夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

第一章 現実のようで、現実ではない夢
第2回

第一章 現実のようで、現実ではない夢

2018/03/30公開
「アッシュ。本気なのか?」
 明日の出陣を控えた訓練を終え、騎士団の武器庫の横にある手入れや調整用の道具が揃った部屋では、数名の騎士が剣や鎧を磨き、その具合を確かめていた。
 アーシュラも俯いて黙々と愛剣を磨いていたが、団の中では一番親しい同期であるルティスの三度目の問いに、ようやく顔を上げた。
「本気も何も、まだ辞めてないんだから、出陣の命令があれば行くよ」
「だけど、辞めるつもりだったんだろ?」
「まだ辞めてないし」
「だけど、おまえ、今度の任期が終わったら辞めるって……それで、結婚のこともちゃんと発表するって……」
 他の騎士たちが聞き耳を立てていることを感じながら、アーシュラは自嘲の笑みを浮かべた。
 騎士団の任期は、入団して最初の二年を生き延びれば、次は五年となる。その次は、三年。この春、アーシュラは次の更新はせずに退団するつもりだった。
 つい昨日までは。
「ああ、それね。なくなった」
「は? なくなった?」
 ルティスは、太い眉を山なりにして、その髭面を絵に描いたような驚きの顔にして固まった。
 最大限に見開かれた目から、丸い焦げ茶色の瞳が今にもこぼれ落ちそうだ。
「結婚の方をやめるから」
 アーシュラは、昨日目にした光景と、その光景を事前に知らせて来た手紙を思い浮かべて自嘲の笑みを一層深くした。
 香水を染み込ませた洒落た封筒に収められた便箋に、小綺麗な文字で綴られていたことは教えてもらわなくとも知っていたので、今更だったのだけれど。
 この先ゴタゴタしたときに使える切り札になるだろうから、有り難いと言えば、有り難い。
「でも……だって……もう、何年も……」
 ルティスは、外れかけた顎を戻し、途切れ途切れに尋ねる。
「もう、いい加減飽きたんじゃない? いい加減、新鮮味もなくなるよ。色気も何もない、タダの筋肉馬鹿だしね」
 無造作に束ねた髪は、滅多に結い上げない。元から、化粧など滅多にしなかった。ドレスだって、着ない。
 別に、面倒だったわけじゃない。似合わないし、みっともないからだ。
 髪を上げれば、首筋に残る傷が見える。細い袖では筋肉質の腕が入らないし、かと言って袖がなければ大小さまざまな傷が明らかになる。化粧をしても、平凡な顔立ちは変わらない。
 第一、そんな格好をして行く場所もない。
 書類上は夫婦でも、公には妻として披露されていないアーシュラは、社交界の様々な行事には招かれることがない。
 それでも、もしかしたらと思い、こっそり頑張ってはいた。
 最初の一年は。
 でも、アーシュラが社交界へ出る必要がないと夫が思っているのは、妻がみっともないとかそういう理由ではないのだと知ってからは、やめた。
 妻を披露する意味は、社交の場で妻を伴う意味は、夫婦仲を見せつけるためなどではない。結果としてそうなることはあるにしても、最大の目的は違う。妻の家との繫がり、そこから得る権力や立場を知らしめ、交友関係を広め、将来の地位を確立するためだ。
 アーシュラは、夫の後ろ盾となれるような立派な家の出身ではない。絶世の美女ならば、何かの役に立てることもあったかもしれないが、アーシュラの取り柄は、人よりちょっと優れた剣の腕と乗馬の腕。勇猛果敢で知られる第一騎士団の団長の補佐役に抜擢されるくらいには、えげつない戦術を展開出来る非情さを持ち合わせていることくらいだった。
 つまり、ウォールリンデン王国の騎士であるという以外、何もない。
 つまり、政治の分野で出世を望む男にとって、何の役にも立たない女なのだ。
「最初から、無理だったんだよ」
 デュークとアーシュラは、生まれも育ちも、考え方も、何もかもが違った。
 惹かれる方がおかしいくらいに、正反対だった。
 夫――デューク・アイデンに出会ったのは、五年前。十七の頃だ。
 当時、騎士団に入って三年目を迎えていたアーシュラは、とある経緯で一時的に十歳のジェネヴィーヴ王女の護衛役に抜擢された。
 貴族や王族の護衛などしたことがなく、歩き方一つとってもぎこちないアーシュラに、何くれとなく忠告や助言をしてくれ、ダンスの指導までしてくれたのが、ヴィーラントの側近を務める傍ら、王女殿下のお目付け役兼家庭教師役をしていたデュークだった。
 当時十九歳だったデュークは、既に未来のウォールリンデンを担う人物と見做されており、政治的な話に興味もなく、社交界の噂にも疎いアーシュラでさえ知っているほど、その名は知れ渡っていた。
 そんな人物と、決して賢いとは言えない自分の間に、何かが起きるなんて思ってもみなかった。
 だが、毎日のように顔を合わせ、一緒に過ごすうちに、何かが芽生えた。
