猫好き伯爵の真摯な執愛[3]

猫好き伯爵の真摯な執愛[3]すばらしき恋愛結婚
第1回

猫好き伯爵の真摯な執愛[3]すばらしき恋愛結婚

猫好き伯爵
2017/10/27公開

え、脱ぐんですの?

「取引きに応じてほしい」
 あのとき。
 悪漢に囲まれて震える頭上から、穏やかな低い声が聞こえた。
 しがみついて見上げると、彼はいつもと変わらず飄々とした顔のまま、小さな拳銃をかまえていた。
「自死で手を打とう」
 そう言ったときも、その微笑みは変わらなかった。
 変わらない、とらえどころのない鉄壁の微笑が、じつはとても複雑な内面を孕んでいると教えてくれたのは、彼の左手。
 目線を向けぬまま、強く握りしめられた大きな手の感触を、彼女は一生忘れないだろう。
 一発しかない弾丸と自分の尊厳を盾に、彼は彼女を死地から逃した。
 眠そうなまぶたは変わらず眠そうだったし、茶色の髪も瞳も変わらず平凡なままだった。
 だから、いつ自分が恋に落ちたのかは、わからない。
 子猫たちに見せた意外なやさしさのせいかもしれない。
 くちづけた腕の強引さによろめいたのかもしれない。
 頬を差し出した大人の余裕に、決して激することなく矛先をかわす不思議な話術に、すでに魅せられていたのかもしれない。
 のらりくらりと受け流される会話が、そうやって翻弄される午後の訪問が、本当は決して嫌ではなかった。
 生意気な自分に、愛らしいピンクの花束をくれた人。
 短い時間で訪問を切り上げる落ち着きぶりがくやしくて、いつも切なさを飲み込んでいた。


