金と銀と、オオカミ王子

金と銀と、オオカミ王子
第1回

金と銀と、オオカミ王子

2018/08/31公開

プロローグ

 絶体絶命、というやつだ。
 鋼の剣を正面にかまえ、ローズは奥歯を噛みしめる。
 山賊の一団から襲撃を受けたのは、森に入ってまもなくのことだった。彼らの数はおよそ七十、対するローズの一行は九人……いや、ひとりだけまったく戦力にならない男がいるので、実質八人。数だけを見ると、こちらに勝ち目などほとんどない。
 実際に、ローズの背後では部下たち全員が大ケガを負って気絶している。葉陰に隠れていた山賊に、いっせいに矢を射かけられ、あっという間に部下たちは戦闘能力を失った。
 生来のカンのよさと敏捷な身のこなしによって、矢の雨を避けきることのできたローズだけが、こうして立ち続けることができている。
「女剣士か、めずらしいな。とっつかまえて売っちまうか?」
「おいおい冗談だろ。じつにうまそうな女じゃねえか。オレたちだけでたっぷり楽しもうぜ」
 山賊から下卑た笑い声が上がる。ローズは、汗ばんだ両手で剣の柄を握り直した。
(ここでわたしが退くわけにはいかない。山賊どもを引きつけて、そのあいだに、あのお方に街まで逃げていただかなければ)
 ローズの背後にはいま、命を投げ打ってでも守らなければならない人物が控えている。その人物とは、例のまったく戦力にならない男のことだ。しかしながら、この王国の中でもっとも高貴な血を引く人物でもある。
(あのお方だけはお守りしなくてはならない。わたしはこのウィールライト王国に――ひいては王族に忠誠を誓った、『銀の剣士』なのだから)
 たとえ、守るべき対象が『高貴なる穀つぶし』との異名を取るボンクラ王子であろうとも……!
「ひゃー。ワルモノがいっぱいいて怖いねえ、隊長サン」
 のんきな声がローズの背後から上がった。ローズがそちらを一瞥すると、彼は木に背をもたせて、両手を頭のうしろに組んでいた。じつにのんびりした態度である。
(逃げてくださいと、さっき申し上げたのに……!)
 どこからどう見ても大ピンチの状況にあって、彼には危機感がまったくないようだ。先ほど山賊に矢を射かけられたとき、ローズがまずしたことは彼を探すことだった。自分の身を挺してでも、王子の身を守らなくてはと思ったからだ。
 けれど、彼の姿はどこにもなく、部下たちが全員やられたあとで、ひょっこり姿を現した。完全に無傷の状態だったので、理由を聞いてみたら、大岩の裏側で頭を抱えてブルブル震えていたとのことだった。「逃げ場を確保することなら任せて」と、彼は得意げに言った。
 そんな彼の名はアレン・ウィールライト。ボンクラ殿下の名をほしいままにする、超大国ウィールライトの第三王子である。
 すっきり整った顔立ちと、余分な肉のついていない引きしまった体躯をした青年で、漆黒の髪と瞳が印象的である。身長は百八十センチくらいあるかもしれない。百七十近くあるローズよりもまだ高いからだ。
 見た目だけは一級品、恵まれた容姿と王子という肩書きを武器に、社交界で数々の浮名を流す色男である。
 ローズは、山賊らを睨み据えたまま、抑えた声でアレンに告げた。
「申し訳ありませんが、こちらの気が散るので、王子殿下にはお声を慎んでいただきたい」
「こらこら。王子殿下じゃなくて、『アレンさま』でしょ」
 苦笑まじりに指摘されて、ローズはハッとした。
 アレンの言うとおりだ。彼が高貴な血筋だと山賊にバレたら、危険度はよりいっそう増してしまう。ならず者たちにとって、王族は金の卵を産むニワトリに違いないからだ。
 幸運にも、いまのやりとりは山賊の耳には届かなかったようだ。のんびりとした声でアレンが続ける。
「数の差がありすぎて勝ち目がないよねぇ。ここはふたりで手に手を取って逃げよっか」
「部下たちを見捨てて逃げろとおおせか」
「だってこのままじゃきみ、死んじゃうよ」
 りんご食べちゃうよ、と同じような言いかただった。ローズは剣先をゆっくりと持ち上げる。
「部下を見捨てて逃げるなど言語道断。外道どもの相手は、わたしひとりで充分だ!」
 最初の一閃はローズから放たれた。一対七十の乱戦は、山賊たちの怒号にたちまちのまれた。
 技巧を尽くしたあざやかな剣技で、ローズは山賊を次々と沈めていく。しかし、六十九人を斬り終えたところで限界がやってきた。体力が底をついたのである。
 剣を地面に突き刺し、支えにして立ち上がる。酷使した手足は震え、視界が霞み始めた。
(あとひとりなのに……!)
 残るは山賊の頭領のみだ。彼は、自分の手下がやられていく様を、うしろから楽しげに見物していた。手下への愛情はどうやら持ち合わせていないらしい。
 熊を思わせる分厚い胸筋、丸太のように太い腕。巨大な山斧を担ぎながら、男は悠々と歩いてくる。ローズは剣を地面から抜いてかまえようとしたが、できなかった。体に力が入らない。
「女でここまでやるとは思わなかったぜ」
 ローズのすぐ鼻先まで、男が近づいてきた。大きな手のひらで後頭部を鷲づかみにされる。