 無視して、なかったことにして、離れようと思って、一度だけだと思って抱き合って、結局元に戻れなくなった。二人の関係は容易く友人の枠を超え、押し止めていたものが堰を切ったように溢れ出し、溺れた。
 軽い気持ちで抱かれたわけではなかったけれど、アーシュラとしては、自分の立場はせいぜい恋人止まりだろうと思っていた。
 貴族と庶民の間にある壁は、見えないけれど高い。結婚なんて夢は見ていなかったし、そんなことを口にすることすら恐ろしかった。
 それなのに、真面目な子爵家のお坊ちゃまは、アーシュラの処女を散らしたことに責任を感じたらしかった。
 もしくは、身体の相性が良かったから、惜しくなったのかもしれない。
 妻を性欲の捌け口とする方が、未だ補佐官以上の確固たる地位を得られていない立場で、様々な女性から犯罪紛いの誘惑をけしかけられていた当時は、安全だったのかもしれない。
「別に、結婚って言っても、ちゃんとしたわけじゃないし」
 書類上は結婚して夫婦ではあるけれど、式は挙げていないし、披露目もしていない。アーシュラがデュークの恋人であることは知っていても、妻であることを知っている人はごく僅かだ。
「けど、さすがにおまえとの仲は誰もが知って……」
「別に、ふつーの恋人同士で、半同棲みたいなことしてるヤツなんて、いっぱいいる。それと同じだよ」
 血を流したこともないお綺麗な貴族のご子息様が入れ揚げていたのが、ガサツで武骨な女騎士だったというのが珍しかっただけで。
 実際には、入れ揚げていたのは、その女の方なのだと言うだけのことで。
 それだけだ。
 今となっては、数いる恋人の中の一人に過ぎなかったと思われて、おしまいだ。
「ジェネヴィーヴ様がもうじき隣国に嫁ぐのと入れ換わりに、ヴィーラント様がお妃をもらったら、即位も秒読み段階だろうし。そうなったら、ちゃんとした地位を与えられるでしょ。いい潮時だよ」
 現ウォールリンデン国王であるフランクには、死別した二人の王妃と現王妃の間に四人の子供がある。隣国ラビィアへ嫁いだエドナ。その弟である第一王子のエルバート。二番目の王妃の子で第二王子であるヴィーラント。来年には隣国ルーベンスへ嫁ぐことが決まっている現王妃の子であるジェネヴィーヴ。
 そのうち、王位継承権を有しているのは、男子であるエルバートとヴィーラントだ。
 今年三十歳になる第一王子のエルバートが王位を継ぐのが妥当だが、幼少期から病弱で、人前に出るよりも寝台の上にいる時間の方が圧倒的に長い。ここ数年は、寝台から起き上がることさえ出来ず、半年ほど前に王城を離れて気候の温暖な地方にある小さな城へと住まいを移し、事実上、隠居していた。
 一方、エルバートの三つ年下であるヴィーラントは、病知らずの健康体だ。公平無私で人望も厚く、国王の右腕として各国との交渉事に携わっているため国外でも顔が広い。国王は近々、自らの退位も視野に入れ、隣国フォルキアの王女とヴィーラントの婚姻の成立を機に、正式にヴィーラントを王位継承者として指名するだろうと囁かれていた。
 ヴィーラントが即位する際には、その腹心の部下である補佐官たちは皆、要職に就くことが確実だ。常にその傍らにあるデュークも、何かしらの重要な地位を与えられることは間違いないが、そのためにはひとつ足りないものがあった。
 デュークは子爵家の出身ではあるが、次男のため爵位は継いでいない。どうにかして継いだとしても、子爵以上の貴族たちを相手にするには、彼らの自尊心を刺激しないためにも、彼らと同等、またはそれ以上の身分が必要だった。
 いくらデューク・アイデンが優秀であっても、ヴィーラントの後ろ盾だけでは、ウォールリンデンの貴族たちを束ねるのは難しい。能力よりも身分が物を言う貴族社会では、洒落た封筒に香水を振りかけられるくらいのご令嬢の後ろ盾が必要なのは、明白だ。
 賢いデュークにそれがわからないわけがないし、必要なことを実行するのに躊躇いはないだろう。
「出世のために、情を交わした女を捨てるなんて、最低だ」
 ルティスの言葉に、アーシュラは頷いた。
 その通りだ。
「うん、そうだね。最低だね。でも、そうなるだろうって、わかってたことだから」
 アーシュラは、デューク・アイデンという男が、常に上を見続け、決して自分とは同じ場所には落ちて来ないことを知っていた。
「それでもいいって、思ったのは私だからね」
「……馬鹿か、おまえ」
「うん。馬鹿だよ」
「何で、今なんだよ。帰って来てからでもいいだろ?」
 ルティスの言いたいことはわかる。何も、出陣間際にやるようなことではない、と言いたいのだろう。
 でも、だからこそ決断すべきなのだと、アーシュラは思った。
「うーん、何と言うか……ケジメってやつ?」
 アーシュラは、今回の任務が決して危険なものではないと、聞き耳を立てている同僚たちを安心させるためにも、へらっと笑ってみせた。

