皇帝陛下の不埒な誘惑DX

皇帝陛下の不埒な誘惑 専属司書は蜜愛の褥で喘ぐ
第1回

皇帝陛下の不埒な誘惑 専属司書は蜜愛の褥で喘ぐ

2018/02/28公開

[1]王立図書館でのひそやかな逢瀬

 王立図書館を見つけたのは偶然だった。王宮の隅にひっそりとたたずむこの図書館は、キャロルにとって何にも代えがたい大切な場所なのである。


 幼き時分――大人になったいまもたいして変わらないが――マクミラン公爵邸の片隅にこもりきりだったとき、話し相手は本だけだった。だから、王宮へ上がったのはたまたまだ。父親に「たまには外へ出なさい」と言われてしぶしぶ、父の王宮での用事に付き添ってのことだった。
 父親の王宮での用事が長引き、親族を呼ぶから話し相手をしているようにと告げられたキャロル・マクミランは「冗談じゃない」と心のなかで悪態をついた。父方の親族といえば、キャロルの見た目をからかう輩ばかりだ。
 キャロルは従者の目を盗んで応接室を抜け出し、衛兵に遭わぬよう気をつけながらひたすら階段を下って王宮の外に出た。
 いつになく胸が高鳴っていたのをいまでも覚えている。ふだん、これほどまでに出歩くことがないからだ。冒険さながらキャロルは王宮の敷地内を徘徊した。さすがに城門から外へは出られない。門には衛兵が張りついていて、警備が固い。
 城門を横目に見ていたからか、その円筒形の建物はこつぜんと現れた。いったいなんの施設なのか、外から見ただけではわからない。きっとそのとき、とてつもない冒険心にあふれていた。だから、その扉を開けたのだと思う。
(図書館……なんて、あったのね、王宮に)
 円形の壁に添うようにしてびっしりと本が並んでいる。人がいるということに気がついたのは数歩進んでからだった。
 受付カウンターにいた女性はキャロルの見た目に何を言うでもなく、「ごゆっくりどうぞ」と口にしてほほえむだけだった。無関心なのか、あるいは見目を気にしないタイプの人なのか。わからないが、何も言われないのならばそれに越したことはない。
 キャロルは「ありがとうございます」と小さな声で返してさらに歩を進める。赤い絨毯が敷き詰められたこの空間で、中央だけぽかんと丸く明るくなっている。なぜそこだけ明るいのだろう。近くにランプの類はないというのに。
 その場所に着くと、頭上からあたたかな何かが降り注ぐのを感じた。キャロルはいざなわれるように視線を上へ走らせる。
 ――そのまばゆさに、目がくらんだ。視線の先には丸い天窓と、その向こうには煌々と光る太陽があった。
 天窓から射し込む光の柱が一直線にキャロルを照らす。きっとなんでもないことだ。天窓から、ただ単純に光を浴びている。たったそれだけ。
 しかし幼いキャロルには『それだけ』ではなかった。日陰で生きてきた自分に当たるひとすじの光。ここは日陰だが、そうではない。自分を照らしてくれる唯一の光のような気がした。ここが、この図書館こそが自分の本来いるべき場所なのではないかと、どうしてか思った。
 それからというもの、キャロルはいっそう本の虫になった。王立図書館に通い詰め、あらゆる本を読みあさった。この図書館の本で読んだことのないものはないというくらいだった。
 そうして時は流れ――キャロルが王立図書館の司書として働き始めたのはいまから五年前、二十歳になったばかりのこと。
 王宮に隣接するこの図書館は、王族、貴族などの身分の高い者にしか利用を許されていない。貴族のほとんどはほかの娯楽に夢中であまり本を読まないのだ。教養が深い貴族もいるが、そういう人はここを利用せずに自分で本を購入している。だからこの小さな図書館はいつも閑散としている。
 王立図書館の司書はキャロルただひとり。ひとりで充分に足りる。
