シリーズ紹介

シンデレラな義弟と逃げられない私《特別番外編》『グレンと羽布団』を公開中♥

 ローザとグレンが都で暮らすようになってから二回目の冬の話。
 学校から帰る途中、どんよりとした空から小雪が舞いはじめた。グレンはローザが編んでくれた手袋でそれを受け止める。
 青い手袋の上に小さな白い粒が落ちて、すぐに水に変わった。

「……もうそんな季節か」

 都の冬は寒い。

 去年から修繕をしているが、二人の住まいは壊れそうな勢いのボロ家で、すきま風が入り込む。
 もともと貴族の立派な屋敷に住んでいたグレンにとって、正直に言えば今の環境はかなりつらい。
 それでも冬は好きだった。大好きなローザとの距離が縮まる季節だから。

 最近になってようやく彼の身長はローザと並んだ。
 グレンはもっと大きくたくましくなりたいと思っている。
 幸いにして、食堂の女将の好意で成長期の少年にとって十分な食事にありつけている。そしてこっそりと士官学校へ入る準備をしているせいもあり、筋力がついてきた。
 グレンは早く大人になりたいのだが、成長すればするほどローザに警戒されてしまうという悪循環だ。

 今となっては、ローザは気軽に抱きついていい女性ではなくなっている。けれど命に関わるほどの寒さをしのぐためならば、普段は許されない行為が認められる。
 今夜はきっと、ローザと一緒に寝られるはず。そう思うと足取りが軽くなった。
 辿り着いたのは、お世話になっている酒場だ。
 学校から戻ったグレンは、開店前の掃除をして、ローザと一緒に早めのまかないをいただくのが決まりだ。

「ただいま帰りました」

 ローザは空いている椅子に座って、洗い終えたカトラリーを磨いていた。グレンが帰ってきたことに気がつくと、顔をあげて笑顔で出迎えてくれる。

「お帰りなさい」

「はい。……では、床掃除からはじめますね」

 カバンを置いて、コートを脱いだグレンはすぐに姉の手伝いをしようと、腕まくりをする。
 グレンは学校の終わる時間を偽り、課外で剣術の稽古をつけてもらっている。
 それは来年以降の姉の負担を減らし、将来の社会的地位を確保するための準備ではあるのだが、うしろめたさはある。
 現在、子爵家の資産や領地から得られる収入はグレンの自由に使える金ではない。
 ローザの稼ぎに頼り、質素倹約を心がけているからなんとか学校に通える状況だ。お金を出してくれているローザを騙すのは、きっと間違っているのだろう。

 グレンが軍人になりたいなどと言えば、過保護なローザは大反対するに決まっている。
 わかっていてもグレンはどうしても、早急に自立したかった。

 本当はもっと早く帰宅し、酒場の仕事を手伝うべきだった。だからせめて帰ったら人一倍働こうと、急いで掃除道具を取りに行く。
 すると立ち上がったローザが近づいてくる。

「頬が真っ赤。寒かったでしょう? 少しだけ暖炉の前で暖まってからにしなさい」

 ローザの指先がそっとグレンの頬に触れる。
 彼女の指先は外から帰ってきたばかりのグレンの頬よりは温かい。そこから熱が伝わり、彼の体温は一気に上昇する。
 最初から頬が赤くてよかったと、グレンは胸を撫で下ろした。

「大丈夫です。姉さんの作ってくれた手袋のおかげで寒くなんてなかったです」

 もっと触れてもらいたいのに、秘めた想いを知られるわけにはいかなくて、パッと離れる。そのまま掃除道具を手にした。
 モップで床を磨けば、俯いたままでも不自然ではないだろう。
 素直なローザとは違い、グレンは昔から本音を隠すのがうまいはず。けれど完璧ではなく、不意打ちをされると心が落ち着かない。
 グレンは姉の指先の感覚を必死で頭の中から追いやった。冷静さを取り戻すために、とにかく床の汚れに集中した。

「本当にグレンは真面目だねぇ」

 仕込みをしていた女将が、カウンター越しにグレンの様子を眺めて笑った。

「姉さんにも、女将さんにもお世話になってばかりなので、掃除くらいは真面目にやらないと」

「これで一年前まで貴族だったんだから驚きだよ」

「あの……一応、今でも貴族なんです……名前だけ……」

 女将には二人の事情を包み隠さず話している。グレンが爵位を持っていることも正直に告げたのに、まったく気にしていない様子だ。

「ああ、ごめんごめん」

 貴族の彼を特別扱いせずに接してくれる女将を、グレンは信頼している。
 実母とも、義母のリズとも全然違うタイプだが、三人目の母親のようだ。
 学校では身分を偽ることが難しい。だからグレンが没落貴族だと生徒も教師も知っている。ただ身分が貴族というだけで、金も権力も持っていないグレンは、庶民からすればおもしろくない存在らしい。
 貴族と関わって嫌な思いをした経験のある者は、グレンに八つ当たりをする。臆病な者は「私のような庶民にお声がけくださる必要はございません」などと言い、付き合いを拒む。

