夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

夢の終わりに、嘘を一つ吐きました  プロローグ
第1回

夢の終わりに、嘘を一つ吐きました  プロローグ

2018/03/30公開
 恋なんて、するはずないと思っていた。
 だから、結婚なんてするはずないと思っていた。

 十五で騎士団に入ってから、毎日泥と下ネタ全開の下品な冗談に塗れた生態にどっぷり浸かっているのに、恋なんて出来るはずがないと思っていた。
 ガサツで、下品で、面倒臭がりで、割れた腹筋に細い袖の服など入らない逞しい腕と平凡よりも劣る顔立ちで、女らしいところなんて一つも持っていない。そんな自分が、誰かを好きになって、そして、誰かに好きになってもらえるなんて、奇跡でも起きない限り無理だと思っていた。
 だから、その人に出会って、その人を好きになって、その人から好きだと言われて、抱き合って、自分が女であることを知って、ますますその人を好きになった。
 強張っていた心も身体も柔らかくなって、いつの間にか、脆くなっていた。
 結婚して、小さな家で、ママゴトのような暮らしを必死で守ろうとした。
 苦手な料理も、上手く出来ない妻の役目も、いつかきっとちゃんと出来るようになると思っていた。
 そうしたら、誰に対しても胸を張って、あの人の妻なんだと言えるようになると思っていた。

 側にいられるだけで、嬉しかった。
 温もりを分け合うことが許されるだけで、よかった。
 夢のような毎日に、溺れていた。
 いつか終わるはずだと思いながら。
 いつまでも終わらないでほしいと願いながら。
 自分が、アーシュラ・フォルバーグであることを、思い出す日が来なければいいと思いながら。

 今まで、一度だって、祈りが通じたことなどなかったのに。


◇◆◇◆


 慌ただしく仕事を切り上げた夕暮れ時。高級な品と高貴な客だけを扱う店が立ち並ぶ通りの片隅で、アーシュラは自分がひどく場違いな場所にいると思った。
 身を隠すようにして、表通りではなく店と店の間にある小路に立っているだけでも怪しいのに、暗がりに溶け込む黒い制服を着て、物騒なものを腰に下げているなんて、この界隈を利用する客ではあり得ない格好だ。
 それでいながら、誰にも見咎められないのは、気にする価値もないと思われているからだろう。
 こんな場所には仕事でだって足を踏み入れたくないが、今日だけは、どうしても自分の目で確かめなくてはいけないことがあった。
 確かめてしまえばもう二度と来ることもないのだからと、逃げ出す言い訳を探しそうになる自分に言い聞かせながら、じっと左手正面にある宝飾店の様子を窺っていた。
 冬は終わっているものの、日が落ちるとまだ肌寒さが残る。冷えた指先を温めるように息を吹きかけようとした時、ひと組の若い男女が店から出て来るのが見えた。
 二人は、周囲を気にする素振りもなく、通りに停まっていた馬車へと乗り込んだ。
 遠目ではあったが、それが目的の人物だということは、見慣れた姿ですぐにわかった。
 アーシュラは、軽やかな馬蹄の音を響かせて目の前を通り過ぎて行く車窓に映る、微笑み合う男女を見つめ、乾いた笑みを浮かべた。
 女の名は、メイヴィス・クラドック。
 ウォールリンデン王国の内外に政治的な影響力を持つクラドック公爵家の長女。今年十八歳となったため、いよいよ婚約者を選ぶのに余念がないらしいが、十六歳で社交界にデビューして以来、馬車に同乗していた男にご執心だということは、有名な話だった。
 男の名は、デューク・アイデン。
 ウォールリンデン王国の第二王子ヴィーラントの側近の一人。弱冠二十四歳にして、次期外相候補の一人として名を連ねている逸材だ。アイデン子爵家の次男であるデュークは、王立学校を飛び級して十七歳で卒業すると同時に、ヴィーラントの補佐官に抜擢された。王立学校在籍中から家庭教師としてジェネヴィーヴ王女の寵愛も得ている出世頭だった。
 そんな将来有望である男の妻の座を狙う女は数知れず。社交界では常にその周辺には美女が群がり、男性陣の嫉妬を買っている。四年ほど前に結婚し、既に独身ではないのだが、妻帯していることを公にはしていないため単なる噂だと思っている者も多く、熾烈な女同士の争いが繰り広げられているらしい。
 もっとも、本当に結婚していると知ったところで、身分が高ければ略奪も許されるという、この国の貴族の悪習に染まったご令嬢たちは遠慮などしない。
 ましてやその妻が、取るに足りない一介の庶民に過ぎないとなれば、暗殺しようとしないだけ、まだマシなのかもしれない。
 恨みつらみを書き連ねた――要約すれば「別れろ」ということになる――恐ろしく長い手紙がその妻の下へ届けられることも珍しくない。
 そう、デューク・アイデンの妻である、自分。
 アーシュラ・アイデンの下へ。

 ひとりで目覚めることにもすっかり慣れた、いつもと変わらぬ朝。アーシュラはそんな手紙のひとつを受け取った。
 いつもなら無造作に投げ捨てるだけのものを、今日に限って広げて見る気になったのは、思い知りたかったからかもしれない。
 そこに書かれていた、今日の夕方この場所にいれば決心できるはずだという、恩着せがましい言葉を確かめようと思ったのは、これ以上は無理なのだと自分に言い聞かせるためだったかもしれない。
「……なるほどね」
 たった今目にした光景に、アーシュラは誰にともなく呟いた。
 夫が何をしているのか、気付いていなかったわけではない。それでも、決定的な場面を見たことはなかったし、見たいとも思わなかった。知らなければ、「妻」のままでいられると思っていた。
 甘く、優しい薄布で覆われ、隠されていた世界は、たった一つの光景で、冷たく、残酷なものであると暴かれる。
 どんなに長く甘い夢でも、覚めるのは一瞬。
 どんなにその終わりを引き延ばしたとしても、絶望するのは一瞬。
 たった今、小さな我が家とは逆の方角へ去って行った夫は、今夜も帰って来ないだろう。
 知らなければ、待っていられた。
 だが、知ってしまった今、もう、帰って来ない人を待つことはしない。
 アーシュラは、馬車が走り去った方ではなく、小さな空っぽの家でもなく、アーシュラが、アーシュラ・フォルバーグであった場所へと歩き出した。
 振り返ることはしなかった。
 振り返った先にいる、アーシュラ・アイデンに、二度と会うつもりはなかった。

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夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

著  者
唯純 楽
イラスト
涼河マコト
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
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