 黒髪に茶色い瞳をしたキャロルにとってこの職場はうってつけなのだ。キャロルの見た目はほかの人と違う。シュバルツ国のほとんどの人間は金や銀の髪の毛に青や緑の華やかな色の瞳をしている。どんな光でも美しく反射する髪や、爛々と輝く宝石のような他人の瞳を目にするたび、幼いころはよく悩んだ。どうして自分だけ違うのだろう、と。
 キャロルの母親は遠い異国の出身である。他人と違う毛色のキャロルは公爵家の令嬢でありながらこの日陰の図書館を職場として選んで日々仕事に励んでいた。
 前任の司書が職を辞することになって、代わりを探しているのだと聞いて真っ先に手を挙げたのがキャロルというわけだ。前任の司書は最後まで「キャロルさまは公爵令嬢なのに」と気を遣っていた。本来ならば、貴族の令嬢が職を得て、外で働きはしない。しかしそれはあくまで一般論だ。黒い髪に茶色い瞳の自分は見た目がすでに一般的ではないのだから、いまさらだと開き直っている。
(あまり利用客がいないっていうのも、私にとってはすごくいいことなのよね……)
 図書を利用してくれる人が増えればもちろん嬉しいのだが、いかんせん人と話すのは苦手だ。たいていは見た目をからかわれて不愉快になる。だから夜会にもめったに行かない。そのせいで縁談もまったくないのだが、死ぬまで司書として働くつもりだからべつにかまわない。むしろ、死ぬまでここで本に囲まれて暮らしていけるのなら、それほど幸せなことはないと思う。この居心地のよい場所にいつまでもいたい。そうなれば本望だ。
(さてと……そろそろ書棚の整理を始めよう)
 今日の利用者は貴族の子どもが数人。本の並び順をぐちゃぐちゃにして出ていってしまった。ある程度はすぐに片づけたが、細かい整理はできていない。
 キャロルは小さなカウンターテーブルの上に手をついて丸椅子から立ち上がった。赤いふかふかの絨毯を踏んで天井を見上げる。
 円筒形の吹き抜けの内壁には本がびっしりと並べられている。幾層にもまたがる書棚へは、らせん階段を使って向かう。横幅はせまいが縦には長いらせん階段を上っていちばん上の階から下を見ると、とても気持ちがいい。
 はあはあと息を切らせながら最上階まできたキャロルは棚の一角に収まっている本をすべて床に出して整理を始めた。タイトル順に並び替えるためだ。
 黙々と作業を続ける。話す相手もいないから当然だ。
 キャロルは作業のかたわら、手すりの合間からちらりと階下を見やった。図書館の玄関の扉は少しも動きそうにない。
(もうすぐ閉館……だけど)
 閉館間際になるとやってくるその人を、キャロルは少なからず待ちわびていた。
 キャロルが勤務するようになってから数ヵ月。お忍びでやってくるようになったその男性はつい最近、皇帝に即位した。前皇帝の持病が悪化してのことだ。
 急遽、皇位を継いだということもあって、皇帝陛下は多忙だ。即位してからは図書館に来る回数が減っていた。それでもキャロルは閉館間際になると彼の姿を探してしまう。
(今日はこないのかな、アル……)
 大きな丸い天窓から差し込む光が乏しくなってきた。太陽がちょうど真上にきたときは光の柱が一直線におりてきて床を照らすのでとても明るいのだが、窓は天井だけだから夕方になると室内は薄暗くなる。
 ランプは各階の円形の壁に点々としか設置されていない。もとよりこの図書館は本を別の場所で読むことを前提としている造りだ。
 薄暗いなかで作業を終えたキャロルは立ったままふうっとため息をついて前髪を手で横に払った。長いうしろ髪はひとつにまとめているから邪魔にはならない。
(そろそろ前髪を切らなくちゃ)
 目にかかりそうになってきた髪の毛を指でつまむ。この黒い髪はこの国では異端だけれどキャロル自身は嫌いではない。いまは亡き母親の面影を見ることができるからだ。
 幼いころに亡くなってしまった母親のことを思い出していると、突然、両肩に重みを感じた。何かがキャロルの肩をそっと叩いたのだ。
「ぎゃっ!」