 現在ラビィアで起きている紛争については、既にウォールリンデンとラビィア双方の間で落とし所が決まっていると、第一騎士団の団長であるウォルフ・ロマリーナから聞かされていた。
 ラビィアの現国王派――未だ十歳と幼い王であるエアロンを傀儡とした、その叔父であるラビィアの第三王子ヘンリーによる治世に不満を抱く一部の貴族が起こした反乱は、あくまでもラビィア国内で起きているものだ。
 しかし、ウォールリンデンには、ヘンリーに失脚されては困る事情があった。
 五年前、ラビィアの国王と王太子が相次いで倒れ、その子であるエアロンが急遽王位を継ぐことになった際、ヘンリーが摂政となる王太后エドナを支え、エアロンの後見となる見返りとして、ヘンリーと対立していた第二王子イシュメルを第一騎士団が討った。
 いずれラビィアを実質的な支配下に置くつもりで、王太子ハンフリーに王女エドナを嫁がせ、思惑通りに自国の血を引く未来の王としてエアロンを手に入れていたのだが、五歳のエアロンと異国の王女であるエドナでは、主なき王太子派を取りまとめることも、第二王子イシュメル派や第三王子ヘンリー派を掌握することも難しかったのだ。
 今回、反乱を起こした貴族たちが武力に訴えようとした場合に備え、国境付近に軍を展開してほしいというヘンリーからの要請に応じたのも、十歳のエアロンには未だ後見が必要と判断したため。
 そして、エアロンとその母であるエドナが、ウォールリンデン王家の血を引いており、何かあれば介入する用意があることをラビィア国内に示しておきたいという思惑からだ。
 表向きは警戒のための派兵だが、何かあればヘンリーに助力するのはもちろんのこと、ヘンリーが反乱分子の不満を宥めるために王太后エドナとの「不適切」な関係について結婚という形を取り、幼い国王の補佐役を反対派も含めて広く選ぶことなどを和解の交換条件にするということについても、水面下で合意している。
 ヘンリーが反乱を鎮め次第、ウォールリンデンは警戒を解き、第一騎士団を引き揚げさせることになっており、一戦も交えずに終わる可能性はかなり高かった。

 だが、いついかなる時も、どんなに安全だと言われている任務でも、アーシュラは王都を発つ前には必ず身辺整理をしていた。
 部屋を片付け、人に見られたくないものは処分し、借りているものは返し、間に合わない場合は処理してほしいことを書き残し、団に預ける。アーシュラには家族がいないため、何かあれば団にすべてを任せるしかなかった。
 結婚してからは、最終的に託す相手は団ではなくデュークになっていたのだが、きっと嫌がるだろうと思ったので、頼んだことはなかった。
 何にせよ、面倒なことは出来る限り片付けておくに限る。騎士とはそういうものだと思ってもいたから、アーシュラの身の周りには何かが降り積もることはなかった。
 大切な思い出や、忘れたくないことは、頭の中、心の中だけに遺している。今は、大半の場所を占めているデュークとの思い出も、いつかはぎゅっと小さく折り畳んで、奥の方へ押し込めることになるだろう。
「戦場に行かなくたって、いつ、何があるかわからないじゃん? だからだよ」
「後のことなんて、放っておけばいい」
 ルティスの言葉に、アーシュラはやんわりと首を横に振った。
「剣に恥じぬ生き方をするって、誓っちゃったからねぇ」
 曇り一つなく磨き上げた剣に映る自分が笑えていることを確かめ、アーシュラは立ち上がった。
 懐には、片付けるべき案件に必要な書類が収まっている。
 あとは夫であるデュークの署名を添えて、国王宛てに提出すればいいだけだ。
「それに、礼儀は尽くしておきたいじゃん? 一応、それなりの間、連れ添った夫だし」
 そう言って片目を瞑って見せれば、ルティスは怒ったように吐き捨てた。
「馬鹿がっ」
 アーシュラは、その通りだと素直に頷いた。
「うん。私、馬鹿なんだよ」

