退廃的生活のススメ

退廃的生活のススメ
第1回

退廃的生活のススメ

2018/01/25公開

[プロローグ]おいしいあやまち

『鍵を開けて待っていますわ……』

 つややかな黒い巻き毛の娘は身体をすり寄せるようにして、色っぽくささやいた。その言葉に込められた意味を聞き返すことはしない。誰にだって想像がつくことだ。寝台の上で繰り広げられるであろう行為に期待する――普通の男ならば。

 しかしスティーブン・エルフォード伯爵は“普通”とは少し違っていた。

 日付が変わって間もない深夜。
 寝静まった屋敷の廊下をスティーブンは音を立てないよう静かに、だがしっかりとした足取りで、誘いをかけてきた娘の部屋へと向かう。
『階段を上ったら右に曲がって、その突き当たりなの』
 娘はそう言っていたが突き当たりはただの壁になっており、その両脇に扉があった。
 突き当たりにある部屋はひとつだけと思い込んでいたスティーブンは少しだけ躊躇したが、まずは向かって右側の扉に手を伸ばす。
 取っ手が下に向かって回転したので、施錠されていない部屋だとわかる。蝶番が軋まないよう気をつけながらゆっくりと扉を開けて、その身を滑り込ませた。
 部屋の中に明かりはなく、厚手のカーテンはしっかりと月の光を遮断していた。
 おそらくは人間ならば真っ暗」と表現する状態なのだろう。でも、スティーブンには部屋の中の様子がわかる。
 寝台には毛布のふくらみができていて、枕には暗い色の髪が海藻のように広がっていた。
 そう。スティーブンは明かりがない暗闇でも見ることができるのだ。
 黒々とした髪を見てスティーブンは一瞬歩みを止める。
 熱心にアプローチしてきた娘はもっとくるくるとした巻き毛だったような気がするが……きっと、夜会のためにコテを使って巻いていたのだろう。
 長く生きてきたスティーブンは、女性のオンとオフの差をよくわかっているつもりだ。別人レベルで変貌を遂げる者もいる。それは昔から変わらない。気の遠くなるような昔から、ずっと。
 だからスティーブンは、この寝台に横たわっているのが自分に誘いをかけてきた娘、フェリシア・ヘニングであるとほぼ確信した。
「ミズ・ヘニング。まさか……眠ってしまったのかい」
 スティーブンはそっと毛布をめくった。娘はこちらに背を向けたまま動く様子はない。
「僕を誘っておいて、そんなはずはないよね」
 自分も毛布の中へもぐり込むと、娘の身体に手を這わせながら耳元でささやいてみたが、やはり反応はない。
 部屋の位置を告げてきたときのフェリシア・ヘニングは、恥じらう表情を作りながらも「やる気満々」のオーラを発していたが、本当に眠ってしまったのだろうか。
 うしろから抱きしめるような体勢をとり、ゆっくりと腰のラインをなでまわすと、娘が小さくうめいた。
「ん……」
 彼女は眠ったふりをしているだけなのかもしれない。
 そういった駆け引きが好きな女性も多い。
 スティーブンは彼女の腹をなであげていき、胸のふくらみを下からやんわりとつかんだ。目の前にあった小さな耳を軽く食むと、その身体はぴくんと動く。
「ひゃ、あ……」
 娘の乳首を探り当て、きゅっとつまんで刺激すると、なんともつやっぽい声がもれた。彼女が起きているのか本当に眠っているのか判断できないが、スティーブンがやることは変わらない。
 相手をうっとりと蕩けさせ、夢か現か定かでない高みに持ち上げてから、自分の飢えを満たすのだ。
 いま行っている愛撫は、いわば食事のための下準備。普通の人間が料理を食べる前に、まずは食材の下ごしらえをするのと一緒である。
 娘の太もものあいだに手を滑り込ませつつ、首筋に舌を這わせる。彼女はぴくぴくと身体をふるわせたが、なだめるような動きで愛撫を続けると、ふたたび弛緩していった。