 品のない叫び声を出して身を跳ねさせる。
「なんだ、色気のかけらもないな」
 すぐうしろから聞こえてきた声に胸が高鳴る。今日は会えないだろうと思っていた人の声だ。
「もう、アル……。おどかさないで」
 キャロルが体をひねって顔をうしろに向けると、金髪の男は顔をほころばせた。皇帝に即位したばかりのアルドヘルム・シュバルツはおだやかな表情で黒髪の司書を見下ろしている。
「俺がここまでのぼってきたの、ぜんぜん気がつかなかったのか?」
「うん、わからなかった」
 らせん階段にも床面と同じ赤い絨毯が敷いてあるため足音はあまりしない。それに、キャロルは作業に没頭するとまわりの音が聞こえなくなってしまうから、なおさら気がつかなかったのだ。
「まったく、あいかわらずだな」
 アルドヘルムは笑みをこぼした。キャロルの両肩にあった彼の手がゆるやかに下降して腰元をつかむ。そのまま両腕は腹部にまわり、キャロルの体を包み込んだ。
(また、こんな……。アルったら、いったいどうしちゃったんだろう)
 キャロルは背中に温かさを感じて戸惑いを隠せず、書棚に目を向けてうつむいた。彼が皇帝に即位してからどういうわけかこういうスキンシップが増えたのだ。顔を合わせることは以前よりも少なくなったが、肌が触れ合う機会は増えていた。
 アルドヘルムとは初めて会ったときからこんなふうだったわけではない。むしろ第一印象は最悪だった。
 キャロルは当時のことを思い起こす。
 王立図書館で司書として働き始めて半年ほどが経ったある日、突然やってきた彼は開口一番に「うわさの黒髪を拝みにきた」と言ったのだ。
 きっと興味本位でやってきたのだろう。しかし彼はその次の日も、そのまた明くる日もやってきてはキャロルに話しかけてきたのだ――。


「またいらしたんですか」
 キャロルはカウンターに座ったまま、仏頂面で金髪の男を見上げていた。
「俺を害虫でも見るような目で、不遜な視線を寄こしてくるおまえの顔はいつまでたっても見飽きなくてな」
 美貌の男が不敵に笑う。彼は数ヵ月前から毎日のようにここへやって来る。図書を借りるでもなく、閉館間際にフラリとやってきてはたわいない話をして帰っていくのだ。
 キャロルはニコリともせずに言う。
「図書の利用客でないのなら、悪い虫ということになりますね」
「はっ、なかなか言うようになった。では借りていくとしようか、おまえが手塩にかけている図書とやらを」
「……もうすぐ閉館時間ですので、お早めに」
「ああ」
 キャロルはらせん階段を上っていく男の背を静かに見送った。
 名も知らぬ、傲慢な態度の不躾な男。身なりからして貴族──もしかしたら王族かもしれないが、あまり興味はない。司書業務を粛々と滞りなく遂行することのみが生きがいだ。司書業務において、利用客との会話はさして必要ではないと考えている。
 もともと他人と話をするのは苦手だというのに、この──自分とは正反対に見目の麗しい男が毎日のように話しかけてくるので、いつのまにかへらず口をたたくようになってしまった。
「これを借りたい」
 図書を選び終えた男がカウンターの前に戻ってきた。
 キャロルはオートマタのごとく淡々と貸し出しの手続きを進める。
「……では、こちらにお名前をご記入ください」
 羽根ペンを手渡す。男は自身の名をサラサラと美しくつづっていく。
『アルドヘルム・シュバルツ』と書きつづられた貸出帳の一行を目の当たりにしたキャロルはその目をまるくした。
 この国の名を姓に持つ男性は皇帝陛下か、あるいはその嫡子である皇太子だけだ。
 年のころから察するに、この男は──。
「皇太子殿下!? ……あなたが?」
 金髪の男が眉を下げて笑う。困っているようなほほえみだった。なぜそんな表情になっているのか、キャロルにはわからない。
 皇太子は自身の短い金髪を片手でくしゃりと無造作につかんだ。頭を抱えているようなしぐさだ。