 同じように、グレンの身分を知っているのに、女将も店の常連客もグレンを特別扱いしなかった。
 彼らのおかげで、随分救われている。
 少なくとも、この町に住んでいていいのだと思えるのだ。

「ほら、温かいうちにさっさとまかないを食べておくれよ」

 いつの間にか出来上がった料理を、女将がカウンターに置いた。
 今日のまかないは、鶏胸肉のソテーと野菜たっぷりのスープだ。手早く掃除を済ませたグレンは、カウンターの前の椅子に座った。
 ローザも手を止めて、グレンの隣に腰を下ろす。
 二人で女将に向けて、「いただきます」を言ったあとに、フォークとナイフを手に取った。
 課外でも身体を動かしてくたくたのグレンは、勢いよく食事をたいらげる。

「そんなに美味しそうに食べてくれると嬉しいねぇ」

「女将さんの料理が美味しいからです」

 これはお世辞ではない。高級な食材を使わなくても、この店の料理はすべて美味しい。値段も手頃で、都で暮らす労働階級の男たちが足繁く通う名店だ。

「ほら、おかわりもあるよ」

 気をよくした女将が、鶏肉を一枚、グレンの皿に追加してくれる。

「ありがとうございます」

 グレンは遠慮せずに二枚目の肉にフォークを刺した。
 両親を失って以降、二人の生活は厳しく、借金の額もすさまじい。けれど卑屈にならず、前向きに生きていた。

「そういえば、ローザ……羽布団がほしいって言っていただろう?」

 食事のあと、グレンとローザが皿洗いをしていると、女将がそんな話題を口にした。

「はい」

「大工のトムさんの娘さんが結婚しただろう? 今日あたりいらなくなった娘さんの羽布団を持ってきてくれるよ」

「本当ですか!?」

 ローザがパッと表情を明るくする。しっかり者の姉は、他人にも、弟にも弱みを見せないようにしている部分がある。
 けれど、素直な性格の彼女だから、隠しきれない部分もある。
 女将を筆頭にした町の大人たちがローザの手助けをしたくなる気持ちが、グレンにもよくわかる。
 頑張っているから、放っておけないのだ。

「グレンよかったね!」
「ええ、嬉しいです」

 その日、女将の予想どおり、常連客である大工のトムが羽布団を一枚運んで来てくれた。
 ラングデールで暮らしてきたときのような羽布団があったら――去年の冬、グレンもたしかにそう切望していた。
 嬉しいと口にした彼だが、羽布団を受け取ると、もしかしてローザとの距離がまた遠くなるのではないかと不安になった。


   ◇ ◇ ◇


 いつもの時間に給仕の仕事を終えた二人は、近くの公衆浴場に寄ってから急いで家に帰った。この季節はどんなに早足で帰っても、帰宅する頃には髪が冷たくなっている。
 暖炉に火をつけて、しばらく手仕事をしたり、今日の出来事を互いに報告し合う。
 そして眠る準備だ。

「ほら、グレン。これで寒くないわ」

「どうして僕のベッドに置くんですか?」

 ローザは当然のように、弟に羽布団を使わせるつもりでいる。グレンの予想どおりだった。

「……どうかしたの?」

 なにが問題かすら、彼女はわからない様子だ。それが守られてばかりの現状を不満に思うグレンを苛立たせた。

「羽布団は姉さんが使ってください。今夜はとっても寒いですから」

「私は大丈夫よ。毛布二枚重ねだから」

「去年は毛布二枚でも寒かったですよ! 姉さんとくっついて寝ていたからギリギリ大丈夫だっただけですから」

 ローザは息を吸うのと同じ感覚で、当然のように弟を優先する。
 凍死するほどではないものの、去年の冬は寒さで夜中に何度か目が覚めた。隣で眠る人のぬくもりすらないのなら、風邪を引いてしまうだろう。

「寒いのは得意なの」

「姉さんが平気なら、僕だって大丈夫ということになります。……だったら僕が毛布二枚です。姉さんは羽布団……それでいいでしょう?」

「グレンが風邪を引いてしまうわ」

「ほら! やっぱり毛布二枚は寒いんでしょう?」

 完全に論破してやったと、グレンは勝ち誇った。
 そして、ローザの部屋から枕と毛布を持ってきて、ベッドに並べる。
 羽布団の上に毛布を一枚掛ければ、かなり温かいはずだ。

