麗しの王子の悩みとメイドの受難【電子書籍版】

受難の始まり
第2回

受難の始まり

2018/01/25公開

~メイド、変態王子に求婚される~

 エリシュカが扉を開けると、やや強めの風が吹き込んできて、メイド服のスカートの裾が揺れた。彼女は眩しい太陽の光に目を細めつつ、洗濯籠を持っていて使えない手の代わりに自分の体重で扉を押し開ける。
(今日は、洗濯物がよく乾きそうだなぁ)
 エリシュカ・ハートマンは、エクセリア王国の城に仕えるメイドである。
 一応「男爵令嬢」という肩書きはあるものの、地方の小さな領地しか持たない家で育った彼女は、十八歳の成人を迎える数ヶ月前から城に上がって働いている。
 元々、領地と同様にこぢんまりとした屋敷に使用人はおらず、幼い頃から母の手伝いをしていた。そのため、メイドの仕事は苦ではない。
 掃除や洗濯はむしろ得意な方で、他のメイドたちよりもずっと働き者のエリシュカは、メイド長からの評価も高かった。
(普通のことなんだけど……)
 エリシュカは重い洗濯籠を芝生の上の石畳に置き、ため息をつく。量の違いはあれど、城での仕事は実家でやっていたことと変わらない。
 しかし、彼女の同僚たちは違う。
「今日は風が強くて嫌ねぇ」
「洗濯物も多いし、腕が痛いわ」
 メイドたちが談笑をしながらエリシュカを横目に城へ戻っていく。
 それを見送って、エリシュカは再び籠を持ち上げた。
 洗濯は干すまでが仕事だ。だが、城から洗濯場の間に設けられた物干し竿や紐には何もかかっていない。
 つまり――。
「はぁ……」
 エリシュカが離れの洗濯場へ入ると、案の定、たくさんの洗濯籠が置きっぱなしになっていた。別に洗濯物の量が増えたからといって大して気にならないが、ため息だけは止められない。
 問題があるとすれば、この量の洗濯を干し終えてからでは浴場の清掃当番に遅れてしまうこと。ただし、おそらくそこでもエリシュカは仕事を押し付けられるだろうから、結果的にはあまり変わらない。
 一緒に掃除をするはずの同僚たちに「遅刻」という、仕事を押し付けるのに都合のいい理由を与えてしまうだけだ。
 どちらにしても、エリシュカはできるだけ早く洗濯を済ませ、浴場へ向かわなければならない。
 彼女は気合を入れるため「よし!」と声に出し、腕まくりをした。
 近くの川から水を引いて貯めている水槽から桶で水を汲み、すぐに洗濯に取り掛かる。
 このエクセリア王国で、城に上がって仕事をする女性は主に子爵、男爵家の娘たちだ。働く前に教育を受けている娘が多いものの、普段からやり込んでいるエリシュカに比べると目に見えて差が出る。
 たまに混じっている伯爵家の令嬢は、嫁入り前に王城で行儀見習いをして箔をつけるために形式的に勤務しているだけ。それ以上の身分だと働きに出る娘はほとんどいない。
 家では蝶よ花よと育てられているからか、それともメイド長に褒められるエリシュカが気に食わないのか、彼女の同僚たちはエリシュカのことを「貧乏貴族」と揶揄し、哀れむ。
 この城のメイド仲間という小さな社会にすら、階級ピラミッドを作るのだ。
 自分より下――ド田舎の小さな領地に住まう、使用人も雇えない名ばかりの貴族――を見て、嬉々として上に立とうとする。
 そんなわけで、彼女たちはエリシュカの仕事の邪魔をしたり、自分の仕事を押し付けてきたりとやりたい放題だった。
 エリシュカは、今まで自分の生まれや身分を疎ましく思ったり、憎んだりしたことはない。だが、城で働き始めてからは、それらがいかに貴族社会で重んじられているのかを実感している。
 エリシュカを見下すメイドたちも、広い貴族社会では同じような仕打ちを受けているのだろう。日頃の鬱憤を晴らしたい彼女たちの気持ちもわからなくはない。ちょうど自分たちの生活の中にピラミッドの最下層に属する人間がいたら尚更だ。
 そんなヒエラルキーは理不尽だとも思うけれど……。
 始めこそそんなことを考えつつ手を動かしていたが、単純な作業というのはやり始めるとだんだん夢中になる。気がつけば、洗濯籠の衣類はすべて綺麗になっていた。