 乗せられた貸し馬車の車内で、ヘンリーはひと言も口をきかなかった。
 ただもの憂げに彼女を眺めたり、飽きたように窓外の夕焼けへ目をやったりしている。
 キャロラインはいたたまれない。
 満腹の獅子の眼前に放り出された気分である。いつ獅子が腹を空かせて牙を向くのか、まるで歯牙にもかけられないのか、皆目検討がつかない。
 目が合わないということは、目を見ていないということ。つまり──身体だけを眺めている。
 いまさらながらに菜食が過剰だったかと反省する。ウエストの細さには自信があるが、胸も腰も、豊かとは言いがたい。お洒落を楽しむぶんには痩せていたほうが得策だが、閨では豊満さのほうが喜ばれることくらい、純粋培養のキャロラインでも知っていた。
 慣れ親しんだ高級住宅街がどんどん遠ざかっていく。
 下ろされたのは街のはずれの、質素な煉瓦造りの家の前だった。
 ささやかな前庭から、石畳が緑に沿って裏手へと続いている。定期的に手入れされているのだろう、塀に沿った低木はきちんと刈り込まれている。ただ、石畳のあいだから生えた雑草の遠慮のなさが、普段使う者のない家であることを示していた。
 ヘンリーは正面玄関の階段を上ると、ポケットから出した鍵を鍵穴に差し込んだ。少し軋む音がして、大きな扉が開く。
「どうぞ。掃除はさせているから、汚くないと思います」
 夕日の赤さに照らされて、茶色の髪がオレンジ色に透けていた。
 微笑んだ顔も夕焼け色。
 物腰はあいかわらず丁寧だが、その微笑みがいまは有無を言わせない重石のようで、足が震える。
「お邪魔させていただくわ」
 おびえを振り払うため、必要以上にツンと顎を上げて、敷居をまたいだ。
 が、屋内に入った途端に目についた女性らしい調度に、一気に勇気がしぼむ。
 白を基調として、淡い水色の花模様が散らされた趣味のいい壁紙。繊細な造りのチェストに、すっきりとしたデザインのランプ。大陸風のインテリアは、なんとも調和していて品がある。
「……趣味のいいお家ですのね」
「ああ、イヴォンヌはフランスからの亡命者でしてね。父がそろえてやったんじゃないかな、せめて故郷の雰囲気をと。……寝室は二階です、足元に気をつけて」
 やっぱり、愛人の家だ。
 胸をぎゅうっとつかまれたような感覚だった。
 そんな汚らわしい場所に連れてこられたことも、以前ほかの女性と愛を交わした部屋へ誘われていることも、誠意ある態度とはいえない。
 冷たい仕打ちは、言外の拒絶だろうか。『分をわきまえて帰りなさい』と、態度で諭しているのだとしたら、たしかに帰るべきだ。この先は淑女にふさわしくない。
 悠々と歩く広い背を見上げながら、せまい民家の階段を上る。
 彼は寝室と言った。
 あやまちが何を指すのか、具体的な確認はなかった。
 が、なにしろ寝室だ。
 こうなれば疑いようはない。彼は彼女に、貞操を要求している。
 結婚の確約もなく。
「キャロライン嬢?」
 はっと顔を上げると、開け放った扉のノブに手をかけたまま、ヘンリーが問うように見つめている。
 足が止まっていた、と慌てて最後の段を上がると、開かれた扉の向こうに天蓋のない大きなベッドが見えた。
 彼が過去に誰かと抱き合ったベッド。
 途端に震えだしたひざを叱咤して、ことさらに胸を張り、広い肩幅の横をすり抜けて室内へ入る。
 そこは簡素な部屋だった。カバーをかけられた大きなベッドと、古ぼけた模様織りの肘かけ椅子、地味なサイドテーブル。そしてなぜか大きな鏡があった。
 閉め切られた臙脂色のカーテンの向こうから、夕暮れの光がわずかに部屋を照らしている。
 うしろでガチャリと音がして、扉が閉められた。
 ヘンリーは装飾性の少ない暖炉の前にしゃがみ、慣れた手つきで火をつける。壁には造りつけの棚があり、白い布のかけられた木箱が置かれていた。火を熾し終えた彼は、白布を退けて中身を物色しはじめる。
 うしろからそっとのぞくと、箱の中はわけのわからないものばかりだった。
「ガラス瓶?」
「ああ……なんだかわかりますか?」
「いいえ、初めて見ました。こちらは……鉄の筒?」
「医療器具です。このレバーで注入を制御します」
「医療」
 ここに住んでいた女性は、看護婦の副業でもしていたのだろうか。
「あまり触らないほうがいいですよ。たぶんあとで後悔します」
 黒い革手袋で覆われたヘンリーの手が、伸ばしかけた手をそっと押しとどめた。
「今日は、使いませんから」
 そう言って微笑んだ眼差しが本当に愛情にあふれているように見えて、一瞬、いまの状況を忘れる。
「それより、大丈夫ですか?」
「え……」
「怖くなったり、帰りたくなったのならおっしゃってください。ご自宅まで無事にお送りします」
 問うようにのぞきこまれて、鼓動が跳ね上がった。同時にへその下あたりがズキンと脈打つ。
 みだらなことをする。
 それを急に思い知らされて、我知らず頬が火照った。舞踏会の夜、誰が来るとも知れぬ裏階段で、彼の前に身を投げ出した自分を思い出す。それから、肌を這った乾いた唇の感触も。
「どうします?」
 口の渇きが気になって、つばを飲み込もうとしたがうまくいかなかった。
「教えてくださるのでしょう? その……男性のことを。た、楽しみだわ」
 最後のほうは威勢が尻すぼみになってしまった。偉そうに言えるほどは何も知らない。そのうえ後もない。これを逃したら、もうふたりきりでは会ってもらえない気がする。
 最後のチャンスだ。自分につなぎ止めるための。
 ヘンリーは笑みを深めた。
「手遅れにならないうちに、帰ったほうがいいと思いますがね。……まあいいでしょう。脱いでください」
 さらりと言われて、きょとんと振り返った。
 え?
 想定外の言葉に、理解が遅れた。
