白骨の貴方に臓物と愛を【電子書籍版】

白骨の貴方に臓物と愛を
第1回

白骨の貴方に臓物と愛を

2017/09/27公開

[p r o l o g u e]

 抱きしめても、冷たい。
 臓腑がすっぽり抜け落ちた胴。
 乳房をいくら押しつけようとも、肉の弾力は返ってこない。

『骨』という構造体が、彼の体のすべてだった。

 接吻を交わす唇がなくとも、つながるための性器がなくとも。
 五本の細く白い骨が体をなで回るだけで、マルリは歓喜にうち震えた。

 ごめんなさい。ごめんなさい。
 あなたは私だけのもの。
 忌み嫌われる貴方の姿に、独占欲が満たされる。





[1]王女の帰還 ―― 麗しの淑女の為人

 モリッツランドの王都プロイッヒ。
 丘の上、堅牢な盾壁に囲まれた王城に、ある日一台の馬車が到着した。
「出迎えご苦労さま」
 透き通った声が、風に乗る。
 青嵐よりも穏やかだが、一瞬にして誰もの心を魅了するような、生命力に溢れた声だ。
 黒いたてがみの馬が引く黒い箱から現れたのは、若い女性。
 彼女がその身に纏っているのは、ブーツがのぞくふくらはぎ丈のスカートに、身頃も袖も無駄なく身体に密着した上着。煌びやかなドレスではないのは、長旅の負担を軽減させるためだろう。
 しかしながら、簡略化されているからといって劣っているというのとも違う。
 襟や手袋にあしらわれた繊細なレースは、一流の職人によって一つ一つ丁寧に編まれ、バッスルスカートの膨らみの豊かさ美しさも、国随一の仕立て屋によって綿密に計算されたものだ。
 場合によっては夜会で着用するドレスよりも手間暇がかかっているだろう。
 彼女自身もまた、それだけ見事な服をあっさり着こなし、黄金すら見劣りするほどのつやつや煌めく金髪を風になびかせる、それはそれは美しい淑女であった。
 名を、マルリ・ウッドヴィルという。この国の第二王女である。
 ピンとまっすぐ伸びた太眉は彼女の意志の強さを、その眉よりも高い位置で切りそろえられた前髪は潔癖さを、そして、少しだけ吊り上がった目とすっと通った鼻筋は、彼女の気高さを表していた。
 十歳のころより八年間、マルリは王都から遠く離れた地にある名門トリアウエ魔法学校にて、魔法について学んでいた。在学期間中、彼女は勉学に没頭するあまり、一度たりとも王都へ帰郷することはなかった。
 それゆえ、王都の者は、マルリの父である国王を含め誰もが、学校へ直接赴くか調査官の報告書に目を通さねば、彼女の様子をうかがい知ることはできなかった。
 報告書によると、魔法、とくに魔方陣と呪術について並々ならぬ関心を寄せ、他を大きく引き離すほどずば抜けた成績を長年維持し、首席で卒業したということであった。
 しかしながら、報告書に目を通しただけでは彼女の容貌がどれだけ美しく花開いたかなど、誰ひとりとしていまのいままで知ることはできなかっただろう。
 馬車から降りて早々、彼女はヘイゼル色の瞳をきょろきょろと動かし始めた。
「ヒューゴ……ヒューゴは? 彼はここにはいないの?」
 マルリが姿を現すと、その場に控えていた者はみな、彼女の美貌に目を奪われた。
 けれども、時間としてはほんの一瞬にすぎなかった。
 王女の口から「ヒューゴ」という名が飛び出したからだ。