 今度はこれらを干さなければならない。さすがに水を含んで重くなった洗濯物をいっぺんには運べないので、一つずつ籠を持っていくことにする。
 天気がいい日は、城から洗濯場の間の敷地に洗濯物を干すことになっている。
 再び身体で扉を押し開け外に出て、洗濯籠を持って芝生の上を進む。すると、先ほどはいなかった人物が視界に入った。
(あれ……? またいる)
 今は使われていない井戸の縁に座っている男性は、ぼんやりと芝生が風に揺れる様を見つめている。憂いを帯びた表情で座る姿は儚げにも見えた。
 艶のあるプラチナブロンド、筋の通った鼻に薄い唇。長めの前髪の奥の瞳は軽く伏せられている。
 彼は、その中性的な外見と柔らかな物腰で「麗しの王子」と呼ばれるエクセリア王国の次期国王――ユリウス・ド・エクセリアだ。
「やぁ、エリシュカ。今日も頑張っているね」
 膝に腕を突き、頰杖をついていたユリウスが話しかけてくる。
 しかし、彼は顔を上げることもせず、その視線は彼女の足元に注がれたままだ。
 メイド服は皆同じ――簡単に説明すれば、黒いワンピースに白いエプロンである。スカートは長く、皆、支給されるフラットシューズを履いているので、足元だけでは区別がつかないだろうに。
 まぁ、この時間に洗濯を干しに来るのは大抵エリシュカだから、ユリウスもいつも通り声をかけただけだろう。
「こんにちは、ユリウス様」
 エリシュカは洗濯籠を芝生に置いてお辞儀をし、洗濯物を干す作業に取り掛かった。
 彼女が洗濯を干す時間、ユリウスはよくここに現れる。
 なぜこんなところにいるのか? 公務はどうしたのか? 疑問は多々あるが、詮索するのは不躾だ。
 彼もまた、エリシュカとは違った意味で貴族社会のヒエラルキーに悩まされている人間である。というのも、彼女が城に上がる少し前から、彼が結婚を急かされているらしいという噂があった。
 エリシュカが住んでいた田舎にまで届くくらいなのだから、国家の存続に関わる結婚や世継ぎの話の中心人物は、さぞ周りからの圧力に苦しめられていることだろう。一人になりたいときもあるに違いない。
 最近、メイドたちはエリシュカに仕事を押し付けるから、洗濯場は静かでちょうどいいのだと思う。
「今日は風が強くて良い日だね」
 先ほどから時折強く吹き付ける風は、エリシュカのスカートをはためかせ、正直仕事の邪魔だ。スカートの中に空気が入ると冷たいし、洗濯物を固定するのにも一苦労する。
“良い日”というのはちょっと違う気がした。
 ただ、確かに太陽は出ているし、カラッと晴れていて洗濯物が乾くという点では良い日かもしれない。
 天気の話なんて挨拶のようなものだし、王子が気を遣って話しかけてくれているのに、わざわざ否定するのもおかしな話だ。
「はい。洗濯物がよく乾きそうです」
 エリシュカは当たり障りのない言葉を返し、屈みこんで洗濯籠からシーツを取り出す。
 ユリウスがそばにいる状況は何度かあったけれど、一国の王子に見られながら仕事をするのは慣れない。
 なんとなく彼に意識を集中しつつ、エリシュカは仕事を続けた。
 一言二言の挨拶程度の会話の後は、ユリウスが話しかけてくることはない。ただひたすら頰杖をついてぼんやりしているのが常だった。たまにハッと息を吞むような仕草も見せるが、大抵はじっと芝生の緑を見つめて考え事をしている。
 今日もそれは変わらなかった。
 やや強い風が吹くと、ユリウスはハッとして視線を上げる。でも、それは一瞬で、再び何かを考え込むように目を伏せ、芝生を見つめてため息をつく。
 なんだか可哀相なくらい哀愁を漂わせている。
(そういえば、今夜もパーティがあったよね……)
 そんなユリウスの様子に思い当たることと言えば、毎晩のように開催される彼の伴侶を見つけるためのパーティだった。
 数ヶ月前、現国王が六十歳になってから始まったそのパーティは、国中の娘を集めていると言っても過言ではない。普通は身分の釣り合いが取れるように、上流階級の家の娘たちが招かれるのに、最近ではメイドとして働いている令嬢たちにも声がかかるほど。
 もちろん彼女たちの身分だって「貴族」という括りにはなるが、婚約者がいる娘まで呼びつけるようになったのだから、相当結婚を急かされているに違いない。