 どうやら本当に眠っているようだ。
 でも、身体はしっかりと感じている。
 彼女の脚のあいだはとろとろに潤っているのだから。
 熱く湿った溝に指を差し込み、往復させる。
「あ、ん……」
 意識はなくても、彼女はスティーブンのしていることが気に入ったようだ。なまめかしい吐息をもらして、こちら側に寄りかかるようにして身体を預けてくる。
 むき出しになった白くて細い首に、スティーブンの牙が疼いた。
 だが、まだだめだ。
 もっともっと彼女を蕩けさせなくては、咬みついたときに気づかれてしまうかもしれない。
 首に吸いつかれた女性は快感のあまり記憶がふっとんでしまうことも多いが、牙で皮膚に穴をあけるときだけは、ちょっとした痛みがあるようなのだ。
 娘を快楽で朦朧とさせることに意識を向け、脚のあいだの突起に触れる。そこをこすったり押しつぶしたりしていると、やがて彼女の身体が断続的に強ばりはじめる。
 絶頂が近いのだ。
 ほんの少しだけ指に力を込めると、娘はあっけなく達してしまう。
「あっ、あああっ……」
 彼女はスティーブンの腕の中でぶるぶると身体をふるわせ、それからぐったりとなった。
「……どう? まだ起きる気にならない?」
 耳元でそうささやいたが、彼女が覚醒する様子はない。
 本当ならば身体をつなげ、さらに我を忘れさせるような状態にまで持っていきたいところだが、しっとりと汗ばんだ白い首筋を見つめていたら、スティーブンのほうが我慢できなくなってきた。
 ごちそうを前にして、牙がにゅっと伸びてくるのが自分でもわかる。
「じゃあ、今夜はこのままごちそうになることにするよ……」
 彼女の首筋をぺろりとひとなめしてから、スティーブンはそこに牙を立てた。
 人間が毎日パンを食べても飽きないように、スティーブンも血の味に飽きることはない。そして人間に味の好みがあるように、やはりスティーブンにも好みがあった。ときおりやたらとニコチン臭かったり妙な薬物の混じった血液を飲むはめに陥るが、だが、たいていは美味しくいただくことができた。
 今夜の食事の世話をしてくれるフェリシア・ヘニングはパッと見た感じでは、健康そうな若い娘──といっても、普通の人間はすべてスティーブンよりも若い──だったから、おかしな味がするということはないだろう。
 とがった牙がぷつりと肌に穴をあけた感触があった。たやすく吸血できる状態にするため、スティーブンはそこからさらに牙を食い込ませる。
 そのとき、彼女の血液が香った。スティーブン好みの濃厚な甘さを想像させるような、罪深い香りだった。
 フェリシア・ヘニングからは普通に美味しい食事ができるだろうと期待していたスティーブンだったが、これは期待以上の味に違いない。そう確信した。
 牙を突き立てた場所からフェリシア・ヘニングの血を吸い込んだスティーブンは、目を見開いた。思わずうなりそうにもなった。
 これほど美味い血を飲んだのは、長い長い人生の中で初めてだったのだ。
 思ったとおりに濃厚で甘くて新鮮。でもちょっとだけ不健康な味わいがある。
 いままでに数えきれないほどの女性の血を吸ってきたスティーブンだが、あまりの美味さに衝撃を受けていた。味わった瞬間、魂がふるえた気さえした。
 いったい、何を食べてどんな生活をしていたら……また、どんな人生を送りどんな魂を持っていたら、こんなに魅力的な味になるのだろうか。
 まさに自分好み。クセになりそうだ。すばらしすぎる。このまま吸いつくしてしまいたいくらいだ。だが、それでは彼女が死んでしまう。
 でも、どうにかしてこの娘を自分の手元に置いておくことはできないだろうか?
 ずっと、ずっと、永遠に、自分の傍に……。