 ――お綺麗になられて。なんとお美しい。
 ――あの事件から十年も経ったのに、王女はお忘れにはならなかったのか。

 興奮と同時に湧き上がる落胆。忠臣に、騎士に、取り巻きに。彼らの顔色は総じて、決して好ましいものではない。
「……マルリさま、ヒューゴ・ディケンズはあなたさまのお出迎えには参りません」
 誰かが伝えなくてはならないことを告げたのは、騎士のひとり、カイル・ペテルセンであった。
 カイルも騎士の一員である。
 しかし整列しているアグディスティス騎士団ではなく、国王直属の近衛騎士団に所属しているため、制服もマントの色も胸に輝く紋章も、この場の誰ひとりとも一致しない。
「なぜ?」
 マルリのそばにひざをつき、下を向いたままカイルはふっと笑いをもらした。
 ヒューゴ・ディケンズ――幼いころから想いを寄せていた男――にかかった呪いを解くために、魔法を学んできた女。それがマルリ。
 愛なのか、単なる同情か、見捨てることへの罪悪感か。
 カイルにはわからない。
 しかし、マルリの心がわからなくとも、王都へ帰還してすぐにヒューゴのことを口に出すということはつまり、あの男を忘れていないことに違いはない。
 どれだけ己が美しくなったか、マルリ本人も気づいていないわけはないだろう。だとしても、あの畏怖の対象と化してしまった男のことを、彼女は変わらず想っているようだ。
 ヒューゴの幼なじみとして、あるいは親友として。昔と変わらないマルリの恋着が、カイルにはとても嬉しかった。
 カイルは顔を伏せたまま、マルリの疑問に回答する。
「マルリさま。魔導師は誰ひとり、あなたさまのお出迎えに配置されておりません」
「魔導師? ……あぁそうね、ヒューゴは魔導師になったのですものね」
「はい」
 もともと、ヒューゴもカイルと同じ騎士だった。同じ騎士団に所属していたが、あの“呪い”を受け適性が大きく変化したため、魔導師団へと転属していた。
 呪いによってヒューゴに宿った魔力は、他の魔導師をはるかに凌駕する規模だった。十人分、百人分、もしかしたら千人分にも匹敵するだろうか。幾度魔法を繰り出しても、どれだけ大きな魔方陣を発動させても、彼の魔力が尽きることはなかった。
 疲れを見せず、息すら上がらない。もっとも、彼が呼吸できるのか、疲れを感じる体なのかは誰にもわからないけれど。
 一般的な魔導師ならば後方支援を担っているところ、彼だけは支援どころか先陣を切って敵を迎撃する役目を背負わされていた。
 おどろおどろしい見た目に違わぬ恐ろしいほどの魔法の威力は、他国を圧倒するだけでは飽き足らず、自国民、さらに同僚までもが彼を恐れるほどだった。
 マルリは苦々しげにため息をひとつ吐く。
「私、王都を離れていた八年間ずっと、彼と文通をしていたの。今日のこの日に帰ってくるから、かならず出迎えに来て、って。最後に送った手紙には、そう書いたわ。なのに、なぜ来ないのだと思う? ええと……あなた、名前は?」
「カイル・ペテルセンと申します」
 遠くにたたずむ東棟――魔導師たちの詰所と研究室を兼ねている――を見つめていた彼女の顔が、ぱっとカイルに向けられた。
 彼はまだ、ひざをつき頭を下げたままだ。その己よりも淡く儚い金髪を見て、マルリは大きな目をひときわ大きく瞠目させた。
「カイル? あなた……カイルなの? ヒューゴのお友だちの、カイル?」
「……はい、そうです。おひさしぶりでございます、マルリさま」
 顔を上げるよううながされたカイルは、順々にマルリを見上げていった。つま先、スカート、腰、胸元、そして最後に彼女と目が合って、驚いたまま止まった王女ににこりと破顔してみせた。
「カイル……ええ、覚えているわ。昔と変わらない。私の記憶の中のままだわ」
「マルリさまはずいぶんとお綺麗になられましたね。国内外の男たちがいっせいに王都に押しかけて来そうです」
 マルリにはナターシャという未婚の姉がいた。
 八つ年上で、金色の髪にヘイゼル色の瞳のマルリとは対照的な、こげ茶色の髪にこげ茶色の瞳を持った、よく言えば控えめ、悪く言えば地味な姉。内向的な性格が表情にまで表れているのか、<第一王女>という肩書きがなければ誰の目にもとまらぬような女性であった。
 地味で根暗な王女のもとへ押しかけてくる男など、権力を狙う輩ばかり。