 だが、親に押しつけられる結婚が嫌なのか、はたまた単に好みの女性がいないのか、ユリウスは一向に婚約者を決めようとはしなかった。
 二十三歳と結婚適齢期の王族で、現国王夫妻に子供は一人。彼らが遅くに授かったというユリウスだけだ。周りが熱くなるのも仕方がないことに思えるけれど、本人は納得いかないこともあるだろう。
 身分が高い故の弊害だ。
 エリシュカはユリウスに同情しつつ、空になった洗濯籠を持ち、洗い場に戻ろうとした。すると、彼は腰を浮かせて「エリシュカ」と彼女を呼び止める。
「はい?」
「もう、行ってしまうの?」
 眉根を寄せ、しかし、視線は落としたまま、ユリウスが縋るような声で問う。
 彼は一人になりたくてこんな洗濯場まで来ているのだ。エリシュカも邪魔なのではないか。それとも、いつも人に囲まれているから、さすがにひとりぼっちは寂しいのだろうか。
 そうだとしたら、黙々と洗濯を干すだけの無害なメイドほど都合のいい存在はいない。
「いえ、洗濯物はあちらにまだたくさんあるので、籠を取りに……」
「そうか。良かった」
 ホッとした様子で頰を緩め、笑顔を浮かべたユリウスは、エリシュカより年上なのに可愛らしい。
(中性的で整った顔って得だなぁ)
 真剣な顔をしているとカッコいいし、物憂げにしていると色っぽいし、笑うと可愛い。これに王子という肩書きがつけば、妻など選び放題のはずだ。
 国中から集まっていれば、その中に一人くらい気に入る娘がいてもいいと思うが……。
 エリシュカは軽く頭を下げてから、洗い場に向かいつつ、最近囁かれ始めた「麗しの王子、男色説」を思い出す。
 もしかして、本当に殿方が好きなのだろうか。
 同性を恋愛対象とする人がいることは知っているし、気持ち悪いと思ったことは特にない。
 ただ、自国の王子がそうだとすると、やはり世継ぎという国の存続に関わることだから、さすがに国民としては不安になるというか……。
(カムフラージュとか、ダメなのかな?)
 表向きは妃を娶って、愛人(男)を囲うくらい、王子ならやれそうな気がする。むしろ、毎晩のパーティで必死に王子に娘を宛がおうとしているところを考えれば、周囲も妥協する方が良いと思う。
 まぁ、妃に選ばれた娘は可哀相だ。そうなると、その父親が黙っていないはず。いや、そこはやはりお金で――。
 あれこれと妄想しながら、もう一つの洗濯籠を持ったエリシュカは、来た道を再び戻る。
「ユリウス様、こんなところにいらしたらお風邪を召されますぅ」
 すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。エリシュカと同じくメイドとして城で働くマリア・メネシスという娘だ。彼女の喋り方は間延びした特徴あるものなので、すぐにわかる。
 マリアはくねくねと身体を揺らしながらユリウスの前に立ち、両手で頰を包んで嬉しそうにはしゃいでいた。
「マリア、今日のパーティにはメネシス家の娘として招かれましたの! 新調したドレス、とっても可愛いんですのよ。ユリウス様にも気に入っていただけると思いますわぁ」
 彼女は伯爵令嬢――典型的な行儀見習いで、城には形式的に上がっているだけの娘だった。仕事ができようができまいが、親が決めた期間を城で過ごせばいいだけの身分である。年は、エリシュカの一つ下だ。
「そう。でも、ドレスはどうでもいいんだ」
 一方のユリウスは、眉間に皺を寄せ、苦痛ともとれる表情を浮かべて迷惑そうだ。
 マリアを相手にこんな顔をするのは、ユリウスくらいな気もする。
 多少他人の苛立ちを刺激する立ち居振る舞いをするが、彼女は愛らしい顔立ちをした娘だ。大きな目と長いまつげにふっくらした唇、背丈も小さく上目遣いは破壊力がある。ああいった甘える娘は庇護欲をそそるとかで、男性には人気だ。
「やだぁ、ユリウス様ったら、大胆! ドレスじゃなくて私に興味があるってことですかぁ?」
 どうしよう~と身体を左右に振って、マリアが喜ぶ。その動きで、彼女のスカートがひらひらと揺れ、ますますユリウスの纏う空気がどんよりしていく。
(やっぱり、男の人が好きなのかしら)