「べつに隠していたわけじゃないが……おまえでも驚くことがあるんだな」
 いつも自信満々といった様子で雄弁に話をするこの男──アルドヘルムが、どうしてかいまはうつむき加減だった。チラチラとうかがうような視線を寄こしてくる。
 彼のそんな態度を不審に思いつつ、キャロルは口を開く。
「ああ、それで……政治に関する図書なのですね」
 彼が皇太子だと知り納得した。アルドヘルムが借りようとしているのは近年の政争を事細かにつづった分厚い書物だ。
「公務に役立ちそうな本が思いの外たくさんあった。ここは本当に……有用な場所だ」
 アルドヘルムはいつになくじいっとキャロルを見つめている。まさに熱視線だ。キャロルは碧い瞳を見ていられなくなって、ふいっと顔をそむけた。
「……お忙しくても返却期限はかならず守ってくださいね、殿下」
 するとアルドヘルムはくっくっと声を漏らして笑った。
「そういう反応は新鮮だ。いや、むしろ逆か。おまえは俺が皇太子だと知っても態度が変わらないんだな。それでこそキャロルだ」
「……っ!? わ、私の、名前……。ご存じだったんですか」
 おもむろに胸元を指差された。指の先には、小さなネームプレート。
「そこに書いてある。まあ、ずいぶん前から名は把握していたが。呼んだのは今日が初めて……か?」
 自問のような彼の言葉に、キャロルは何も答えられなかった。
(やだ、どうして……)
 ふだんは「おまえ」としか呼ばれていなかったからなのか、やけに恥ずかしい。彼の名を知り、また自身も名を呼ばれることで妙な親近感を覚えてしまったようだ。
(相手は皇太子さまだっていうのに)
 彼が不遜な態度ばかりとるせいで、ついこちらもそうなってしまっていたが──。
 いままで失礼なことばかり言っていたかもしれないとは思えど、だからといっていまさら態度を変えるのもどうかと思う。
 思案顔でカウンターの端を見つめているキャロルにアルドヘルムが語りかける。
「おまえも俺を名で呼ぶといい。なんなら愛称でも」
「まさか、そんなこと……。親しくもないのに」
 このときはこう言ったキャロルだったが、数日も経たぬうちにアルドヘルムを愛称で呼ぶことになる。彼が毎日、へらず口や憎まれ口をたたくせいだ。
 彼との出会いから三日と経たず、アルドヘルムはふたたび図書館へやってきた。そうして人の顔を見るなり、
「おまえ、自分の髪が黒い理由を知ってるか?」
 などと得意げに訊いてくるものだから、キャロルはしばらく言葉を返せなかった。
(人が気にしていることを、よくもそうずけずけと……!)
 内心はそんなふうに憤っていたけれど、口には出さない。口に出したら負けのような気がした。
「あ、あたりまえですっ。私の母が遠い異国の……島国の出身だからです」
 憤然とそう答えると、アルドヘルムは得意顔のまま大きくうなずいた。
「そうだ、陽国という島国だ」
 茶色いカウンターに腕を組んで預け、アルドヘルムはキャロルの顔を覗き込む。キャロルが驚くその顔を見たかった、と言わんばかりに。
 間近に迫った彼の顔に二重の意味で驚きつつ、キャロルは視線を不安定にさせながら彼に尋ね返す。
「……どうしてそれをご存じなんです? 島の名前は父方の親族でもほとんど知らないはずなのに」
「俺を誰だと思ってるんだ。調べはついている」
 いったいなんの調べがついているというのだろう。キャロルは「なっ」とうわずった声を出して肩をすくめる。
「その島国とやらは独自の発展を遂げているようだな。着物……といったかな。髪や瞳の色だけでなく服装に至ってもわが国とはまったく異なるんだ。どうだ? 知っていたか?」
「そっ、それは……知りませんでした」
「そうだろう。おまえのことが知りたくて俺なりにいろいろと調べた」
「えっ!?」
 ――それってどういう意味なの!?