 ナターシャもそれを理解していたからか、舞い込む縁談にあれこれと注文をつけ片っ端から断ってきた。そのおかげで、いまではすでに「傲慢な行き遅れ王女」として陰口を叩かれるまでにいたっている。
 たぐいまれな美貌と若さを持ったマルリが王都へ帰還してきたとなれば、第一王女に近寄る男はぐっと減るのではなかろうか。
 そんなことを考えながら第二王女の美しさを褒め称えるも、マルリの心には響かない。
 彼女には美醜よりももっと大切なことがあったからだ。
「ヒューゴは元気? 彼、ちゃんと食事は摂っている? ……それよりもまず、彼は食事を摂るのかしら。結婚は? 恋人は?」
「元気にしています。食事もきちんと摂っていますよ。未婚で、女性の影も見られません」
 変わり果てた姿となったヒューゴが、恋愛、ましてや結婚するなど、世界中どこを探しても「可能」と答える者はいないだろう。
 もちろん、マルリを除いて。
 きりりと整えられた眉を『ハ』の字に緩ませ、マルリはふにゃりと微笑んだ。凜として大人びた十八歳の顔は、途端に可憐な少女に戻った。
「そう。……よかったわ」
 胸をなで下ろすマルリを見て、カイルは少し複雑な気分だった。
 カイル・ペテルセン。
 金髪碧眼、長身の、腕の立つ騎士である。にもかかわらず中性的で体の線は細く、むさ苦しい男たちの中に身を置きながら、数々の女性を虜にしてきた男だ。
 しかしながら、目の前に在る第二王女マルリが見せるカイルに対する反応は、一介の騎士に対するそれと同じである。
 ただひとつ違うとすれば、カイルがヒューゴの幼なじみであり友人だという点。
 カイルは伯爵家の嫡男として生まれ、対するヒューゴは侯爵家嫡男として生を受けた。貴族の嫡男同士で、歳も同じ。士官学校に入るよりも前から家族ぐるみの交流があり、入校してからも共に研鑽し合い、同じ騎士としてマルリのそばに配属されていた。
 共に過ごした時間に比例するように、ふたりはいつしか兄弟のように親しい間柄となっていた。
 そして、カイルがヒューゴに近しい男だとマルリも知っているからこそ、こうして笑顔を見せるのである。
 もしもカイルがヒューゴとは無関係であったなら、きっといまのようになごやかに会話をする機会もなかっただろう。
 どれだけの歳月を経ようとも、マルリにとってカイルは「ヒューゴの友人」という位置付けにすぎず、それ以外に価値はない。興味がないと言ってもいい。
 マルリが変わらずヒューゴを好いていることについて、カイルはヒューゴの友人として微笑ましく思う一方で、この扱いの差に若干の不満を覚えなくもなかった。
 しかし、マルリとカイルのふたりのあいだには身分の差が判然とあるのだ。
 カイルは不満を胸の奥に片づけて、気を取り直し――どちらかというと諦めてしまってから――マルリに新たな問いかけをする。
「マルリさまとヒューゴが文通をなさっていたなんて初耳なのですが、それで、あの男はなんと返信を?」
「ないわ」
「…………はい?」
「ないのよ」
 文通をしていたのではなかったのか。
 平然と言ってのけるマルリを前に、カイルの頭には疑問符が溢れる。
「いつもないわ。私から書いて送るだけ。ヒューゴから返事をもらったことは一度もないの」
 相手はこの国の王女だというのに、かつてはあんなに仲睦まじかったというのに。
 ヒューゴのやつ、なんとそっけないことか。
「恐れながらマルリさま、一方的に文を送りつける行為を、文通と呼ぶことはあまり一般的ではありません」
「カイル、私をヒューゴのところへ案内して」
 目を覚ましていただきたいという願いを込めてカイルは進言を試みたが、マルリは聞こえていないふりだ。
「残念ながらなりません」
「では、ヒューゴをここに連れてきて」
「それもなりません。まずはお帰りになったことを国王陛下にご報告ください」
「嫌よ、時間がもったいないじゃない。私が会いたいのはお父さまではなくヒューゴなの!」
 眉間にしわを寄せ、苛立ちを表すマルリだが、カイルをはじめ一同は皆、帰還直後であったとしてもマルリが駄々をこねる可能性も視野に入れていた。
 打ち合わせで用意していたとおりの台詞を、カイルは何食わぬ顔で口にする。
「国王陛下が『ヒューゴ・ディケンズの件については自分の口で説明する』とおっしゃっておいででしたが……」
「ヒューゴのことを、お父さまが?」
 思惑どおり、そうしてマルリはおとなしくなったのだった。



