er-運命、じゃない恋。

玉砕の逆プロポーズ
第1回

玉砕の逆プロポーズ

2017/08/25公開
「……ごめん、結婚できない」
「は?」
 口から出たまぬけな声が耳に返ってきた。店内にはピアノの生演奏が流れているにも関わらず、その声はやけに響いたように感じられた。
「ユキのことは、好きだよ。だけど――」
 そこで彼がすぅっと息を吸い込んだので、その先に続く言葉を予感してごくりとつばを飲み込む。
「ごめん」
 目の前にいる恋人――改め元彼が、口もとに手を当てながら視線を泳がせる。これは彼が考えごとしているときのクセだ。そのくらい、5年間も付き合っていればお見通しなんだゾ☆
 ……と、空元気を出して虚勢を張ってみた私、羽鳥ユキは、満開の桜が美しく咲き誇るこの東京で、今日、30歳になった。さよなら20代、こんにちは30代(たそがれ)というわけなのです。
 記念すべきこの日、私は彼を誘い、イタリアンレストラン『Fellini(フェリーニ)』にやってきた。正直、量が少ないわりに値段の高い料理はそれほどおいしいわけでもないけれど、本場イタリアで大人気というふれこみに人が殺到し、休日ともなればものすごく混む。なのでわざわざ今日のために、3ヵ月も前に予約を入れた。それに今日はメイクだって1時間半かけて完璧に仕上げたし、美容院に寄って髪のセットまで頼んだ。と、ここまで気合いを入れたのには、理由があった。それは、彼にプロポーズをするため。……結果はご覧のとおり無残に振られたわけだけど。
「……ほかに好きな子がいるんだ」
「はぁっ!?」
 今度は大声がハッキリと店内に響き、驚いたピアニストが一瞬、演奏の手を止めた。なにごとかと驚いたほかのお客さんたちも会話をぱったりとやめ、ふたりの会話にじっと耳を傾けているみたいだ。
「ごめん」
 三度目の“ごめん”と一緒に、彼は深く頭を下げた。
 ……あぁ、おやめください、こんなのまるで拷問です。
 だって隣の客も、そのまた隣の客も、おまけにピアニストまで、店にいるほぼ全員が固唾を飲んで私たちの様子をうかがっているというのに。
「俺のことが好きだってあんまりしつこく言うから、一回だけのつもりだったんだけど――」
「一回だけって……まさか寝たの!? その子と!?」
「いやだから、あんまりしつこく誘ってくるから」
 なんということでしょう!
 プロポーズを断られたあげく浮気まで告白されてしまった! わはは、わはははは! ……これはもう、本当に笑うしかない。
「最初はなんとも思ってなかったんだ。だけど最近、彼女のことが気になっちゃって……」
 話をまとめると「浮気のつもりで一回寝てみたら、思いがけず本気になっちゃった」というやつであり、これはその相手の女の作戦勝ちにほかならない。私は戦わずしてその女に負けたのだ。なにも知らず、喜々としてマイバースデイの準備をしていた私の、なんとまぬけなことか。
「ごめん! 本当~に、ごめん!!」
 4回目と5回目の“ごめん”を続けざまに口にした彼が、眉毛をハの字に歪めた情けない表情を浮かべている。私はその顔を見ながら(そういえばこの人、ちょっと鮒に似てるよな)と思うことで、なんとか怒りや悔しさをやり過ごそうとがんばってみたけど、そううまくいくはずもない。
 ――と、そのとき。
 彼の肩越しに見えた初老のウェイターと、ふいに目が合った。
 すると、そのウェイターは私に向かって“承知”とばかりに満面の笑みを浮かべ、大きくうなずく。
(――しまったっ!!)
 ウェイターのそのうなずきに、あることを思い出した私は、あわてて彼をとめようと腰を浮かす。
 しかし、時すでに遅し。
 ウェイターがピアニストに向かってさっと手を振り下ろすと、ピアニストはこれまでの静かな曲とは打ってかわった大音量である曲を演奏し始めたのだ。ジャジャジャジャーンでおなじみの、あの曲である。
「田宮さま、ユキさま、ご婚約おめでとうございますッ!」
 満面の笑みを浮かべたウェイターが、シャンパングラスとボトルを持って私たちの席にやってくる。一方、目の前の彼は突然のことに理解が及ばず、目をまるくして口をぱくぱく開け、ますます鮒に似た顔で私とウェイターを交互に見比べている。
「ユキさまにオーダーいただきましたシャンパンをお持ちしました。こちらはおふたりの想い出のシャンパンだとお聞きしております」
 そう、これはふたりではじめて一緒の夜を過ごした(ひらたく言うとはじめてセックスした)ときに飲んだシャンパン。私が頼んだのだから間違いない。
「ユキ、これは――」
「いやはや、女性からのプロポーズとは……時代は変わったものですね。美人なうえに行動力のある奥さまとご一緒になられる田宮さまがうらやましいかぎりです。おっと、失礼いたしました――奥さまとお呼びするには、まだ早すぎますね、マドモアゼル」
 彼の言葉をさえぎり、かかかと笑ったウェイターがグラスになみなみとシャンパンを注ぐ。一方、美人な上に行動力のあるマドモアゼルな私はといえば、この羞恥プレイについに耐えられなくなり、血の気が引き強ばった顔を両手で隠しうつむいた。
 おそらくこの店にいるほぼ全員――客も、店員も、ピアニストですら、いまの私の超地獄的状況に気がついているはずだ。彼とこの人のいいウェイターをのぞいては。
「僭越ながら、おふたりの門出を祝福して私からもお祝いがございます」
 そう言うと、ウェイターがもう一度、ピアノに向かって合図を送る気配がした。すると少し間を置いてから、ピアニストが例の結婚式ソングとして有名なサンバを奏で始めた。
 本当にもう勘弁してください……神さま、仏さま。私はそんなに罪深いことをしたのでしょうか?
 ここぞとばかりに祈ってみたが、不信心な私を助けてくれる神さまはもちろん現われず、陽気な前奏が終わるとウェイターが店内に響く大きな大きな声で歌い始めた。
「……ユキ、これどういうこと?」
 身を乗り出して、たずねる彼(鮒似)。
「プロポーズを受けてもらえると思って、お店の人に頼んでいたの……お祝いのサプライズ」
 顔を隠したまま、答える私。
 固唾を飲んで見守る、お客さんたち。
 戸惑いの中、演奏を続けるピアニスト。
 そして――ご自慢のバリトンボイスでサンバを気持ちよく歌い上げる、鈍感なウェイター。


