猫好き伯爵の真摯な執愛[2]

猫好き伯爵の真摯な執愛[2]こちらから破棄するはずでした
第1回

猫好き伯爵の真摯な執愛[2]こちらから破棄するはずでした

猫好き伯爵
2017/09/27公開

[7]私の理想は

 ずり落ちた眼鏡を慌ててかけ直し、キャップを目深にかぶる。
「ま、まあ、どなたかとお間違えでは……」
「私が貴女を間違えるはずがないじゃありませんか、自由恋愛中なのですよ。お隣、失礼しますね」
「ででででもっ、わたくし、未婚でございますからっ」
「では少し間を空けて座りましょう」
「いえいえいえ、目立ちますから。あなたがいらっしゃると」
「そうですか? 私が立ち話をしているほうが、よほど目立つと思いますが」
 そう言ってゆったりと辺りを見回すヘンリーは、たしかに目立っている。なにしろ背が高い。そのへんを散歩していた貴族達が、こちらへちらちらと視線を向け始めた。
 ここは社交のための庭園。
 上流の人々が着飾ってそぞろ歩き、見たり、見られたりするための場でもある。
 ヘンリーは単に乗馬を楽しみに来たのかもしれないが、それとても「伯爵が見事な鹿毛を所有していた」とか、「乗馬の腕前は中の上だ」とかいったうわさの種になるし、彼もそれは承知のはずだ。
 そしていま、ヘンリーは「伯爵がどこぞのセンスのない老嬢に話しかけている」という新しいうわさの種を、見渡すかぎりの人々に提供していた。
「わたくしが人目につきたくない事情は、おわかりですわね?」
 他人に見せられる格好ではない。キャロラインが小声でささやくと、
「ふたりだけの秘密ですか。どきどきしますね」
 などと嬉しそうに返された。
 今日の自分は美人でもなんでもないはずなのに、ヘンリーの茶色のタレ目がうっとりとこの姿を映すのはどういうわけか。
「その眼鏡……」
 手袋ごしの指が伸びてきて、太いフレームに触れた。
「肌の白さを際立たせる。綺麗だ」
 途端に胸の鼓動を感じて、キャロラインはあとじさった。
 ヘンリーは何もなかったかのようにゆっくりと手を離し、くつろいだ様子で笑っている。
「寒がりなのですか?」
「え、いえ、べつに」
「ずいぶん襟の高いドレスでいらっしゃるから」
「変装ですもの、これくらいは」
 夜会用のドレスと対照的な詰め襟は、社交の場での印象とかけ離れるための地味な工夫である。それと、もちろん日焼け対策。
「寒がりなのかと思いました」
「それは、あまりに寒いのは、ご遠慮願いたいものですけれど」
「ふふふ」
 急にヘンリーが笑い声を上げた。
「冬に、ひざの上でまるくなる貴女を想像しました」
「はあ!?」
「もうちょっと陽に当たるのもいいと思いますよ。貴女の髪が陽の下で透けるのを見たい。そのかぶり物も、古風で素敵だとは思いますが」
 ヘンリーは平凡な顔に幸福そうな微笑みを浮かべたまま言った。
 誠実そのものである。
 彼に落ち度はまったくないのだが、性根が清廉すぎるのは退屈な気がして不満なのだ。大恋愛で玉の輿に乗った叔母をもうらやましがらせるような、劇的に素敵な結婚がしたいのに。この乙女心の微妙な加減、恋の天使にどうにか伝わってくれないものか。
「伯爵は、潔癖なんですのね」
「いつものようにヘンリーと呼んでください。それと、とくに潔癖なほうではないと思います」
「毎日入浴なさると伺いましたわ」
「ええ、入浴しないとかゆくなるので」
「あ、このあいだの……」
「じつはほこりも少々苦手なんです」
 ヘンリーは眉を下げて苦笑した。
 そういえば、猫の抜け毛が合わない体質だと言っていた。翌日訪ねて来たときには腫れはひいていたが、そんな瑣末なもののために毎日湯を浴びねばならないとは、さすがに同情する。
「たいへんですのね」
「そんなでも。まあ、私は潔癖ではないつもりですが、貴女はいつも清潔感があって、それはとても好ましく思っていますよ」
「……光栄ですわ」
 それからしばらく沈黙が続く。
 ヘンリーは彼女をじっと見ている。
 キャロラインは木炭を適当に動かしながら、いたたまれない。
 自分が美しいのは知っている。が、さすがにずっと見ていたら飽きないものだろうか。着飾るどころかすっぴんだ。昇りたての陽光の下で、化粧気のない素顔を注視される予定はなかった。
 恥ずかしい。
「わたくしが今日、どういった用件で来ているのか、お聞きになりませんの?」
 注意をそらそうと話しかけると、
「聞いたら教えてくれますか?」
 低い声がやさしく答える。
「う……」
 教えたら、さすがのこの男も怒るのではないか。
 少なくとも愉快ではないはずだ。
 挑むような無謀な気持ちで、口が先に動いた。
「素敵な男性を物色しに来ましたの。運命の出会いを求めて」
 ヘンリーはやわらかな眼差しのまま片眉を上げる。それへ、キッときつい視線を向ける。
「わたくし、理想があると申し上げましたわね」
「切ないな、それをいま話されると」
「だって」
「どんな理想がおありなのか、どうぞおっしゃってください。耳に痛そうだが、私にも努力の余地があるかもしれない」