「しかし、勇壮なる女剣士もここまでだな」
「薄汚い手を離せ……!」
「は、悪態をつく元気がまだあるのか。気の強い女だ」
 赤黒い舌で己のくちびるをなめる。後頭部から手が離れたと思ったら、今度は正面から首をつかまれた。息苦しさに顔が歪む。男のすさまじい膂力によって、足が浮く位置まで引き上げられた。
「いいぞ。気の強いほうが好みだ。嬲りがいがあるからな」
「……っ!?」
 ローズは息を飲んだ。粗野な手によって、革の腰ベルトをむしりとられたからだ。
 蒼白になるローズを、山賊は笑った。
「さすがに元気をなくしたか?」
「やめろ、離せッ」
 渾身の力で男を蹴り剝がそうとしたが、足首をがっしりとつかまれて、大木に体を押しつけられてしまう。男が顔を近づけてきた。
「本当に美人だな。剣士になどならなくとも、嫁として引く手あまただったろうに」
「ひっ――」
 ぬるついた舌で頰をベロリとなめられ、ローズの背筋に悪寒が走った。男の力はすさまじく、身動きが取れない。
(しっかりしろ――)
 震えている場合ではない。自分が『銀の剣士』であるということを思い出せ。
 男の舌がふたたび近づき、ローズのうなじを味わい始める。視界がグラついてしまうほどのおぞましさだった。ローズは必死に耐えながら、背後のアレンに視線を向ける。
(殿下。この男は、わたしがこのまま引きつけておきます)
 男の手に腹部を直接なで回されている。屈辱に耐えながらも、視線でアレンに訴えた。
(このスキに街までお逃げください)
 街にはリレックがいる。
 ローズの従兄であり、剣の師でもある彼ならば、アレンの身を保護してくれるはずだ。そしてもしかしたら、ローズのことを助けに来てくれるかもしれない。
 一人前の剣士になったにもかかわらず、従兄のリレックに頼ってしまうのは情けないことだ。けれど、この獣のような山賊を前に、傷つき疲れ果てたローズはあまりにも無力だった。
「ん? なんだ、あっちのほうばかり見て」
 山賊が、ローズの視線の動きに気づいたようだった。アレンはあいかわらず、木に背をもたせてのんびりとこちらを見ている。
「なんだ、あいつ。おまえの部下か?」
「あの者は関係ない。捨て置け」
 低い声で言い、山賊の意識を自分に引き戻す。
「おまえの目当ては彼ではなく、わたしだろう?」
 自分の言葉に怖気が立った。山賊は、口を歪めるようにして笑う。
「覚悟を決めているわりには――」
 耳殻に息を吹きかけられて、体が強張った。
「ずいぶんと震えているな。あの男を逃がすための時間稼ぎをするんだろ? 乗ってやるから、イイ思いさせてくれよ」
 粗野な手のひらが、服越しに乳房をつかんできた。
「痛……ッ」
「おいおい、これくらいで痛がってどうする。ああ、おまえ処女か。これはいい」
 ローズは歯を食いしばって、ひたすらに耐えた。
 アレンはどうしただろうか。彼の様子を確かめる余裕が、ローズにはない。
 ちゃんと逃げられただろうか。腰を抜かして、動けなくなっていやしないだろうか。
 女の身が恨めしかった。同時に、それまで張り詰めていた糸がゆるんでしまう。
「リレック――」
 無意識に声がこぼれた。
 恐怖に飲まれそうになりながら、ローズはかすれる声で、いまここにいない従兄を呼んだ。
「なんだ、おまえの男の名か? こんなにうまそうな体を前にして、そいつはなにもしてこなかったのか。街の男はまったく理解できんなぁ」
 ひどく楽しげに山賊は笑った。しかしふと彼は、太い眉をひそめる。
「待てよ、リレック? どこかで聞いたことが――。いや、まさかな」
 男はふたたび、ローズに集中し始めた。おぞましさに鳥肌が立ち、ローズは目じりに涙さえにじませた。
「……っ」
「いやがる顔も極上だな、剣士サマ。かわいい声もそろそろ聞かせてくれよ」
 男の手がショーツにかかった。ローズの全身からザッと血の気が引く。体が震えて、気を失ってしまいそうだった。
 けれど、そのほうがいいかもしれない。気を失っているあいだに、すべてが終わってしまえば楽だ。そのあいだにアレンが逃げおおせれば、剣士としての職務をまっとうしたことになる。
 全身の力を抜いて、意識を手離しかけたときだ。一陣の風が、その場をさらった。
「ぎゃあああっ!」
 獣のような悲鳴が上がる。
 直後、山賊から解放されて、そのまま崩れ落ちるローズの体が、力強い腕に抱き寄せられた。
「お、おれの、おれの腕がアァァ」
 なにが起こったのかわからない。
 山賊の絶叫を聞きながら、墜落するようにローズは意識を失った。

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金と銀と、オオカミ王子

金と銀と、オオカミ王子

著  者
椋本梨戸
イラスト
坂本あきら
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
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