「十年でマルリさまがあれほどまでにお美しくなられるとは、さすがの僕も驚いたよ」
「俺はじゅうぶん予測していたことだけどな。そのぶん、成人なさったマルリさまを直に拝見できないのは残念なことで……いや、マルリさまのお出迎えに行く気など最初からなかったけど」
 マルリの帰還を見届けてから、カイルはヒューゴに会いに行った。
 騎士と魔導師は昔から仲がいいとは言い難く、騎士は西棟、魔導師は東棟というふうに、棲み分けがきっちり決められていた。
 各棟の一階部分に設けられた連絡所くらいであるならば、出入りする者もいるにはいるが、あくまで業務上必要となる事務連絡をこなしているにすぎない。
 そんな中、騎士でありながら魔導師棟の上階、それも彼らの研究室に出入りする者など、カイルくらいしかいなかった。
 マルリについての簡単な報告を受けたヒューゴの表情は、深くかぶったフードに隠れてカイルに読み取ることはかなわない――もっとも、見えていても難しかっただろうけれど――。
 椅子に腰掛けているヒューゴは、手にしていた本をそっと閉じ、思いを馳せるように窓の外をぼんやりと眺める。
「彼女が成長したなら、きっと群を抜いてお綺麗になるだろうとずっと昔から思っていた。……お世辞なんかじゃなく、心から」
 ヒューゴはかつての幼いマルリしか見たことがないので、成人したマルリの姿は記憶の中の少女を成長させてみるしかない。
 髪は変わらず麦畑のような神々しい金色だろう。ヘイゼル色の瞳はよりいっそう大きくなって、やわらかく、落ちそうだったふくよかな薔薇色の頰は、もう化粧を覚えただろうか。
「好きよ」「ずっと一緒よ」と親愛を伝えて下さったあの唇は、どれだけ赤く色づいたのか。
 身長は、四肢は、指は、胸は。
 美しくなることはわかっていても、現実どのように成長したのか、実物を見なければ想像だって限界がある。
 早々に諦め、ため息をひとつ。ふたたび、過去の思い出にひたる。
 つやつや輝く美しい髪。
 白い肌、陽の光によって翡翠色にも琥珀色にも変化する神秘的な瞳。
 そして、自分だけに向けてくれた、あらんかぎりの信頼を込めた、くったくのない、笑顔。
 人は誰でも変わる。
 彼女もきっと、例外ではないだろう。
 ヒューゴは諦めていた。諦めることに慣れていた。
 それと同時に己の身の程も痛いほど理解していた。
 だから、大人になったマルリには、なんらの期待もしてはならぬと、己を律し続けていた。
「学業を終えられたのなら、次は縁談だ。王女として完璧なマルリさまの相手ともなれば、きっと地位だけじゃなく美醜も問題になってくるだろうな。……カイル、君なんかどうだ? 君くらい容姿の整った男でないと、俺だけでなくきっと誰だって認めやしない」
「はあ!?」
 ソファに深く座ったばかりのカイルだが、座り心地を確かめる前にあわてて飛び上がるはめになった。
「まさか! やめてくれ、僕には欲しい女性がいるのに」
「彼女の夫となるのが君なら、俺は安心してまかせられるよ」
 ヒューゴは冗談を言っているつもりなのか。
 しかしその疑いは一瞬で消えた。普段から、ヒューゴは冗談など飛ばさない男だからだ。
 呪いを受けてからは特に。
 淡々と告げられる言葉に、カイルは肩をすくめてみせる。