 そんなものはない。生まれついての容姿の話だ。
 ヘンリーは立てた片ひざに肘をつき、頬づえのまま彼女を眺めている。楽しげに細められた瞳は茶色で、朝陽に透ける髪も茶色。肩も胸もがっしりとしていて、肥満などではなく骨格ゆえの体型と容易に想像できる。
 生まれつきの。
 多少痩せたとて細身というわけにはいかないだろう。
 言えば、あの目は傷つくだろうか。
 わずかに浮かんだ罪悪感を即座に振り払い、キャロラインは早口で言った。
「わたくし、黒髪に黒い瞳の、エキゾチックな美少年が好みなんですの。百歩譲っても線の細い美青年まで。清廉潔白などというつまらない方ではなく、少しは悪ふざけを楽しまれるような方で、快活に笑い、乗馬や武術を嗜み、生を謳歌するような方。放浪の騎士や海賊のような男性がいいわ」
 彼女のナイトを頭でなぞりながらまくしたてた理想像は、結婚相手としてはずいぶん現実味が薄いように感じられた。子どもっぽいどころか、子どもだろう。子どもそのものだ。外見はともかく、放浪する暇があったら定職に就けと、冷静な頭が苦言をたれる。
 ヘンリーは黙って最後まで聞いた。柔和な表情のまましばらく彼女を見つめ、それから口を開いた。
「私の理想は、行動派で、少し無謀なところがあって、自信家で、そのぶん頑張り屋で、変装が上手で新聞に興味を持てる、好奇心旺盛な女性です」
 茶色の瞳は、朝の陽光の下で綺麗に澄んでいた。
 キャロラインの頬に朱がのぼる。
 スタンフォード伯ヘンリーは、すべてが清潔だ。体臭も、行ないも、誠実な言葉も、表情も。
 容姿のことを褒められるのなら、まだわかるのに。
 そんなふうに、いつもわたくしのことを見てくださっているの?
 キャロラインの心が揺らいだ、そのときである。
 ぐぅぅぅ~
 よりにもよってこのタイミングで、彼女の腹の虫が鳴った。
「あっ」
 思わず声を上げて胃の上を押さえ、それからはたと気づく。
 し、知らないふりをすればよかった――!
 ヘンリーは少し目を見開き、からかうように眉を上げて微笑んだ。
「帰りましょうか。朝食、まだだったのですね」
 そう言って立ち上がる。
 てきぱきと画板やら画材やらを片づけられ、そのまま座っているのもいたたまれない。そっととうかがうに、ヘンリーは清潔なだけではなく整頓も慣れているようだった。手際もさることながら、荷物をまとめるくくり紐の使い方が……なんだろう、あの結び方。
「変わった手順をなさるのね。そんな結び目、初めて見たわ」
 嫌味抜きで感心して言うと、ヘンリーはぴたりと手を止めた。それからたっぷりと間を空けて、
「コツがいりますが、慣れるとこれがやりやすくて」
 と、微笑んだ。
 いつもの笑顔だった。
 不自然なところは何もなかった。
 春の風が花の香を運んでくる。すずらんだろうか。
 彼女がもう一度結び目のほうをまじまじと見やると、ヘンリーはせっかく結んだ紐を解いてしまった。
 するすると器用に、ふたたび結び目を作っていく。
「この結び目をこちらへ引くと、紐を引き締めることができます。荷物をまとめるなら、こちらのほうがいい。解くときはここをゆるめてください」
「……荷造り、おくわしいのね」
「ロープワークは覚えておいて損はないですから。海軍にいった連中なんかは、もっとくわしいですよ」
 海軍はもとより、荷紐を縛るのも手綱をくくるのも大人の男性の仕事だ。
 女で、子どもだったキャロラインは、いままで縁がなかった。
 十二も年が違うと、紐の結い方まで違う。
 あらためて実感する隔たり。いろいろできる大人。
 何だか彼が遠く感じられる。
「わたくし、ひとりで帰れますから」
 ふてくされたわけでもないが、そっけなく言った言葉に、
「おっしゃると思いました。もちろん貴女の自立心を尊重します」
 との返答。
 なんと、意外に素直ではないか。と、少しもの足りなく思ったのもつかのまだった。
「並んで歩くと目立ちますでしょう。でも、たまたま同じ方向へ移動するぶんにはかまいませんよね。結婚前からほかの女性と歩いていたなんて評判を立てられるのは、私も本意ではありません。ああ、お荷物は、私が持っていきますから。貴女に何かあっても守れるように、うしろを歩きます」
 そう言って画材を担ぎあげると、勝手に馬にまたがってしまった。彼女から数歩離れた場所で、穏やかに微笑み、そのまま待っている。
 朝の住宅街で、どんな凶行から守ってくれるというのか。
 大げさな、と思いながら、少々心が弾んでしまったことを、キャロラインはすぐに全力で否定した。

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著  者
花粉症
イラスト
柾木見月
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
648 円(税抜)
シリーズ
猫好き伯爵
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