うちの犬はもっと可愛かった

この犬なんの犬
第1回

この犬なんの犬

2019/02/28公開
「それじゃあ、可愛がってあげてね」
「よろしく頼む」
 敬愛する上司が微笑む傍ら、私の犬はそう言って頭を下げた。



 事の発端は、なんだったろうか。
 リタ・ロゥ・ウェルツ。
 それが私の名前だ。小役人の家に生まれ、小役人の娘として育ち、小役人として王城で働いている。仕事に真摯なだけが取り柄の、なんてことはない女だ。
 強いて言えば、人よりも少し愛犬家だった。
 そう、愛犬家だった。
 私の命より大切な愛犬は、先日私を置いて老いのない国へと行ってしまった。
 ぬくもりを喪った亡骸を抱いて、泣いて泣いて泣きつくしたあと。
 事情を知る同僚に説得され、私は愛犬を王城の一画へと埋めた。庭師のマースが気を利かせ用意してくれた、裏庭の静かな場所だ。春になると花がそこを埋め尽くすのだと、教えてくれた。
 今では、毎日そこに通って祈りを捧げている。本当は好物のひとつでも供えてやりたいのだが、野生動物が来ると困る。王城での労働の傍ら、私はそうして愛犬を偲ぶ日々を送っていた。
 かつては軍にいたが怪我をして退役し、回り回って私の元に来た名犬ルゥ。
 一線を退いたとはいえ、彼は非常に素晴らしい犬だった。
 王城勤務の小役人たる私には、少々過ぎるほどに。

 時に、護衛として。時に仕事仲間として。
 そして常に、最良の友として。
 ルゥはずっと私のそばにいてくれた。

 思い出は数えきれないほどで、不意によみがえっては私の心の穴の大きさを示す。
 彼が天に召されてからは、どこか虚ろな様子だったのは認めよう。私を知る同僚たちにはさんざん心配されたし、何度も励まされた。それでも心は癒えることはなく、今日へと至る。
 そんな私の様子が、上司にまで届いてしまったのはすべて己の不徳の致すところ。業務に手を抜いたつもりはないとはいえ、たびたび遠くを見ては止まる私が悪かったのだろう。
 だが、それでも。
 それでも、私はあえて問いたい。
 それは、「あなたの飼い犬になりたい」と真顔で言い放つ成人男性を押し付けられるほどの、悪徳であったでしょうか――と。