(私の黒髪が珍しいから、知りたい――ってこと……よね)
 あいかわらず彼の顔が近くにある。この人はどうしてこう、人の目を見て話したがるのだろう。
 アルドヘルムは意気揚々と語り続ける。
「陽国の場所についてもわかっているぞ。島国なだけあって航路しかないが……なかなかの長旅になるだろうな。おまえ、船酔いはするほうか?」
「どうしてそんなことをお尋ねになるんです? 旅に出るわけでもあるまいし」
「いや、たとえばの話だ。おまえ、陽国に行ってみたくないのか? 俺は非常に興味があるぞ」
「もちろん、私だって!」
 身を乗り出してそう言うと、アルドヘルムはしてやったりといったふうに笑みを深めた。
(もう、本当に……この人、どういうつもりなの?)
 それにしても、誰かと母の祖国についてこんなに話をしたのは初めてだ。まともに取り合ってもらえないか、亡き母の話題は避けたほうがいいだろうと思ってか掘り下げてくれないのだ。
「……おまえは母の面影を残しているんだな。すばらしいことだ」
 急に真面目な顔になってアルドヘルムが言った。どうしていきなりそんなことを言い出したのだろう。 
「もしおまえと俺の子が産まれたらどうなるかな?」
 ――なに言ってるの!?
「黒い髪に碧い瞳か、あるいは金髪に茶色い瞳か。なんにしても、かわいいだろうな」
 キャロルは高鳴る心臓を必死になだめながらなんとか言葉を返す。
「こ、子どもがお好きなんですか?」
「おまえはきらいか? 子ども」
「嫌いじゃないですけど……いっつも本棚をぐちゃぐちゃにしていくんだもの」
「はは、それはやっかいだな。だが子どもとはそういうものだろう。案外、おまえの気を引きたくてそんないたずらをしているのかもな」
「まさか、そんなわけないです」
 キャロルが即答すると、アルドヘルムは彼女の長い黒髪の一房を手にとって指に絡めた。そのままもてあそび始める。
「さて、どうだろうな――」
 そのときの彼は何やら意味ありげに笑っていた。その笑顔が、とても印象深かった。


(そういえば初めのころは、彼のこともやっかいだと思っていたっけ)
 いたずらをしにくる子どもと同じくらいに思って接していたのに、貸出帳にシュバルツの姓を記されたときは心底、驚いた。当時の彼は王位継承第一位の皇太子だったのだ。
 そしていまとなっては皇帝陛下だ。
 本来なら雲の上の存在で、気軽に話したり触れ合ったりできる相手ではないのだが、彼はそういう雰囲気にさせない。彼はあえてそういうふうにしているのかもしれない。
 訊いてよいものかと悩みつつ、キャロルはすぐうしろにいる美貌の皇帝陛下に話しかける。
「お父さまの……前皇帝陛下のご容態はどう?」
「いまは落ち着いている。わりあい元気なんだ。こんなことなら早々に皇位を継ぐんじゃなかったと少し後悔している。おまえに会う時間がますます減った……」
 彼の腕にさらに力がこもった。いささか苦しいくらいだ。キャロルはなんとか大きく息を吸い込む。自分自身を落ち着かせる意味合いもある。
「アルは前から忙しそうだったものね」
「まあな……。それもこれも、議会が早々に俺を担ぎ上げたせいだ。まったく、父上はまだまだやれると思うんだがな」
「そう……」
 キャロルはいつも、彼の話に対してあいづちを打つことしかできない。彼が皇帝になってからというもの、彼の表情に影がさし、それがしだいに濃くなっていくような気がしていた。それでも、こうしてスキンシップを取ることでアルドヘルムの表情がやわらぐものだから、キャロルは彼との触れ合いを拒めないでいる。
(でも……いくらなんでも、長すぎる)