「勘弁してくれ、あんな女! ……失敬。『あんな女』あらため『マルリさま』は絶対に、好きな男以外は目に入らなくなる人種だ。しかも、好きな男のことならなんでも受け入れてしまうやっかいなほどの懐の深さをお持ちのはずだ。たとえば、暴力を振るうような最低野郎のことも、『これが私への愛の深さなのね』とか言っていっそうのめり込んでいく性質だろう。万一、男がほかの女性に目移りしかけたりした日には、『一緒に死のう? 私が殺してあげるから。さあ死んで、いますぐ死んで?』と笑顔で刃物を突き刺してくるぞ。振りかざすんじゃない、眠いときにあくびをするくらいの自然な動作で、気づいたときにはグッサリ刺されて――」
「いくらなんでも言いすぎだ」
 あまりの言いようにヒューゴはムッとしたようだったが、「言いすぎ」という表現に留めて否定はしないところから察するに、きっとカイルの推測に近いものをマルリから感じ取っていたのだろう。
「とにかく、僕に彼女の相手はできないよ。無理無理、いくら見た目がよくたって、頭がいいお馬鹿の相手は僕には無理。一途な愛はすばらしいけど、マルリさまのは病的な怖さを感じずにはいられないし、あれが僕に向けられるなんて、想像するだけで寒気がして……」
「カイル。彼女を貶める発言は、たとえ君の言葉であっても俺には看過できないぞ」
 ヒューゴの言葉に背をまるめ二の腕をさすり、身を縮こまらせて寒さに震える真似をする。そうやって彼をからかいはしても、根本的にはそのまじめな性格を、カイルは嫌いなわけではない。
 マルリが一途なら、ヒューゴだって一途。よく似たふたりだと、ある種の尊敬の念すら抱いているほどだ。
 しがらみなんぞ取り払って、自分の思いに素直になれと、率直に彼に進言できたらどれほど話がたやすいことか。
 しかし、いまのヒューゴが聞き入れてくれるとは思えない。
 だからカイルも言えないのだ。
「……なんだよその芝居は」
「なんでもない。つい図に乗った。謝罪する」
「そもそも、いまのたとえ話には無理があるだろう。あんなに完璧な女性を伴侶にしておきながら、ほかの女性に目移りするなんてどう考えてもありえない」
「だから僕はマルリさまとどうこうなりたいとは思っていないんだよ。そんなに言うなら君が立候補しろ」
 ヒューゴはかつてマルリの婚約者だったのだ。婚約破棄も、マルリの拒絶によるところではない。
 加えて、マルリはいまだヒューゴを慕っているときた。
「……俺じゃだめだ」
「どうして」
「見たらわかるだろう」
「わからない」
「冗談はよせ」
「冗談じゃない。君のどこがだめなんだ」
 ヒューゴが立った。
 それと同時に窓ガラスが音を立てて激しく揺れた。
 風のせいではない。ヒューゴのそばの窓ガラスから水紋が広がっていくように、不自然に揺れたのだ。
 木枠に当たってガタガタうるさいだけではない。ガラスが歪む不協和音にカイルはとっさに耳をかばう。
 ――彼の魔力に共鳴している。
「この体を! 力を!」
 ヒューゴが声を荒らげた。
「俺を見たら誰だってわかることだ! 誰がこんな死神と一緒になりたいと思うんだよ!? いない、ありえない! ありえないんだよっ!」
 袖口からのぞく手は指は、細く、白い。
 骨だ。
 骨が露出しているのだ。
 魔導師の装束であるローブの上にマントを羽織りその身を覆っているものの、肉のない体つきはどうしたって隠しきれない。
 猫だったなら身体中の毛が逆立っていただろう。
 それほどすさまじい剣幕でカイルに言いつのるも、対するカイルは動じなかった。
「あの女だぞ? 婚約破棄後も君を諦めないどころか、その呪いを解こうとひとり魔法学校に入学してしまう女だぞ? しかも成績はご入学からご卒業まで常に学年首席、王都の者にはたったの一度の手紙すら送らなかったというじゃないか。……君を除いては」
「…………」