    ◇ ◇ ◇

 いつものように沈んだ顔で、城内をうろついていたときのこと。
 魔力で構成された小さな伝令鳥が、私の肩にはたはたと飛び乗ってきた。
 ゆらゆらと輝く紫は、直属の上司の色だ。
 愛らしく小首を傾げて「執務室へおいで」とさえずる小鳥に従って、彼女の元へと訪れた。小鳥を指にとめ、扉の前に差し出す。
 数度、小さなくちばしが木板を叩く音。
 カチリと錠が開く音がしたので、所属と名前を名乗ってから扉を開けた。
「失礼します」
「やぁ、よくきてくれた」
 亜麻色の髪をゆらして、上司が両手を広げ歓迎してくれる。
 内心で、少々ホッとした。
 どうやら、私に対する𠮟責ではないようだ。勧められるままに席に着き、彼女の口が開くのを待つ。北の果てにあると言われている氷穴を思わせるような、彼女のアイスブルーの目。さりげなく、しかし注意深く観察をする。
 敵意はない。少々の、好意すら感じる。悪いニュースでないのは確かだが、面倒ごとの可能性は捨てきれない。
 口火を切ったのは、当然彼女だった。最初は、軽い世間話。業務についての、他愛もない話。
 供された紅茶をいただきながら、私は彼女の話に相槌を打ち続けた。
「ときに、リタ君」
 グロスで潤んだ唇が、ゆったりと開かれる。
 その声音に、とうとう本題が来たのだと身構えた。
「なんでしょうか」
「君、新しい犬を飼ってみる気はないかい?」
 犬。
 そう言われてよぎるのは、ついこの間まで一緒にいたルゥのことだ。
 温かい毛皮、優しい目。寒い夜には、寄り添って眠った。
 私の人生でもっとも幸せな時間だったと言っても、過言ではない。
 同時に思い起こすのが、ルゥが死んだ日のことだ。朝、いつものように目覚めひと撫でした毛皮の感触。死後硬直で硬くなった、彼の肉体。
 老犬だった。
 天寿を全うしたと言って、いいだろう。それでも、私は途方もなく悲しかった。
「トラットリ師長……私、犬はもう……」
 上司なりの、気遣いなのかもしれない。
 だが、あの別れを思い出してしまえば、どうしても新たに生き物を飼おうとは思えなかった。
「そうか……困ったな、ほかに任せられる人間がいないのだけど」
「……どういうことでしょうか」
「いやね、でかい犬なんだ。おまけに誰にでも飼える気性じゃない」
 聞けば、その犬はすでに育ちきっており、飼い辛さもあいまって引き取り手がいないらしい。
 脳裏に項垂れる大型犬が思い浮かぶ。
 ルゥも、最初から心が通じ合っていたわけではない。彼と暮らし始めた頃は、私は今よりもっと頼りない小娘だった。気位の高いルゥは、そんな私をそれはそれは馬鹿にした。
 呼んでも来ない。
 指示に従わない。
 無理に触れると唸り、そこで退かないと世にも恐ろしい声で吠える。
 最初は、半泣きで世話をしたものだった。彼と穏やかに過ごせるようになったのは、半年を超えてから。それも、あくまで世話係として認めてもらっただけだった。
 紆余曲折あり、長い時間をかけ、そしてやっとルゥは私のことを友としてくれた。
 きっとその犬も、長く付き合えば素晴らしい家族となるだろうに。
「……私が引き取らなければ、どうなるんでしょうか」
「そのときは仕方ないね。処分するわけにもいかないし、檻の中で飼い殺しかな」
「引き取らせてください」
 気付いたときには、そう口をついて出ていた。
「本当に? ありがたいが、生半可な覚悟では困るよ」
「もちろんです。きっと、終生その犬を幸せにします」
「終生かぁ。そこまでは望まないけれど、そうだね。そこまで言ってくれるなら、こちらとしても安心して彼を預けられるよ」
 トラットリ師長は、私の返事に安心したのか笑顔をいっそう深くして何度も頷いた。
「では、彼を連れてこよう」
 師長が水平に上向けた手のひらに、紫の小鳥が現れる。
 彼女がそれに何事かを語りかけた数秒後、執務室の扉が規則正しくノックされ開いた。
「失礼する」
 枯れ草色の髪を持つ巨漢が、ブーツの音を響かせて室内に入る。
 一目でわかる、上位将校の軍服。胸には著しい戦果を挙げたものにしか与えられない、ミスリルの略綬。突然現れた雲上人に、目を白黒させてしまうのは仕方がないことだったと思う。
 切れ長の目が、室内を一望した後に私をとらえた。
「あなたが、飼い主か」
 その言葉にはっとして、彼の足元を見る。しかし、期待した影は見あたらない。
「あの、犬は……」
「俺だ」
「は?」
「俺が、犬だ」

 これから、よろしく頼む。
 ご主人。

 そう言って跪き私を覗く偉丈夫に、ぽかんと口を開けて固まる以外に何ができただろうか。
「師長」
「なんだね」
「説明をいただく権利くらいは、あるかと存じます」
「認めよう」
 よかった。それすら却下されたらどうしようかと。
 内心で胸を撫でおろすが、もちろん混乱している。
 当たり前だろう。
 突然遥か上の身分の男性が現れて、自分があなたの犬だと言う。業務中にドッキリを行うほど、私の上司はいたずら好きだっただろうか。 
「まず、あの、私が引き取るという話だった犬は」
「言っただろう、大きくて引き取り手がつかないと」
 確かに大きい。
 確かに大きいのだが。
「……その、閣下を前にして申し上げるのも心苦しいのですが、人間ですよね?」
「それ以外に見えるかい?」
「……見えません」
 見えないから問題なのだ。
 師長は、犬を飼う気はないかと言った。
 私は、犬を飼うと言った。
 だというのに、なぜソファに座る私の足元に、デカめの将校が侍っている?
「聞きたいことはわかっているつもりだよ。一から説明しよう」

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うちの犬はもっと可愛かった

うちの犬はもっと可愛かった愛犬閣下は甘やかされたい

著  者
鳥下ビニール
イラスト
国原
レーベル
eロマンスロイヤル
価  格
1200 円(税抜)
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