「一緒に寝ましょう? 僕は姉さんが風邪を引いたら悲しいです。姉さんが譲れないのなら、こうするのが一番です」

 グレンはローザの肩を押して、先にベッドの中に入るように促した。ローザはしぶしぶそれに従う。
 グレンも部屋の明かりを消してから、モゾモゾとローザの隣に寝そべった。
 真っ暗な部屋で目が合うと、ローザは身体の向きを変えて、弟に背を向けてしまう。

「だんだん、温かくなってきたわ……よく眠れそう」

 背を向けたのはグレンを嫌ってのことではない。十五歳の姉が、血の繋がらない弟の成長に戸惑っているのはなんとなく察することができた。
 本当は彼女を背中から抱きしめて、温めて、存在を知らしめたい。けれどそれをしたらローザが遠くに行ってしまうのではないかという懸念もある。
 グレンはもっと男らしい部分を見せつけてやりたい衝動をどうにか抑え込む。きっと寒さに弱いわがままな弟でいるほうが、彼女を安心させてあげられるのだ。

「おやすみなさい、姉さん」

「うん、おやすみなさい」

 やがてローザがわずかに寝息を立てはじめる。身じろぎをし、グレンのほうを向いた。
 しっかり者の姉だが、寝顔は無防備で普段よりも幼く見える。
 ほんのわずかに開いた唇を見つめていると、そこに触れてみたい衝動が生まれた。
 グレンは我慢できずに、指先でそっと彼女の唇の感触を確かめてみる。もしローザが目覚めたら、寝ぼけたふりをしてごまかそう――そこまで考えながらの行動だ。
 彼女が起きる気配はない。きっと働き過ぎなのだ。疲れている彼女の眠りはいつも深い。

「キス……してみたいな……」

 一緒に住んでいるグレンならば、眠っているローザの唇を奪うことは簡単だった。
 けれど彼は、絶対にそんなことはしないと心に決めていた。
 いつも一番近くにいるグレンは、ローザが奥手で、ファーストキスすらまだだとよく知っている。
 たった一度の経験を、本人の寝ているあいだに終わらせてしまうのは間違っている。
 ラングデールで暮らしていた頃は、社交界にデビューして、王子様と恋をするのだと語っていたのに、かなりの鈍感だった。

 酒場の常連客の中には、ローザに恋心を抱いている者も多くいる。
 ローザはデートの誘いに、そうとは知らずに「だったらグレンも一緒に」などと言って、相手を困らせている。
 グレンが把握しているだけで、三人の青年が失敗しているのだ。
 彼女がデートの誘いを断る一番の理由は仕事が忙しいから。そうでないときは、自分だけがいい思いをするのはだめだから。

「わかっていますか? ……姉さんはいつも僕を優先してばかり。僕が身分に合った生活を取り戻したら、あなたはどうするつもりなんでしょうか?」

 姉と弟ということになっているが、血のつながりもない赤の他人だ。グレンが失ったものを取り戻したとしても、ローザにはそれで利益を得られる権利がない。
 グレンの将来について、ローザは努力すれば実現可能な提案をして、そのために朝から晩まで働いている。それに対し、彼女自身がどうするつもりなのか、きっと考えてすらいないだろう。

「ローザ」

 姉ではなく名前で呼ぶと、愛おしさがこみ上げてくる。
 グレンは唇を奪わない代わりに、許されている額へのキスをした。

「あなたが考えない部分は、僕がちゃんと考えます……。絶対に、幸せに……僕がこの手で……だから、許してください」

 グレンはローザに対し、二つの嘘をついている。

 一つは文官ではなく、軍の士官を目指していること。
 それからエメラルドのブローチの件だ。

 それらはすべて二人の将来のため、とくにローザのためになると信じてついた嘘だった。
 けれどどうしても後ろめたさがつきまとう。

 士官学校への入学が決まったら、二人の距離は確実に遠くなる。一緒にいられる時間は短くなるし、グレンもローザも、自分の成長を止められないのだから。
 背が高くなり、体つきが大人の男性と変わらなくなっても、彼女は今までと同じ『家族』としてグレンを扱ってくれるだろうか。

「弟扱いを嫌っているのに、家族でいられなくなるのは嫌だなんて……勝手だとわかっています。ですが、せめてこの冬だけは、まだ……」

 そうじゃないと、きっとどちらかが風邪を引いてしまうから――そんな都合のいい言い訳を考えながら、グレンも眠りについた。


[おわり]


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