 可愛い娘に迫られて、あそこまで悲痛な面持ちの男というのも珍しい。
 エリシュカはユリウスを気の毒に思いながら、新たな洗濯物を干し始めた。
「あ、エリシュカお姉様」
 すると、マリアの意識がこちらへ向く。シーツの皺をパタパタと伸ばす音で、ようやくエリシュカが戻ってきたことに気づいたらしい。
「浴場のお掃除の方が、エリシュカお姉様が遅ぉいって言ってぇ……」
 そこまで言うと、マリアはチラチラとユリウスの方へ視線を投げてもじもじする。「遅いからお前が全部やれ」と仕事を押し付けることも、さすがに王子の前では憚られるようだ。
「……私がやります、と伝えておいてください」
 エリシュカはため息と共に、小さな声でそう伝えた。ここでエリシュカがYESと言おうがNOと言おうが、結果は変わらないのだ。
 すると、マリアはパッと表情を明るくして言う。
「良かったぁ。皆さん、今夜のパーティの用意もしなくちゃいけなくてぇ。それじゃあ、よろしくお願いしまぁす」
 マリアは上機嫌で踵を返し、ユリウスのもとへ戻る。
 パーティの用意があるのではなかったのか……そんな小言を吞み込んで、エリシュカは残りの洗濯物を干すのだった。
 その日の夜。
 しっとりと優雅な音楽が流れ、着飾った娘たちが上品に笑い合う広間の壁際で、エリシュカはようやく一息ついた。
 洗濯と大きな浴場の掃除を一人で済ませた後、エリシュカは休む間もなくパーティ会場の設営に駆りだされた。そのせいで、彼女の疲労はピークを迎えている。城のシェフが腕によりをかけた食事が並んだテーブルのそばにいると空腹も強く感じられた。
 しかし、彼女の仕事はまだまだ続く。
 食事は立食形式で各々自由に食べてくれるが、飲み物を勧めたり、食べ終わった皿を回収したり、仕事は山積みだ。
 エリシュカはトレーにグラスを並べ、何種類かの飲み物を注ぎ始めた。
「ユリウス様、今日もずっと座ったままね。やっぱり、女性には興味がないのかしら?」
「挨拶に行くご令嬢の顔も見ないものねぇ」
 使用済みのお皿とグラスを回収してきたメイド二人の会話が聞こえてくる。
 その話題に釣られてエリシュカが玉座の方を見ると、二人の言う通り、ユリウスは浮かない顔をして頰杖をついていた。
 ちょうど父親と共に挨拶に近づいてきた令嬢にも見向きもせず、目を伏せたままの彼の雰囲気がどんどん暗くなっていくのが遠目にもわかる。
 あんなに嫌そうなのに、結婚を強制される王子というのは何とも煩わしい職業だ。
「ああっ! エリシュカお姉様、ちょうど良かったですぅ。マリア、喉が渇いちゃってぇ」
 エリシュカがユリウスを気の毒に思っていると、マリアが近づいてきた。
 薄紫色のドレスは小花の刺繡で可愛らしく、それでいて胸元が大胆に開いたデザインで女の色気も出そうという気合の入った装いだ。
 化粧もいつもより濃く、特につやつやの唇は男性の好みを意識している。桃色の頰紅も、彼女の白い肌に良く映える。
 マリアはエリシュカの注いだレモネードをこくこくと飲み干すと、ペロリと唇を舐めてふふっと笑った。
「今日のマリア、どうですかぁ?」
 エリシュカが彼女の装いを観察していたことに気づいていたらしいマリアが、ドレスのスカートを摘んでくるりと回る。
「今日は可愛いだけじゃなくて、大胆に女の色気もアピールしちゃうんですぅ! ユリウス様、マリアのこと食べたくなっちゃったらどうしよう~!」
「そうなんですか。とてもお似合いですよ。ユリウス様が気に入ってくださるといいですね」
 きゃっ、きゃっと一人で盛り上がっているマリアに、エリシュカは困り笑いで対応する。
 色気をアピールするのなら、その変な喋り方とくねくねした動きをやめるべきだとは思うが……。
「そうなんですぅ! ユリウス様、今夜はマリアのこと……」
 マリアは勝ち誇ったような表情になって声を潜め、エリシュカの耳元に手を添えて顔を近づけた。
「だから、マリア、恥ずかしいけど、初夜のお勉強もしたんですぅ! マリア、小さくて可愛いけどぉ、胸は大きいし、男の人はマリアみたいな女の子が好きなんですよぉ……やぁん」
 何を想像したのか、マリアは悲鳴を上げて両手で顔を覆う。