 何を迷うことがあるんだ。
 カイルはヒューゴの後押しをしたいが、肝心のヒューゴには友人の激励を受け入れる余裕がいっさいない。
 目を逸らし、顔を手の骨で隠す。
「……美姫の相手は死神じゃだめだ」
「なかなかオツだと思うけどなあ」
「カイルは当事者じゃないからそんな軽口が叩けるんだよ。俺では彼女に何もして差し上げられない」
 窓ガラスの共鳴は止んだ。
 鎮まった部屋で聞こえるのは、ヒューゴのしめっぽい言葉ばかり。
「どうせマルリさまの方が君になんでもしてくださるよ。それこそ、君の呪いだって解いてくれそうな気がするけど」
「いいんだ。俺はいまのこの姿を受け入れているし、身の処し方だってわきまえている。マルリさまが幸せになってくれさえすれば、それが耳に入ってくるだけで、俺は満たされた気持ちになれる」
 違和感ばかりの言葉だと、カイルにはそう感じられた。
 先の発言は己に言い聞かせるだけのものにしか思えず、真実のところヒューゴの「飢え」ばかり伝わってくるのだ。
「ひと目だけでもお会いする気はないのか?」
「ないよ」
「……そうか」
 ヒューゴの意思は固いようだ。
 もう帰るよ、とカイルがしんみり踵を返す。
 とりあえず、今日のところは撤退である。
 親友ヒューゴの幸せのためならカイルは労力を惜しまないが、マルリの帰還からまだまもなく、いまからあせるのは得策ではないと判断したのだ。
「仕事中だったろうに、わざわざ知らせてくれてありがとう」
「気にしないでくれ。僕と君の仲だろう?」
 ヒューゴが呪いを受けてからも、カイルの態度は変わらなかった。
 面倒見がよく、気遣いができ、しだいに暗く沈んでいくヒューゴを決して放っておかなかった。
 そのことにどれだけヒューゴが救われたか。
 ありがとう。
 見捨てないでいてくれて、ありがとう。
 たったそれだけの言葉を、ヒューゴはいまだ言えずにいた。
 いつかきちんと感謝の意を伝えたい。
 けれど、できない。
 彼に笑みを向けたくとも、表情ひとつ変えられないのだ。
 それが、もどかしさによりいっそう拍車をかけていたのかもしれない。
 カイルはドアノブに手をかけ、軽く押す。廊下を挟んだ正面の壁にも、似たような扉がついている。
 ここは東棟、魔導師の拠点となる場所だ。ヒューゴの部屋の向かいもまた、他の魔導師の部屋だったが、いまのところ誰もいない。
 廊下を挟んだ向かいだけでなく、ヒューゴの部屋の両隣もだ。あきらかに、避けられているのだろう。
 カイルはあえて、何も言わなかった。
 いまさらというのもあったが、代わりに伝えることがあったからだ。
「ヒューゴ、ひとつ伝言。明日の午後、天藍石の間へ行くように。国王陛下からの命だ」
 そう言って、にこりと笑ってウインクを飛ばす。
 その意味を、ヒューゴもいち早く察知する。
「マ、マルリさまは、まさか……」
「さぞや楽しみにしておられるだろう」
「先に言ってくれ……今までの会話は何だったんだ……」
 そういうわけで、逃げ続けたヒューゴもついに逃げきれないところまで追い詰められ、不本意ながらマルリと対面を果たすこととなった。

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著  者
葛城阿高
イラスト
国原
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
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