渡された干し肉を噛む。
 一回ではまったく噛み切れる気配がなくて、二度、三度と挑戦する。
 固い。すごく固い。
 しかも、いまは噛むことだけに集中するわけにはいかない。
 足元は土と木の根っこと草で不安定だし、視界の端では、はばたく蝶達がちらちらと気を散らす。
 初めて(おそらく)手作り干し肉を食べるには、不向きと言わざるを得ない。
 苦労して、口の中でふやけたそれを少しずつ飲み込んだ。
 それを繰り返して、最後のひと口まで食べきる。
「ぷは、おいしかったけど固すぎるよ、おじさん!」
 あぁ、本当に顎が疲れた。
 顎関節症になっているかもしれないが、いまは財布がない。つまり、保険証もない。
 こうなっては、顎よ無事でいてくれと祈るしかない。
「おまえが、きゃんきゃんうるさいのが悪い」
 おじさんが面倒くさそうに応じてから、はたと気づく。
 その瞬間に、私も気がついた。
「言葉は、わからんふりだったのか」
 金色の目がすう、と細まって私を睨む。
 やだ、超かっこいい。
 だがときめいている場合じゃない。
 これは、完全に疑われている様子だ。
 だからといってどうすれば疑いが晴れるかなんてわからなくて、何も言わずにふるふると頭を横に振った。
 蝶達が、私のまわりを寄り添うように飛ぶ。
 薄明の虫達は、なぜ私に付きまとうのだろうか。
 いまのところ害はないように思えるけど、目に見えていないだけで何かがあってもおかしくはない。
 例えば光る鱗粉は、あんまり吸うと身体に悪いとか。
 蛾の鱗粉には毒があると聞いたことがあるけど、この蝶にもあるかもしれないじゃないか。
 そういえば現在、虫の粉を吸い込んでいるのか……。
 気分悪くなってきた……。
「……わかった。どっちでもいい。とにかくついてこい」
 おじさんが頭をがしがしかいて、ため息を吐いた。
 気だるげなムキムキ中年とか、なんのご褒美だろうか。
 そんなことを口に出すと、今度こそ置いていかれかねないのでうなずくにとどめて、また別の質問をする。
「おじさんは、名前なんて言うんですか?」
 最低限、これだけは知っておきたい。
 いや、欲をいえば何歳なのかとか彼女はいるのかとか、黒髪は好みかとかいろいろ知りたいのだけれど。
 これは、おいおいでいいや。
 なんの根拠もないのだけれども、おじさんとはしばらくは一緒にいるのだろうと勝手に感じた。
 おじさんが、私を横目で見下ろす。
 金色の目に親しみはなく、ただ見上げる私が映っている。
 あ、これは教えてもらえない感じだろうか。
 剣を下げて犬耳(?)を付けている人なんだから、名乗りたくなくてあたりまえなのかもしれない。
 少なくとも私の知るかぎり、あんなサイズの刃物を持ち歩いていれば、警察に通報ものだ。
 許可を取っていれば、別だろうけれど。
 はたして獣耳をつけて森の中を闊歩する人間に、刃渡り6センチをゆうに超える刃物を持つ許可は降りるのだろうか。
 私にとっては命の恩人なのだから、通報する気なんてこれっぽっちもないのに。
 いまさらながら、心臓が嫌な感じに早鐘を打ち始める。
 なぜ墓掃除をしていただけなのにこんな森に迷い込んだのか、私についてくる光る蝶はなんなのか。イノシシって、あんなに大きいものだったろうか。
 食べると、言葉がわかるようになるお肉?
 そんなまさか。
 おじさんが、私をだまそうとしているのかな。
 でも、私と最初は言葉が通じないなんて演技をする意味は?
 おじさんの頭についている耳は、私が見たこともないくらいできがよくて、おじさんのお尻から生えているふさふさの尻尾は、ちゃんと肉が入っているかのように揺れて、歩くに合わせて振れている。
 私には、何ひとつわからない。
 ここがどこなのかも、目の前のおじさんが誰なのかも。
 意識して作っていた笑顔が、不自然に強ばっていやしないだろうか。
「……ヲセ」
「え?」
「俺の名前だ」
 おじさんがぶっきらぼうに言って、ふたたび歩き出す。
 ヲセ、ヲセ、と頭の中で繰り返す。
 聞いたことのない響きだ。
 頭の中で自然と文字になったけど、それは見たこともない形の文字だった。
 それでも、それはたしかにおじさんに似合いの名前に思えた。
「あ、私の名前はね、遠野……んぶ!」
 自分も名乗ろうと声を上げたら、下の名前を言う前に蝶が一羽口元に突撃してきて思わず口を閉じる。
 さっきまで、ついては来ても私に接触しようとはしなかったくせに、なんてタイミングだ……!
「わかった、トーノ。行くぞ」
「や、そうじゃなくて、いや、そうなんだけども……!」
 うまい説明の仕方を考える猶予も与えずに、おじさんはさっさと歩く。
振り向きもしない。
 下の名前で呼び合えば、もっと距離感が近くなると思うんだけどなー。
 合コンとかでも、最初から下の名前で呼ばせると難易度が下がったし。
 なんのとは言わないけど。
 歩きにくい黒長靴をガポガポいわせながら、揺れる尻尾のあとに続いた。

[鳥下ビニール 作品一覧]
異世界で奴隷になりましたがご主人さまは私に欲情しません[4]
異世界で奴隷になりましたがご主人さまは私に欲情しません[3]
異世界で奴隷になりましたがご主人さまは私に欲情しません[2]
異世界で奴隷になりましたがご主人さまは私に欲情しません[1]

[eロマンスjpの連載情報はツイッターでcheck!]

全話スグ読める電子書籍はコチラ↓

おじさんはショートボブを知らない[1]

おじさんはショートボブを知らない[1]異世界ケモミミ奇譚 シンリンオオカミとぶらり二人旅

著  者
鳥下ビニール
イラスト
国原
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
92 円(税抜)
シリーズ
おじボブ
※各配信書店で販売金額が異なる場合があります。

以下の書店名をクリックすると、電子書籍版の購入ページへ移動します。

配信書店の一覧はこちら