 まぬけな顔をした彼女を置いて、彼はさっさと椅子のほうへ足を向ける。木箱から出した朱色のロープを二本、ベッドの上へ放ると、手袋をはずしてサイドテーブルに置き、ダークグレーのジャケットを脱いで無造作に重ねる。
 シャツにベストの軽装になったヘンリーは、肘かけつきの椅子にゆったりと腰かけ、長い脚を組んで彼女を見た。
「キャロライン?」
 微笑んだままうながすように首を傾げる。
 呼び捨て!
 初めて呼ばれた親しげな響きに、キャロラインの頭に血が昇った。
 胸の高鳴りに口をぱくぱくさせていると、彼はまた穏やかに、
「脱いで、キャロライン」
 と言った。
 脚を組んだまま、肘かけに頬づえをついて。
 脱いで?
「じ……自分で?」
「そう、自分で」
 自分のドレスを見下ろす。簡単に脱ぎ着できる型ではない。背中にびっしりとくるみボタンが並んでいる。着つけは侍女の仕事で、子ども部屋を出て大人の仲間入りをして以来、ひとりで着替えをしたことはない。
 ヘンリーは変わらぬ笑顔でこちらを眺めている。
 よくわからないが、そういうものなのかもしれない。
 とりあえず、彼女は手袋を脱いでマントルピースの上に置いた。外出用の華奢な靴から足を抜く。少しだけ迷ったが、ひざ丈の靴下も思い切って脱いだ。次いで、背後に手を回し、ボタンをはずし始める。ちゃんと手がとどくか不安だったが、案外と柔軟だった肩のおかげですべてはずすことができた。
 が、ほっとしたのもつかのま。
 このあとどうしたらいいのか、はたと彼女は困惑した。
 このままドレスを脱いだら、コルセットも下着も見られてしまう。
 見られて恥ずかしい品を身につけているわけではないが、箱入り娘として、下着姿を異性に見せたことなどない。
「あ、あの」
「何か?」
「これ、脱ぐんですの?」
「脱がずにどうするんですか」
 やっぱり脱ぐらしい。
「あ、あの」
「何か?」
「この下、下着ですの。見ないでくださる?」
「見ないでどうするんですか」
「見るの!?」
 ぎょっとして聞き返した彼女を見て、ヘンリーはおかしそうに破顔した。
「これから裸を見せ合おうというのに、下着姿が恥ずかしいんですか?」
「ははははは裸っ!?」
 今度こそ仰天してすくみ上がったキャロラインは、ドレスの身頃をぎゅっと握りしめた。
 例の裸婦画だって、全裸の構図は一枚もなかった。慎ましく寝間着の上から事にあたっていた。それがいわゆる検閲対策と呼ばれるものなのだと、ようやくいまになって気づいたしだいである。
「む、む、胸も?」
「見ますよ。触りますし、なめます」
「なめっ……!!」
 卒倒しそうになったが、踏んばった。そもそもそこまで繊細な性質でもない。それでも人生最大のショックだった。よろめいた彼女は木箱のあった棚につかまった。
 あの絵の男女が半分裸だったことすら、「裸婦画」というお題目ゆえのことだと思っていたのに……!
「帰ります?」
 ヘンリーが例の読めない笑みで問う。
 帰るわけにはいかない。
 意を決してドレスを押さえる手をゆるめた。シルクの感触がするすると床に落ちる。
 コルセットの紐にうしろ手に指をかけて、うかがうように彼を見た。茶色い瞳はあいかわらず楽しそうに彼女を眺めるまま。
 着つけのときに手伝ってもらえなかったら、きっと帰りは悲惨なことになる。
 そう思いながらも、覚悟を決めて紐をゆるめた。ふくらみの少ない身体の上を、硬いコルセットがするりと落ちていく。
 次は、シュミーズ。その下のドロワーズでおしまい。
 襟ぐりのリボンを解き、片腕で胸を隠しながら袖を抜いて、ふと気づいた。
 これを脱いでしまったら、彼の眼前でドロワーズを脱がなくてはならない。脚を上げ、そのあいだをさらして。
 気づいたときには、シュミーズは足元に落ちていた。
 両手で乳房を覆い、想像だけでうろたえる。腕は二本しかない。隠し切れない。顔が火照る。履いてくるんじゃなかった、こんなはしたないもの。
 またちらりとヘンリーのほうを見る。彼は楽しそうに目を細めた。
「脱がせてあげてもいいですよ。貴女が私の支度を手伝ってくれるなら」
 情けなさと恥ずかしさで視線を床に落としながら、「……お願いします」と小さく返事したとき、彼女は支度の意味についてよく考えていなかった。
「おいで」と呼ばれるのに従い、彼のほうへ歩み寄る。
 ヘンリーは組んでいた脚を解くと、胸を隠したままの彼女の腰に手を当て、自分の脚のあいだへ引き寄せた。
 腰にそえられた大きな手がするりと下がり、ドロワーズの中に差し入れられる。立派でもない尻をなでられて、ひくりとまた怖気づいた。茶色い頭がかがみ込み、ウエストを留めていたリボンの結び目を歯で解く。
 平素穏やかな笑みばかりを浮かべる口が、下着の紐をくわえてにやりと笑った。
 背徳の匂いに動悸が早くなる。

 罪深い口は紐を吐き出すと、そのまま眼前のへそに舌を這わせた。
 ぞわぞわと形容しがたい感触。
 尻にそえられた男の両手が同時に蠢き出し、肌の感触を楽しむかのように下着の中を這いずる。
 手の動きに、ドロワーズがずり落ち始めた。
 不埒な舌は下腹へと蠢く。
 尻をなでていた指先が、ときおり狭間の内側をかすめる。
「んっ……」
 脚のあいだがじんと熱くなって、思わずぎゅっと太ももを閉じた。

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猫好き伯爵の真摯な執愛[3]

猫好き伯爵の真摯な執愛[3]すばらしき恋愛結婚

著  者
花粉症
イラスト
柾木見月
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
648 円(税抜)
シリーズ
猫好き伯爵
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