傲慢公爵様の人魚姫[2]

月が濡れる
第1回

月が濡れる

人魚姫
2017/11/24公開
 翌朝である。
 目が覚めたあとも、ベッドのなかでジェニーはぼうっとしていた。
 視界に映る景色が昨日と違う。昨日までジェニーは薄暗い見世物小屋にいた。けれどいまは、広いベッドの中にいる。朝日に照らされて、美しい調度品が置かれた室内が見える。
(そうだわ……わたしは昨日、ルークに助けられてこのお屋敷に連れてこられたのだわ)
 思い出したあとも現実感が湧かず、ベッドのなかでジェニーは寝返りをうった。
 すると「おはようございます!」と元気に挨拶しながらファニーがやってきた。続いて、朝の紅茶を淹れてくれたのち、すみれ色のドレスに着替えさせてくれた。
 そのころになってようやく現実感が湧いてきて、ここはルークの家なのだと思うと胸がどきどきしてきた。
 しかし、ときめきに浸るまもなく「次は朝食です!」とファニーに明るく言われて、足がもつれそうになるのを支えてもらいながら階段を降っていった。すると、玄関ホールにルークとアルヴィンの姿が見える。
(ルーク──)
 彼のすらりとした立ち姿に、ジェニーの鼓動が跳ね上がる。
「おはようジェニー」
 朝の光のなかで、ルークは優しく笑いかけてきた。すると、昨日のふれあいが思い出されて、ジェニーは頬を赤くしてしまう。
 ルークは、アルヴィンが用意したオーバーフロックに袖を通して、革の手袋をはめているところだった。ジェニーは階段を降りきって、ルークを見上げる。
「どこかへお出かけするの?」
「領地内でジェントリ同士がもめて、訴訟にまで発展しそうになっているんだ。折衝役が必要だから、面倒だが行ってくるよ」
 よくわからないが、領主というものはたいへんなお仕事なのだろう。ルークが出かけてしまうのは心もとないけれど、応援したい気持ちもあった。
「がんばってね」
「ああ。かわいい声援をもらったから、いつもよりうまくやれそうだ」
 ジェニーはどきりとしたが、ルークの背後でアルヴィンはたいそう苦い顔をしていた。
 エントランスの階段まで見送ろうとして歩き出したら、両脚がもつれて転びそうになってしまう。絶妙なタイミングで振り向いたルークに、受けとめられた。
「大丈夫か?」
 彼の黒いコートにすみれ色のシフォンが重なる。ルークのにおいと、腕の力強さにジェニーの鼓動が早まった。
「ご、ごめんなさい。まだ歩き慣れていなくて」
 慌ててルークから体を離した。彼の手が伸ばされて、少しだけ乱れてしまった前髪を整えられる。
「怪我をしないように気をつけて」
 そのしぐさが優しくて、ジェニーの胸がきゅっと痛んだ。
(好き)
 十年前のことを忘れられていても、「きみが好きだ」という言葉が愛玩動物に対するものであったとしても、十年間いだき続けた恋心を消し去ることはできなかった。
 朝日に光る緑色の瞳が、ジェニーを見つめている。
「帰りは遅くなるかもしれない」
「うん……」
 ジェニーは寂しくなって目を伏せた。その頬にルークの手がふれる。
 手袋越しに彼の体温を感じた。
「いいこで待っているんだよ」
「はい」
 ルークのまなざしと体温が、ジェニーの寂しさを溶かしてくれる。ジェニーが微笑むと、ルークの瞳に不思議な熱がよぎった。
 空いているほうの手で腰を抱きよせられ、口づけられる直前、アルヴィンの声が割り込んでくる。
「ルーク様、お時間です」
 怒りを押し殺したような声である。
 ルークは動きを止めてアルヴィンを流し見てから、ジェニーのくちびるに軽いキスを落とした。
「ルーク様!」
「留守をまかせる、アルヴィン」
 すれ違いざまにルークはアルヴィンの肩を叩く。
「ジェニーのことを頼んだよ」
「貴方というお方は本当に……!」
 ルークはエントランスで待機していた箱馬車へ乗り込んでいく。どうやら今回アルヴィンは同行しないようだ。
 頬を赤く染めつつ、ジェニーは馬車を見送った。昨日からのことがなんだか夢のようだ。いまは本当に現実なのだろうか。
 ファニーが朝食室へふたたび案内してくれようとした、そのときである。疲れをにじませたひとりごとがジェニーの耳に入ってきた。
「まったく……。満足に歩けもしない人魚を水槽に入れず、人間の服を着せてかわいがるなんて、ルーク様はいったいなにをお考えなのか」
 ジェニーは振り返った。突然目が合ってアルヴィンはびっくりしたようだが、彼の表情からは、人魚の一族から示されたような悪意を感じない。
 だから、ジェニーは素直に尋ねることができた。
「アルヴィンさん、教えてください。人魚を外に出しておくのはよくないことなの?」
「いえ、連れ歩くことはありますが、私が憂慮しているのはそういうことではありません。ルーク様があなたを見る目は、なんというか……」
 アルヴィンは口ごもった。
「とにかく、あなたの扱いは異常だということです。ここの使用人たちは全員ルーク様に心酔していますから、あなたの存在を疑問なく受け入れています。しかし、問題は上流の方たちがどうとるかです。おかしなうわさが立ったらと思うと気が気ではありません」
「人魚を連れ歩いていると、偉い人たちにルークが悪く言われてしまうのね」
「ペットのように連れ歩くくらいならいいのですが、それ以上のこととなると問題です」
「それ以上って、たとえばどんな?」
 アルヴィンは、なぜか耳を赤くしてせきばらいをした。
「──要するに、二本足で満足に歩くこともできない種族が近くにいては、悪く言われて当然だということです」
 それでもジェニーは、ルークのそばにいたいとしかいまは考えられなかった。
(二本足で満足に歩くこともできない……)
 それならば歩く練習をしよう。少しでもルークに迷惑をかけたくないのはジェニーも同じなのだ。それに、人間みたいになれたら海に帰されずにすむかもしれない。もしかしたら愛玩動物以上のものとして見てもらえるかもしれない。
「もう、アルヴィン! ルーク様からジェニーさんのこと頼まれたくせに、いきなりいじめるなんて最低。ルーク様に言いつけるからね!」
「ちょっと待てファニー、俺はいじめてない、質問に答えただけだろ!」
 とたんに騒がしくなった玄関ホールで、ジェニーは、人間みたいにスムーズに歩けるようになろうと決意を固めた。