 最初こそエリシュカの耳元でこっそり喋っていた彼女だが、だんだんと興奮してきたのか最後は普段通りを通り越す音量になっていた。そのため、周りの令嬢たちの視線が痛い。
 エリシュカは愛想笑いを浮かべようとしたものの、頰が引き攣ってしまう。
 当の本人は気づいていないのか、ひとしきり悶えた後、ぽわぽわした表情でユリウスに視線を移した。
「マリア、ユリウス様にエリシュカお姉様を専属のメイドにしてもらえるよう頼んであげますねぇ。王妃様の専属なら、俸給も今より何倍も良くなりますよ。働き者のエリシュカお姉様に見合うようになりますわ」
 すでに王妃気取りのマリアは、ユリウスを見つめたまま頰に手を当てて恍惚の表情でのたまう。
 昼間の様子から、ユリウスが彼女を選ぶ可能性は低い気がしたけれど、それはエリシュカが指摘すべきことではない。
 明日、変わらずメイドとして働く彼女に会ったら、どう対応したら良いのか。それを考えると頭が痛い。
 しかし、それ以上にエリシュカを冷や冷やさせるのは、やはり周りの令嬢たちの剣吞になっていく雰囲気だ。
 鋭い視線は、なぜかエリシュカにも向けられている。一緒に騒いでいると思われてしまったらしい。
「マリア様、そろそろユリウス様にご挨拶に行かれたらどうですか? 私も飲み物を配りに行かないといけませんから……」
 エリシュカも一刻も早くマリアから離れた方が良さそうだ。彼女はグラスの載ったトレーを持ち上げて会場の中ほどへ行こうと動く。
 だが、そこで焦ったのがいけなかったのだろう。
 エリシュカはマリアの後ろから彼女に近づいてくる令嬢に気がつかなかった。もちろんユリウスに見蕩れていたマリアが気づくこともなく、令嬢がわざと彼女にぶつかったとき、エリシュカはマリアの前を通り過ぎるところだった。
「きゃあっ」
 ドン、と背中を押され、マリアがエリシュカに向かって倒れこんでくる。
「え!? きゃっ、ちょ――!」
 エリシュカはトレーを持っていたのでそれを受け止められないし、二人の距離が近過ぎて避けられるほどの時間もなかった。
 なんとかマリアにグラスの飲み物がかからないようにとトレーを持ち上げたものの、自分が倒れこんだときにそれも床に落としてしまう。
 投げ出されて割れたグラスや零れた液体を見て、さぁっと血の気が引いた。
 打ち付けた腕や身体も痛かったけれど、それどころではない。メイドとしてパーティでの粗相は大失態と言える。しかも、王子の婚約者を探すパーティでなんてとんでもないことだ。
「いたぁい」
 エリシュカに覆いかぶさっていたマリアが嘆きつつ、身体を起こす。その拍子に、彼女のネックレスに引っ掛かったのか、エリシュカのメイド服のスカートが捲れ上がった。
「きゃっ!?」
「いやぁ、何よぉ、もぉ」
 慌てて布を引っ張ったらマリアの首もついてきて、彼女はネックレスを引っ張り返す。すると、またスカートが捲れ上がって足が露になってしまう。
 メイドとしての失態だけでなく、女としても恥ずかしいこの状況に、赤くなったり青くなったり、エリシュカは泣きそうだった。
「エリシュカ!」
 そこへ、思いもよらぬ人の声が響く。
 エリシュカが驚いたのも束の間、血相を変えたユリウスが近づいてきて、ぶちぶちっとマリアのネックレスを引き千切った。
「え……?」
「マ、マリアのネックレス……!」
 啞然としたのはエリシュカだけではない。マリアも、彼女を転ばせた令嬢も、その他会場にいたすべての人々が開いた口を塞げずにいる。
「なんてことだ、エリシュカ!」
 ユリウスは苦悶の表情でエリシュカを責めた。彼の目元はほんのり赤くも見え、パーティを台無しにした自分への怒りを感じ、彼女はもはや半泣き状態だ。
 いくら婚約者探しが嫌だと言っても、パーティを開く以上、王族である彼は招待客をもてなさなければいけない立場だ。そこで騒ぎを起こしてしまったことは、彼の顔に泥を塗る行為。
「も、申し訳ございません! すぐに片付け――」
「僕はエリシュカに伝えなければならないことがある。皆は残りのパーティを楽しんでくれ」
 エリシュカが慌てて立ち上がろうとしたところ、ユリウスは会場全体に響き渡る声で宣言し、彼女の手を乱暴に引っ張った。彼女は抵抗もできず、引きずられるまま会場を後にする。