 ――と、これがいまから約3時間前、私の身に起こった地獄のようなできごとです。
 あのあと、律儀に会計をすませてから(おごってもらえばよかった……)、そのまま逃げるように店を出たのだけれど、彼と最後にどんな言葉を交わしたかもよく覚えていない。胸がつまるように痛くてうまく声が出なかったし、彼の前で泣いてしまうのが嫌で、早くその場から離れたかったのだ。
 5年間、ほぼ毎日のように交わしたメールも、朝まで抱き合った週末の夜も、今日ですべてが最悪のかたちで終わってしまった。あまりにも突然すぎる別れ。私は明日からどう生きていけばいいんだろう。先のことを考えると、底なし沼みたいに暗く重い気持ちに沈んでいってしまう。
「……おじさん、もう一杯」
「お嬢ちゃん、無理して飲まないほうがいいんじゃないの?」
「いいから、もう一杯っ!」
 手にしていたコップをタンっとテーブルの上に打ちつけると、店の親父さん(と、ほかのお客さんが呼んでいた)はしぶしぶ、グラスに日本酒を注いでくれた。
 ……そうそう、お伝えしておりませんでしたが、ここは居酒屋です。彼と別れたあと、どうしてもひとりで帰る気がしなかった私は、その足で赤提灯輝く居酒屋“大五郎”ののれんをくぐり、そこでやけ酒をあおっているのであります。
「いただきま――ぐふっ」
 グラスをつかみ、中の液体をぐぅっとひと息に飲み込もうとしたが、むせた。じつはこれでまだ2杯目なのだが、酒に弱い私はすでにかなり酔っぱらってしまっている。
「ほれ見たことか」とあきれ顔の親父さんを無視して、なるべく頭をからっぽにしようとアルコールにまかせボンヤリしていると、テーブルの上に置いてあったスマホが薄く光り、通知を知らせてるのが目に入った。気になって手に取ると、画面には『あなたの発言に“いいね”が25件つきました』とSNSからのメッセージが表示されている。
 じつは今日、出かける前に、とびっきりめかし込んだ自撮り写真と共に、私はSNSに思わせぶりな書き込みをしていた。
『これから彼とイタリアンデート。今日は特別な日になる予感です♪』、と。
 見栄っぱりで承認欲求が強い私の“すてきな私の、すてきな一日”アピールに、ネット上の友人・知人からついた“いいね”は合計で83個。なかには、「いよいよプロポーズですか? おめでとーございます!」なんて、コメントまでついている。……どうすんだ、これ。
 美人だけどそれを鼻にかけるわけでなく、謙虚で気さく。なにごともソツなくこなすすてきな私――そんな人間を目指して、いままで生きてきた。だけど知っている。本当の私は見栄っぱりで調子に乗りやすいし、化粧でうまくごまかせてはいるけど、それほど美人ってわけでもない。親友が私を評して言った「ツメの甘いほどほど美人」という言葉は、すごく的を射ていると思う。
 こんな私だから、逆プロポーズなんて馬鹿なことも考える。見事、プロポーズを受けてもらえたあかつきには、結婚式で「頼りない彼に変わって、私がプロポーズしたんです」な~んて、先進的な女性を気取ってドヤ顔する気満々だったのだ。……それにしても、フラッシュモブまで頼まなくて、本当によかった。これぞまさしく不幸中の幸い。
 携帯の小さい画面の中には、これからこっぴどく振られることも知らずに浮かれている数時間前の私。
 それを見ていると自分があんまりにもみじめで――こらえきれず涙がにじんできた。
「……お嬢ちゃん、なんかつらいことでもあったのかい?」
 カウンター越しに親父さんが、おそるおそる声をかけてくる。なぐさめるというよりは、危ない人を見かけたおまわりさんみたいだ。
 そりゃあアラサー女が、初めて入ったボロ居酒屋でひとりで泣いてるこの状況、ものすごくみっともないってことはわかってる。
 だけど悲しくて、腹立たしくて、情けなくて、胸が痛くて……涙がこぼれてしかたないのだ。