 おいしい朝食を──いろんな種類の新鮮な海藻をたっぷりと──食べたあと、ジェニーは玄関ホールを出て、庭を眺められるエントランスの階段に立った。
 手すりにつかまりながら、エントランスの階段をジェニーはそろそろと降りていく。この屋敷には階段がたくさんあるから、こういう練習も必要なのである。
 しかし、開始早々、
「きゃあっ」
 足を踏みはずして尻餅をついてしまった。ドレスの裾がふわりと舞う。
 手すりにすがってなんとか立ち上がろうとしていると、見かねた様子のアルヴィンが手を貸してくれた。彼は、扉の前でジェニーを見張っていたのだ。
「もうあきらめたらどうです? 陸よりも水中のほうが人魚は暮らしやすいでしょう。見世物小屋のようなせまい水槽にはしませんよ。海水も毎日替えますから安心してください」
「……海水のほうがいいとルークに思われたら、海へ帰されてしまうかもしれないもの」
 手すりをつかんだ自分の手を見下ろしながら、ジェニーはつぶやいた。また一段、ぎこちない動作で階段を降りる。
「海へ帰りたくないのですか。人魚のお友だちやご両親がきっと心配していますよ」
「両親には、会いたいけれど……」
 けれど、いま会ってもスコットに謝りにいくようふたたび言われてしまうのだろう。ふと、アルヴィンが気遣うような声になった。
「……すみません。あなたは一族から売られたとおっしゃっていましたね。無神経なことを言ってしまいました」
 ジェニーは首を振った。
「いいの。わたしが愚かだったの。だからみんなに嫌われてしまったのよ」
 ジェニーは、十年前に言われたルークの言葉を思い出した。
『そういう鈍感さはよけいな敵を作る。気をつけたほうがいい』
 彼が忠告してくれていたのに、ジェニーは気づきもしなかった。あのときから気をつけていれば未来は変わっていたのだろうか。けれど、もしそうなっていたらルークと再会できなかったかもしれない。
 気をとり直して、ジェニーはふたたび階段を降り始める。するとアルヴィンがまた口をひらいた。
「私は個人的にあなたを嫌っているわけではありません。だから、いまから私が話すことは、あなたへの悪意からくるものではないとわかっていただきたい」
 彼は庭を指し示した。
「ご覧ください、この広大な庭園を。立派な屋敷も、数々の美術品や調度品などもすべてルーク様のものです。これらだけではなく、ケイフォードの土地のすべてがルーク様のものなのです。公爵家のご当主という重みがあなたにわかりますか。ルーク様は国王陛下の甥御様です。我々使用人も、領民も、皆が公明正大なルーク様を信頼し、尊敬している。そのようななかで、あなたの存在は見た目が愛らしいだけのペットにすぎません。分をわきまえるようくれぐれも注意してください。でないと」
 アルヴィンは言葉をいったん区切る。
「でないと、のちにつらい思いをするのはあなただ」

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傲慢公爵様の人魚姫[2]

傲慢公爵様の人魚姫[2]永遠の愛と星空の誓い

著  者
椋本梨戸
イラスト
なおやみか
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
648 円(税抜)
シリーズ
人魚姫
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