 アルドヘルムはキャロルの体に巻きつけた腕をいっこうにはずそうとしない。何を話すでもなく、ただ抱きしめられている。何か言いづらいことでもあるのだろうか。キャロルはおずおずと口を開く。
「あ、あの……それで、どうかしたの?」
「……少し、考えごとだ」
 アルドヘルムは身をかがめてそうつぶやいた。
 吐息が耳に当たってくすぐったかった。彼はキャロルよりも四つ年上の二十九歳だが、アルドヘルムがくだけた話し方をするのでキャロルも自然と敬語は使わなくなった。
 もちろんふたりのときだけだ。そもそも公の場でアルドヘルムに会うことはまったくないのだが。
「おまえ、結婚の予定はないのか?」
 あまりに唐突なアルドヘルムの問いかけにキャロルは「へっ?」と声を裏返らせた。ただでさえうしろから抱きしめられていて落ち着かないのに、心臓はますます速く脈を打つ。
「そんなものないわ。私は一生ここで働くと決めているの」
 アルドヘルム以外の男性とはろくに会話もできないキャロルだ。適齢期もとうにすぎているし、結婚の気配は微塵もない。
 もちろん、結婚願望がまったくないかといえば嘘になる。だから、いましがた口にした言葉はただの強がりだ。一生司書として働きたいと願いつつも、やはり結婚には憧れる。ふだん社交の場にあまり出ないせいもあって煌びやかなドレスは着慣れていない。華やかで、そして一生に一度の特別なドレスにだって憧れはある。
(でもどうせ似合わないし……私が着飾ったところで、笑われるに決まっている)
 キャロルは心のなかで自嘲する。
 ――それに相手は? 相手がいなければ結婚はできない。
 背に感じる温かさを妙に意識してしまう。
(……無理よ、彼は。私では到底、手が届かない)
 いくら自分が公爵令嬢だといっても、彼にはとてもふさわしくない。見た目も、司書の仕事をしていることも公爵令嬢としては異端なのだ。司書という仕事には誇りを持っているけれど、誰かの――もし仮に皇帝陛下の妻になるのだとしたら、この見た目も職務も枷でしかないだろう。
 キャロルがうつむくと、アルドヘルムは大きく息を吐いた。
「そうか……。ここでずっと司書として過ごすのか、キャロルは」
「そうよ。……ちょっ、アル……!?」
 お腹にまわっていたアルドヘルムの腕の先が紺色の簡素なドレスをなで上げながらどんどんのぼっていく。ひかえめなふくらみが彼の手に触れた。
「やっ、な……。なに、するの……っ」
 キャロルのふくらみはドレスの下に身につけている固いコルセットに守られている。だから、ほんの少し触れられたくらいでは何も感じないはずなのに、アルドヘルムがそこに手を伸ばしたという事実が、いまだに一度も目覚めることなく眠り続けているキャロルの官能を刺激する。
 顔がかあっと熱くなっていく。
「結婚しないということは、天にも昇るような快感を知らずに生きていくってことだぞ。このやわらかいふくらみのてっぺんをつままれたらどんな気持ちになるのか、おまえは興味がないのか?」
 体の奥底を揺さぶるようなアルドヘルムの低い美声。それを聞いただけで下肢の秘めたつけ根がヒクンと痙攣してしまい戸惑う。
「そ、そんなもの……。知らなくていいわ」
 またしても強がってしまった。本当は知りたい。けれどいままでそれを教えてくれる男性なんていなかったから、未知のことで恐ろしくもある。いま胸に触れているのが、ひそかに想いを寄せているアルドヘルムでなければ恐怖で泣いていたかもしれない。
「俺は知りたい。おまえがどんなふうに感じてあえぐのか」
 プチン、と詰襟のボタンのひとつを外された。
「な……っ! アル、やめて」
 外されてしまったボタンを留めなおそうと両手を伸ばすが、それよりも先にアルドヘルムの指がボタンを次々と外していく。