「きゃ、きゃあああああっ! イヤー!!」

 腕の中の娘が、突然叫び声をあげる。
 極上の味わいに魅了されるあまり、スティーブンは自分のほうが我を忘れていたことにやっと気がついた。どうやらフェリシア・ヘニングが目を覚ましていたらしいのだ。
 しかし今夜の約束は取りつけてあったはず。叫ばれる理由はないのだが……ひょっとして恐怖や痛みを与えてしまったのだろうか。夢中できつく抱きしめすぎていたのかもしれない。そう考えて、スティーブンは腕をゆるめた。
「やっ、いやあ! 誰か!!」
「どうしたんだい、ミズ・ヘニング!? うわっ?」
 腕の力がゆるんだ途端に彼女はスティーブンをぐいと突き飛ばし、寝台から転がり出る。その際寝巻の裾を踏んづけたのか、ビリッと布の裂ける音がして、彼女は立ちあがれずに床に這いつくばった。
「あっ、大丈夫かい?」
「だ、誰かっ! 誰かっ!!」
 彼女は手とひざを使って扉に向かって這い、助けを求めて叫んでいる。
 ここでスティーブンはやっと自分の犯したミスに気がついた。牙を立てた女性がフェリシア・ヘニングではないということに──。

 彼女はフェリシアの義姉……エレナ・ヘニング。

 華やかなドレスをまとってダンスホールを踊り歩いていた義妹とは違い、一歩どころか十歩下がった感じの、控えめな雰囲気の女性だった。夜会用にしては地味な色のドレスを身に着けて、壁際にたたずんでいたことも記憶している。
 エレナの叫び声により、屋敷の住人と宿泊客たちが集まり始め、部屋の中をランプで照らされた。エレナは腰が抜けているのか床に座り込んだまま、洗い立てのリネンみたいに真っ白な顔色をしている。
 集まった野次馬たちによって、この事態は醜聞となって社交界を駆け巡るだろう。自分は女性に乱暴を働こうとした好色貴族として。エレナは慰み者になった哀れな女性として。
 スティーブンにとってはたいした問題ではない。社交界の醜聞など十年、二十年も経てば忘れ去られていく。スティーブンにとっては瞬きする程度の時間でしかなかった。だが、エレナにとっては……。

 なんてことだ──。

 なんの落ち度もない女性を、自分のせいで酷い目に遭わせてしまった。スティーブンは自分のしでかしたことに落ち込みかけたが、これは“美味しいエレナ”を自分だけのものにするチャンスなのではと思い直す。騒ぎを収め、エレナの名誉を回復し、何より彼女を自分のものにしてしまう方法がひとつだけあるではないか。
 大勢に見られたことは、スティーブンにとってかえって都合がよかった。
 だが、これ以上エレナを見世物のようにするわけにはいかないとも思った。
 彼女は派手に転んだが、怪我をしてはいないだろうか。スティーブンと違って、人間はちょっとしたことで命を落としてしまう。彼女が病気になったり、自分の見ていないところで怪我をしたりしたら……。そう考えただけでスティーブンは居ても立ってもいられなくなる。
 早くエレナを自分だけのものにしてしまわなくては。
 スティーブンはエレナの傍へ行くと、その手を取って立ち上がらせた。彼女はどうしたらいいのかわからないといった感じでうつむいている。
 エレナ・ヘニング。
 魂をふるわせるほどに美味な血を持つ稀有なひと。エレナほどに美味しい女性に巡り合える可能性が、この先どれだけあるだろうか。
 傍にいるだけで、指先が触れただけで、彼女を欲して牙が疼く。
 スティーブンは思った。
 エレナは自分が憧れ求めてやまなかった存在……「魂の伴侶」になりえるのではないか、と。

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退廃的生活のススメ

退廃的生活のススメ

著  者
Canaan
イラスト
あづみ悠羽
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1112 円(税抜)
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