◇◆◇◆


 アーシュラとデュークの家は、貧しくもないが裕福でもない一般庶民の暮らす界隈にあった。
 第一騎士団の詰め所に近い王城の南側通用門からは少し距離があるが、文官などが使う東側通用門からは近い。飲食店や市場で賑わう繁華街から少し遠いものの、宿屋を兼ねた食堂が一軒近くにあり、ひとりで過ごすことが増えてから、アーシュラは夕飯をほとんど毎晩そこで済ませていた。
「よお、アッシュ! 今日はうまい豚肉が手に入ったんだ。サービスするぜ?」
「ほんと? うれしー!」
「おい、アッシュ! こっち来いよ!」
「ショーンの武勇伝聞かせてやるぜ!」
「やめろってっ!」
 すっかり顔見知りになった店主に出迎えられ、常連客らがたむろするテーブル近くの席から椅子をひったくって、空けてくれた場所にドカッと腰を下ろす。
 年齢も職業も様々な人々が集まる場所では、騎士であるアーシュラも、ただの一人の若者だ。
 町娘との恋の話や家族の話。仕事の失敗談に成功談。いつか叶えたい夢を語る若者たちは、俯き、落ち込んでいるのが馬鹿らしくなる程、明るくて前向きだった。決して裕福ではないし、一生、王城で開かれるきらびやかな舞踏会になど行くことはないだろうけれど、それは不幸なことではないと、アーシュラも彼らも知っている。
 健康で命があれば、何だって出来る。どこでだって、生きていける。そう思わせてくれる生命力に満ち溢れた若者たちと過ごすひと時は、アーシュラにとって、活力をくれるもの――第一騎士団で言うところの「精力剤」のようなものだった。
「なぁ、アッシュ。第一騎士団が西の国境に送られるって聞いたけど、アッシュも行くのか?」
「まさか! だって、任期終わったら辞めるんだろ? ちょうどこの春で任期が終わるから、溜まった休みを取ってとかって言ってたじゃねーか。それで、旦那とイチャイチャすんだろ?」
「そっか、そうだったな」
 アーシュラが何かを言う前に、意外と人の話を覚えている若者たちは、勝手に話し、勝手に納得した。彼らには、一応結婚しているとだけは話してあるが、デュークはどう見ても騎士には見えないので、城で侍従をしているということにしていた。
「やっぱさ、家族は一緒にいないとな」
「そうそう。俺も、カミさんが憎たらしいと思うときもあっけどよ、やっぱ行商に出て戻って来たとき、ほっとするんだよな」
 結婚十年目の大先輩の言葉を聞いて、ここ最近まともに顔も合わせていない夫を思い、アーシュラは首を傾げた。
 夫は、一時でもそんな風に思ってくれていただろうか。
 いつも、二人で暮らすために借りた小さな家にやって来るときは、のんびりするというよりも貪るようにアーシュラを抱いて、死んだように寝ていたが。
「お、やべ。そろそろ帰らねぇとカミさんに閉め出される!」
 気付けば、既に夜半だった。出陣は明日の昼とはいえ、片付けくらいは夜明け前に済ませてしまいたい。仲間が席を立つのと同時に、アーシュラも席を立った。
 食堂兼宿屋から一本通りを入った場所にある、小さな家がアーシュラの住まいだ。
 四年ほど借りていたが、どうせなら買わないか、と破格の値段を提示してくれた大家の好意を断ったのは、つい今朝の話だ。この先、騎士を辞めた後のことを考えれば買った方が賢明だとは思ったが、そもそも生きて戻れるかもわからない。何より、夫と別れた後に、その思い出がそこかしこに染み付いた場所で暮らすほど、自虐的にはなれそうもなかった。
「いつからこんな臆病者になったんだか……」
 些細なことで揺らぎ、痛みを覚える腑抜けた自分に溜息を吐きながら、鍵を開けて暗い家の中へ入る。
 次々と、すべての部屋のランプを灯すと、使っていない部屋から順に掃除し始めた。もう使うことのない食器や調理道具は片付けずに、家ごと次の主へ譲るつもりだった。自分の荷物は既に騎士団へ運び終え、城に寝泊まりすることが多い夫の荷物は元からほとんどない。
 今となっては、城に泊まると言うその言葉が真実だったのかどうか、怪しいところだ。
 これ以上は片付けられない状態まで整理された部屋は、今までとさして変わらないはずなのに、この場所でずっと暮らしていたのが噓のように、空っぽに見えた。

[eロマンスjpの連載情報はツイッターでcheck!]

全話スグ読める電子書籍はコチラ↓

夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

夢の終わりに、嘘を一つ吐きました

著  者
唯純 楽
イラスト
涼河マコト
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
※各配信書店で販売金額が異なる場合があります。

以下の書店名をクリックすると、電子書籍版の購入ページへ移動します。

配信書店の一覧はこちら