 瞬《またた》く間に紺色のドレスは正面をはだけさせられてしまった。
 純白のコルセットと、その下の薄手のシュミーズはいまだに身を守り続けているが、こんな姿をさらしているのは心もとない。アルドヘルムはうしろにいるから、まじまじと見られないだけマシではある。
(どうしよう……! どうすればいいの)
 未婚の女性が結婚相手でもない男性に肌をさらすのは神の御心に背く行為だ。
 アルドヘルムはきっと疲れているのだろう。彼がスキンシップを過剰に取り始めたのは皇帝に即位してからだ。忙しくて疲労が溜まっているのだ。そうに決まっている。
 そうでなければ、黒髪に茶色い瞳のキャロルに淫らなことをしようという気など起きないはずだ。
 信心深く、背徳的な行為に厳格なキャロルは皇帝陛下の気の迷いをなんとか絶とうと、思いついたことを口にする。
「ア、アル! あなたがこのあいだ借りていった本の返却は今日までよ。持ってきてくれた?」
 キャロルは前を向いたまま叫ぶように言った。胸元は両腕で隠している。
「なっ――おまえ、いきなり……」
 くっくっくっと笑いながらアルドヘルムは美貌の面をゆがませた。
「まったく、こんなときにそんなことを。だがおまえのそういう真面目なところ、俺はすごく好きだ」
 トクン、と心臓が跳ねる。不用意にそんなこと言わないでほしい。どういう「好き」なのか問いただしたくなってしまう。
「そ、それで……あなたが借りていった本は?」
 本心を抑え込んでキャロルはうつむく。乱れてしまったドレスを整える。いや、乱れているのはドレスだけではなかった。
 ――いったいいつまで、こうして彼と逢瀬を重ねることができるのだろう?
 ここのところ彼はよく夜会に出席している。その真意を彼は言わないけれど、議会に所属する有力貴族たちがこぞって自分たちの娘を夜会に出席させているということは、情報にうといキャロルの耳にも届いていた。娘たちを夜会に出席させ、皇帝陛下の目に留まらせようとしているのだ。
(まだ皇帝に即位したばかりだけど……早く皇妃を、と望む人が多いんだわ)
 もともと議会の強い推しで皇帝に即位したのだ。政治体制が盤石でないいまのうちに、自分の息のかかった娘を妻に、と有力貴族たちは考えるのだろう。
(いつまでもこのままでなんて……いられない。わかってる、わかっているけど)
 だからといって何か行動を起こせるかというと、否だ。できることといえば、せいぜい司書の業務を真面目にこなすということ くらい。
 キャロルが「どうなの?」と答えを急かすと、何やら考えごとをしていたらしいアルドヘルムはハッとした様子でおもむろに口元を押さえた。
「ああ、借りている本か。悪い、まだすべて読み終わっていないんだ」
「ええっ? ……もう、しかたがないわね」
 彼は多忙な皇帝陛下だ。本を読むいとまなんてなかなかないだろう。
「じゃあ、貸出を一週間だけ延ばす手続きをしてあげるから、また来週……持ってきてね?」
 貸出期間を延ばしたのは、一週間後にまた会いたかったから。
 ――いや、そんな下心はなかったのだと、思いたい。

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皇帝陛下の不埒な誘惑DX

皇帝陛下の不埒な誘惑DX専属司書は蜜愛の褥で喘ぐ

著  者
熊野まゆ
イラスト
風凪ひかり
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
926 円(税抜)
※各配信書店で販売金額が異なる場合があります。

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