 せめてこんな無様な顔は、人に見られたくない。かばんからハンカチを取り出し、あわてて目を拭う。
「――痛っ、痛たたたたたっ!!」
「ど、ど、どうしたってんだ、突然!?」
「眼が……痛いぃっ!!」
 眼球に太い注射針でも刺されたみたいな激痛が走った。
 あまりの痛みに、ボロボロと涙をこぼしながら目をこすると、コンタクトレンズが両眼から、ずるりと落ちてきた。
 テーブルの上に顔を近づけると、砂浜に打ち上がったクラゲのようにくしゃくしゃにまるまったレンズがふたつあるのがぼんやりと見える。私は裸眼だと0・05しかない。コンタクトをつけていないと、たとえ親父さんの顔が魔法の力で美少年に変わっていたとしても、それに気づかないほど目が悪い。
「……最悪」
 おまけに今日は、予備のコンタクトもメガネも持ってきてない。不運は不運を呼ぶんだろうか。我ながら、とことんツイてない。
「はぁ……もう死にたい」
 大きなため息をつきながらつぶやく。すると――
「え? おねーさん、死んじゃうの?」
 すぐそばで妙に明るい声がした。隣に座っていた男が声をかけてきたらしい。
「もったいないなぁ、まだ若いのに」
 30女をつかまえて、なにを言っているんだ、こいつは。
 腹が立ち、隣に座っている男をきっとにらみつけてやったが、その姿形はボンヤリとふちどられているだけで、若いのか、年をとっているのか、はたまた本当に男なのかじつは女なのか……よくわからなかった。
「なによ、なんか文句あるの」
「……うわぁ。おねーさん、すんごい怖い顔」
「悪かったわね、こうしないとよく見えないのよ」
「目、悪いの?」
「悪いわよ、すっごく」
 男が、テーブルの上にまるまったコンタクトに顔を向ける。
「もしかして、俺の顔も見えてない?」
「見えてるわよ」
「どんな顔?」
「どんなって……目と鼻と口がある」
「そりゃあるでしょ、人間だもん」
 男がぷっと小さく笑う。
「……ねぇ、おねーさん、どうして死にたいの? 教えてよ」
 悪びれずにそう言う声には、どこかにあどけなさが残っている。こんなしぶい店で飲んでいるわりには、若そうだ。アラサー女が泣いてるのをおもしろがって、ガキがからかいにきたのかもしれない。一瞬、腹が立ったけど、すぐにまぁいいか、と思い直す。今日はどんなに腹の立つ相手でも、誰かと話しているほうが、まだ気がまぎれる。
「死にたくもなるわよ。さっきプロポーズして、断られたんだから」
「えっ!? おねーさんがプロポーズしたの!? 彼氏に!? 本当にっ!?」
「……こんなバカな嘘をつくわけないでしょ」
「うわ、すごいな……そんなことって、本当にあるんだ」
「悪かったわね、30にもなって驚くほどのアホで」
「えっ!? おまけに30歳!? ますます、すごいな……」
 男はなぜだか感心したように、私の姿を頭の先からつま先までジロジロと眺め回した。なんだこの若造は。この痛々しいアラサー女が、そんなにも珍しいのか。
「……おねーさん、くわしく教えてよ。どんなふうに逆プロポーズして振られたの?」
「あなた、人の失恋話そんなに聞きたいの」
「うん。俺、おねーさんのことすごく知りたくなった。おねーさんも誰かに話したいんじゃない? 何杯でも付き合うから、俺にぜんぶ話してよ」
「……へんなやつ」
 そう言うと、男はにっこりと笑顔を浮かべた――ような気がしたが、よく見えなかった。

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er-運命、じゃない恋。

er-運命、じゃない恋。アラサー女に恋は難しい

著  者
田山そふと
イラスト
中田恵
レーベル
eロマンス文庫
価  格
454 円(税抜)
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