 この場面でユリウスが自分に伝えなければならないこと――十中八九、解雇に違いない。
 自分のような平民とさほど変わらない生活をする男爵令嬢が、城へ上がれたことは奇跡に近い。
 先に騎士として働き始めていた兄が上司に頼んでくれたおかげで、エリシュカはここで働き始めたのだ。仕事はできるが、雇用そのものに関しては他の令嬢と変わらない所謂コネである。
 エリシュカには弟と妹もいて、実家に仕送りをするため、できるだけ俸給の高い仕事を探していた。それに協力してくれた兄にもその上司にも顔向けができない。ユリウスの怒りが収まらなければ、領地の家族にまで迷惑をかけることになるかもしれない。
 自分が罰を受けるのは構わないが、それだけは避けたかった。
 どうにか周囲の人々へ迷惑をかけない術はないかと、困惑しながらも考えを巡らせる。そんなエリシュカには、自分が城のどこを通っているのかを気にする余裕はない。
 だから、ユリウスが王族の居住区となっている棟へ入ったときも、二階にある彼の私室に入ったときも、彼女は彼に引きずられるままだった。
「エリシュカ」
 ユリウスは部屋の奥へ数歩進んでからエリシュカを振り返る。
「も、申し訳ございません! すべて私の責任です。どんな罰でも受ける覚悟はございます。ですから、どうか父や兄には――」
「今すぐ服を脱いで」
 頭を深く下げ、道中考えていた謝罪の言葉を口にしていたエリシュカの思考が止まる。
 今、ユリウスは何と言った……?
「顔を上げて、エリシュカ。これは、とても重要なことだよ」
「は、はい。それは、重々承知しております。で、ですが……」
 おずおずと下げていた頭を持ち上げつつ、エリシュカは視線を泳がせる。
 確かに自分は王子の婚約者を決めるパーティで失態を犯した。王族が主催のパーティで、もてなす側のメイドが粗相をしたとなれば、招待したユリウスの体裁も悪い。
 しかし、服を脱げというのは……? それが罰だとでも言うのだろうか?
「エリシュカ、早く」
「――っ」
 エリシュカはユリウスの低く真剣な声にびくっと肩を跳ねさせた。
 彼の視線はエリシュカのワンピースに真っ直ぐに注がれていて、言葉通り彼女が脱ぐのを急かしている。
 拳を握り締めて僅かに身体を震わせているように見える王子――怒っているのだ。
「早く脱いでくれ。今すぐだ」
「は、はい」
 いくら王子の命令とはいえ、普通なら躊躇するだろう。だが、エリシュカはひどく動揺していた。
 ユリウスは自分の謝罪を受け入れてくれなかった。そして、服を脱ぐよう促している。
 つまり、これは罰なのだ――自分が犯した取り返しのつかない失態を償わなければいけないという意識が強く、混乱した頭では正確な判断がつかなかった。
 とにかく今の状況をどうにかしないといけない。そんな意識が働いて、彼女は唇を震わせつつも、エプロンのリボンを解いた。
 ここで彼女が拒否したら、きっと兄たちに迷惑がかかる。これは自分の責任。自分が受けるべき罰で、王子は彼女が服を脱ぐことを所望している。
 傷が目立たないように服を剝ぎ取られ、折檻されるのかもしれない。
 指先が冷たく、手も震えているせいで、ワンピースの前ボタンを外すのに時間がかかる。
 その間も、ユリウスは彼女を観察していて、視線がじりじりと肌を焼くみたいだった。
 パサリ、と――ようやく肩から布を落とした瞬間、ユリウスの影が勢いよく自分に迫ってきて、エリシュカは恐怖に目を瞑った。

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麗しの王子の悩みとメイドの受難【電子書籍版】

麗しの王子の悩みとメイドの受難【電子書籍版】

著  者
皐月もも
イラスト
氷堂れん
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
※各配信書店で販売金額が異なる場合があります。

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